迎えのない朝

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CHAPTER 27 / 28

第二十六章 向かいの席

十月二十三日、悟は席に着くと、姉の部屋の写真はあるかと訊いた。

「何を確かめたいんです」

 成瀬が尋ねた。

「台所。流しの横」

「先に、宇津木さんのことから聞きます」

「そっちはもう、話してますよね」

 戸崎は開いた手帳を置いた。身柄を取ってから、幾つかの供述は始まっていた。端末から匿名の連絡の下書きも出た。語られたことの裏付けを取る班は、今日も外へ出ている。

「今日は、途中を飛ばさずに聞きたいんです」

 悟は椅子へ背を預けた。

「途中って、どこから」

「仁さんの会社へ行ったところから」

 写真館の見取図を出すと、悟はそれを自分の方へ引いた。

 八月に写真を送ったあと、悟は仁の会社を見に行くようになった。娘の所在を知ったのか、確かめたかったという。

「詩乃さんに、送ることは伝えましたか」

「言えば、送るなって言われますよ」

「送らない選択は」

「もう、してなかった。何もしないでいたの、その前、ずっと」

 悟は見取図を押さえた。戸崎は言い直させず、その答えを残した。

 九月二日、仕事のあとに会社へ寄り、出てきた仁の車を追った。写真館の前には、屋号の入った軽トラックがあった。

「健さんのです。あれ見れば分かる」

 仁が去ってから、悟は裏へ回った。宇津木は中にいた。

「怒ってました。俺が入るなり、何だって。真知の弟ですって言ったら、ああって、声が変わった」

 仁も、宇津木に娘の居場所を話したと認めている。なぜ工場に置いているのかと問い詰められ、揉み合いになった。押し倒したあと、宇津木はまた立ち上がっていた。

「俺に、姉ちゃんへ電話しろって言ったんです。詩乃さん迎えに行くから、泊められるか聞いてくれって」

「十九時三十六分の通話ですね」

 成瀬が記録を示した。悟は頷いた。

「何を伝えました」

「今日は行かないって」

「宇津木さんに頼まれたことは」

「言ってないです」

 戸崎は、真知が弟の食器を出していた台所を思い出した。来ないと言った日にも、食べ物は残ったのだろう。

「切ってから、健さんには、あとで掛け直すって言いました。でも、もう行く気なんですよ。泊まる場所はあとでいいって」

「あなたは、待ってほしかった」

「待ってって、言いました」

 悟が見取図の入口へ指を置く。

「一人で置いとけないって。俺は知ってるんです、そんなこと。俺の方が、前から。でも、あの人は今聞いたばかりで、もう行くって」

 成瀬のペンが止まった。悟は指を入口から離した。

「俺が聞いたことは、何だったんですかね。何日も。何か月も」

 戸崎は返事をしなかった。悟が自分の言葉を待つ人を見るように二人を見たので、手帳から顔を上げたまま待った。

「で、荷物を見てくれって頼みました。裏の倉庫に、一つあるからって」

「実際に、荷物はあったんですか」

「ないです」

「宇津木さんは」

「ああ、そっち先に見るかって。止まったんです」

 悟は笑わなかった。ただ、そこだけはっきりと発音した。

 宇津木は靴紐を結ぶため、椅子へ座った。悟が指したのは低い方だった。

「見終われば、また行く。見せる物がなくても、じゃあもう行くぞって言うでしょう」

「その時、あなたはどこにいました」

 悟は見取図へ位置を書き込んだ。使ったのは、車に積んでいた荷締めの帯だった。

 成瀬は、持ってきた時点まで戻って聞いた。悟は返事をし、一度は図の印を消して書き直した。靴紐を結んでいた宇津木が顔を上げたところも、話した。

「何か、言われましたか」

 悟の手が止まった。

「悟、やめろって」

 戸崎はペンを下ろした。

「名前、覚えてたんだなと思って」

 真知の家で、悟は宇津木のことを、向こうが自分の名を覚えていたかは知らない、と言っていた。

 戸崎は目の前の男を見た。

「それで」

「それで、って」

「手を離しましたか」

 悟は首を振った。

 成瀬が続きを確認した。悟は一度聞き返したが、同じ問いを受けると、動かなくなるまで、と答えた。

 部屋の時計が鳴った。戸崎はその音に、呼吸を戻すきっかけをもらったような気がした。

 悟は一度、立ち上がったという。

「帰ろうとしたんですか」

「そこまで、考えてないです。下にいたから」

「宇津木さんが」

「はい。起こさないと」

 写真を出すと、悟は倒れた状態のものを脇へ退けた。宮下が業務連絡で送った画像を見て、こちらだと言った。

「何をしようとしたんです」

「もう声を掛けないでくれって。詩乃さんに。困ってたら来いとか、また運んでやるとか。それをやめてくれって」

「返事は、ありませんね」

「分かってますよ」

 悟が初めて成瀬を強く見た。

「死んでいたことは、分かっています。そこ、変に書かないでください」

 成瀬は自分の記録を読み上げた。悟は聞き、頷いた。

「ただ、座ってもらわないと、話せないから」

 写真へ目を戻す。

「途中でずれるんです。こっちに。戻しても、手を離すと。まだそこじゃないのに、聞いてないみたいになる」

 悟は左肩へ触れ、手を戻した。

「だから、最初から言い直した」

「何度ですか」

「覚えてないです。数えることじゃないでしょう」

 戸崎は手帳の頁をめくらなかった。悟の指先が、画像の宇津木の手へ重なっている。

 針と糸は、八月の終わりに買っていたという。成瀬が購入先を聞くと、店の名を答えた。

「使うつもりだったんですか。その時から」

「その時は、買いました。それだけです」

「なぜ」

 悟はしばらく水を見ていた。

「姉ちゃんに、詩乃さんから電話が来たら、先に言ってくれって頼んだんです。俺へ」

「返事は」

「私に掛かった電話なら私が出るって。俺が話すまで待ってって言っても、あの子はその間どうするのって」

 悟がコップを持った。飲まずに置く。

「何で、もう一回話すんですかね。こっちが、あれだけ書いて、話して」

 戸崎は宮下の写真を見た。唇を渡る糸は、指の糸と同じ黒だった。

 悟もそこへ目を落とした。

「ここから、また言うでしょう。困ったら来いって。こっちが何度言っても、そういうことばっかり」

「宇津木さんには、言わないと約束させたんですか」

「してません。健さんは、言わないって答えたわけじゃありません。俺が言って、それで結びました」

 成瀬はその順も残した。

「小指の一本は」

「自分と、約束してもらったんです。人にばっかり、何とかしてやるって言うから」

 悟は図へ手を伸ばし、自分の座っていた場所を指した。

「ここなんです。見えるでしょう、そこから。白かったら、分からない」

 戸崎は二つの画像を見比べた。悟が引き寄せた方では、手はまだ膝にあり、黒い糸が浮いて見える。

「指を下げると見えないから、ここに戻しました」

 悟は写真の膝を示した。

「話し終わったあとも、そこを見ていたんですか」

「はい」

「何を確かめていたんです」

「もう、行かない」

 戸崎は男の顔を見た。

「生きてたら、行きますよ。あの人は。俺が何て言ったって」

 成瀬は少し時間を置き、持ち出した物の確認へ移った。宇津木の仕事用の携帯。荷締めの帯。針と糸。二十時二分の裏口の映像を見せると、悟は自分だと答えた。

 着ていた物と車を置いた場所も聞いた。ここで聞いたことを確かめるには、また現場へ戻る必要があった。

 休憩のあと、真知の写真を出した。

 悟は最初に頼んだ流しの写真を見て、何も言わなかった。成瀬が何を確かめたかったのかと訊くと、いいです、と答えた。

「九月八日、戻った時刻を」

「九時半くらいです」

「どうやって入りましたか」

「開けてくれました。姉ちゃんが。何、忘れ物って」

 悟は唇を舐めた。

「先に、ご飯はもうないって言うんですよ。小暮さんが来て帰ったところで、片づけたって」

「食事に戻ったんですか」

「違います。詩乃さんを、また呼ぶのかって」

 返事を待つ間、戸崎は悟が水を取るのを見た。今度は飲んだ。

「本人に聞くって。しばらく放っとけばって言ったら、何であんたに言われなきゃいけないのって。いつものです」

「それで、話をやめなかった」

「健さんがいなくても、姉ちゃんがいたら、呼ぶんですよね。こっちが何してても」

「持って入った帯は、その時に使うためですか」

 悟は頷いた。

「返事を聞く前に、用意していた」

「また駄目だと思ったから」

 戸崎は膝の上で手を握った。

 真知をどう押さえ、どこへ移したか。成瀬が聞くと、悟は場所を示した。戸崎は記録する紙だけを見て、聞き落とさないようにした。

 宇津木の携帯は、真知の向かいの椅子へ置いた。

「最初に姉ちゃんへ泊めてくれって言ったの、健さんだったんです。二人で、すぐ決めて」

 その携帯には真知の番号が入っていた。悟は椅子の位置を少し直し、これくらいだと言った。

 手と口へは、宇津木と同じように糸を通した。成瀬が確認のため図を示すと、悟は写真なら分かる、と言った。写真を出してもらうと、自分がしたところを順に指した。

 鍵は帰る時、靴箱の上から取った。

「昔返した合鍵とは、別にですね」

「はい」

「この日は、鍵を使って入ったのではない」

「だから、開けたって。姉ちゃんが」

 悟の声が強くなった。

「俺が来たら、開けるでしょう」

 戸崎は顔を上げた。悟は、何度も同じことを言わせられた時の顔をしていた。

 遠山の店へは、靴を受け取りに行った。台車も持っていった。

「シャッターを、上げてもらったんですね」

「あんたも大変だったなって。俺の靴、出してきて」

「遠山さんには、何を頼みました」

「台車を、見てくれって」

「詩乃さんに会うな、とは?」

「言ってません」

 成瀬はすぐ次へ進まず、顔を見た。

「頼んでも、意味ないです。頼まれたらやる人だから。姉ちゃんが頼めば、ミシン直す。俺が言えば、台車の場所を空ける」

 悟は作業台の写真を見ていた。

 取っ手を外し、それで殴った。勤務先へ戻ると、同じ型の台車から取っ手を外し、交換した。借りた台車は新しいテープを巻いて返し、元の取っ手は職場に残した。

「靴は、持って帰らなかった」

 戸崎が言った。

「忘れたんです」

 悟は少し考え、そう答えた。

 遠山が青い丸を付けた紙袋は、棚に残っていた。戸崎は持主が誰か確かめた日のことを覚えていた。受け取る人が来ると思って、遠山は置いた。

 成瀬が、休憩を入れるかと訊いた。悟は、このままで、と答えた。

 九日の封筒は午後、北原工業の郵便受けへ入れた。送り先と文面は押収した端末の下書きと照合する。未開封のまま仁の車から出たことを伝えると、悟は、書いた通りにしたんですね、と言った。

「開けると思わなかったんですか」

「開けたら、詩乃さんに会えないかもしれない。そう思えば、取っておくでしょう」

 十五日は、先に仁へ連絡した。警備員を襲い、事務室にあった手袋の小指を結び、警察へ通報した。

「あの警備員の方は、何をしたんです」

 戸崎が訊いた。

「何も。知りません、あの人は」

「何もしていない」

「警察に来てもらわないと、北原さん帰っちゃうんで。娘がいるって言うだけじゃ、いなかったら終わりでしょう」

 戸崎は手帳を閉じた。悟は成瀬の方へ向いた。

「俺が車で行けって言ったわけじゃないです。あそこに来てくれって。それだけです」

「そのあと車を進めたのは、仁さんです。それは本人に聞いています」

 成瀬は手袋の写真を出した。

「襲われた方は、救急車を頼んだと言っています」

「はい」

「あなたは、人を呼ぶから動かずに待て、と」

「呼びましたよ」

 悟は少し身体を起こした。

「ちゃんと来たでしょう」

 成瀬はペンを置いた。

 戸崎は、踵を踏んだ警備員の靴を覚えていた。休憩中だったと言っていた。人がいるかもしれないと聞いて、奥へ行った。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席読書中
  28. 28終章 迎えのない朝

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