十月二十三日、悟は席に着くと、姉の部屋の写真はあるかと訊いた。
「何を確かめたいんです」
成瀬が尋ねた。
「台所。流しの横」
「先に、宇津木さんのことから聞きます」
「そっちはもう、話してますよね」
戸崎は開いた手帳を置いた。身柄を取ってから、幾つかの供述は始まっていた。端末から匿名の連絡の下書きも出た。語られたことの裏付けを取る班は、今日も外へ出ている。
「今日は、途中を飛ばさずに聞きたいんです」
悟は椅子へ背を預けた。
「途中って、どこから」
「仁さんの会社へ行ったところから」
写真館の見取図を出すと、悟はそれを自分の方へ引いた。
八月に写真を送ったあと、悟は仁の会社を見に行くようになった。娘の所在を知ったのか、確かめたかったという。
「詩乃さんに、送ることは伝えましたか」
「言えば、送るなって言われますよ」
「送らない選択は」
「もう、してなかった。何もしないでいたの、その前、ずっと」
悟は見取図を押さえた。戸崎は言い直させず、その答えを残した。
九月二日、仕事のあとに会社へ寄り、出てきた仁の車を追った。写真館の前には、屋号の入った軽トラックがあった。
「健さんのです。あれ見れば分かる」
仁が去ってから、悟は裏へ回った。宇津木は中にいた。
「怒ってました。俺が入るなり、何だって。真知の弟ですって言ったら、ああって、声が変わった」
仁も、宇津木に娘の居場所を話したと認めている。なぜ工場に置いているのかと問い詰められ、揉み合いになった。押し倒したあと、宇津木はまた立ち上がっていた。
「俺に、姉ちゃんへ電話しろって言ったんです。詩乃さん迎えに行くから、泊められるか聞いてくれって」
「十九時三十六分の通話ですね」
成瀬が記録を示した。悟は頷いた。
「何を伝えました」
「今日は行かないって」
「宇津木さんに頼まれたことは」
「言ってないです」
戸崎は、真知が弟の食器を出していた台所を思い出した。来ないと言った日にも、食べ物は残ったのだろう。
「切ってから、健さんには、あとで掛け直すって言いました。でも、もう行く気なんですよ。泊まる場所はあとでいいって」
「あなたは、待ってほしかった」
「待ってって、言いました」
悟が見取図の入口へ指を置く。
「一人で置いとけないって。俺は知ってるんです、そんなこと。俺の方が、前から。でも、あの人は今聞いたばかりで、もう行くって」
成瀬のペンが止まった。悟は指を入口から離した。
「俺が聞いたことは、何だったんですかね。何日も。何か月も」
戸崎は返事をしなかった。悟が自分の言葉を待つ人を見るように二人を見たので、手帳から顔を上げたまま待った。
「で、荷物を見てくれって頼みました。裏の倉庫に、一つあるからって」
「実際に、荷物はあったんですか」
「ないです」
「宇津木さんは」
「ああ、そっち先に見るかって。止まったんです」
悟は笑わなかった。ただ、そこだけはっきりと発音した。
宇津木は靴紐を結ぶため、椅子へ座った。悟が指したのは低い方だった。
「見終われば、また行く。見せる物がなくても、じゃあもう行くぞって言うでしょう」
「その時、あなたはどこにいました」
悟は見取図へ位置を書き込んだ。使ったのは、車に積んでいた荷締めの帯だった。
成瀬は、持ってきた時点まで戻って聞いた。悟は返事をし、一度は図の印を消して書き直した。靴紐を結んでいた宇津木が顔を上げたところも、話した。
「何か、言われましたか」
悟の手が止まった。
「悟、やめろって」
戸崎はペンを下ろした。
「名前、覚えてたんだなと思って」
真知の家で、悟は宇津木のことを、向こうが自分の名を覚えていたかは知らない、と言っていた。
戸崎は目の前の男を見た。
「それで」
「それで、って」
「手を離しましたか」
悟は首を振った。
成瀬が続きを確認した。悟は一度聞き返したが、同じ問いを受けると、動かなくなるまで、と答えた。
部屋の時計が鳴った。戸崎はその音に、呼吸を戻すきっかけをもらったような気がした。
悟は一度、立ち上がったという。
「帰ろうとしたんですか」
「そこまで、考えてないです。下にいたから」
「宇津木さんが」
「はい。起こさないと」
写真を出すと、悟は倒れた状態のものを脇へ退けた。宮下が業務連絡で送った画像を見て、こちらだと言った。
「何をしようとしたんです」
「もう声を掛けないでくれって。詩乃さんに。困ってたら来いとか、また運んでやるとか。それをやめてくれって」
「返事は、ありませんね」
「分かってますよ」
悟が初めて成瀬を強く見た。
「死んでいたことは、分かっています。そこ、変に書かないでください」
成瀬は自分の記録を読み上げた。悟は聞き、頷いた。
「ただ、座ってもらわないと、話せないから」
写真へ目を戻す。
「途中でずれるんです。こっちに。戻しても、手を離すと。まだそこじゃないのに、聞いてないみたいになる」
悟は左肩へ触れ、手を戻した。
「だから、最初から言い直した」
「何度ですか」
「覚えてないです。数えることじゃないでしょう」
戸崎は手帳の頁をめくらなかった。悟の指先が、画像の宇津木の手へ重なっている。
針と糸は、八月の終わりに買っていたという。成瀬が購入先を聞くと、店の名を答えた。
「使うつもりだったんですか。その時から」
「その時は、買いました。それだけです」
「なぜ」
悟はしばらく水を見ていた。
「姉ちゃんに、詩乃さんから電話が来たら、先に言ってくれって頼んだんです。俺へ」
「返事は」
「私に掛かった電話なら私が出るって。俺が話すまで待ってって言っても、あの子はその間どうするのって」
悟がコップを持った。飲まずに置く。
「何で、もう一回話すんですかね。こっちが、あれだけ書いて、話して」
戸崎は宮下の写真を見た。唇を渡る糸は、指の糸と同じ黒だった。
悟もそこへ目を落とした。
「ここから、また言うでしょう。困ったら来いって。こっちが何度言っても、そういうことばっかり」
「宇津木さんには、言わないと約束させたんですか」
「してません。健さんは、言わないって答えたわけじゃありません。俺が言って、それで結びました」
成瀬はその順も残した。
「小指の一本は」
「自分と、約束してもらったんです。人にばっかり、何とかしてやるって言うから」
悟は図へ手を伸ばし、自分の座っていた場所を指した。
「ここなんです。見えるでしょう、そこから。白かったら、分からない」
戸崎は二つの画像を見比べた。悟が引き寄せた方では、手はまだ膝にあり、黒い糸が浮いて見える。
「指を下げると見えないから、ここに戻しました」
悟は写真の膝を示した。
「話し終わったあとも、そこを見ていたんですか」
「はい」
「何を確かめていたんです」
「もう、行かない」
戸崎は男の顔を見た。
「生きてたら、行きますよ。あの人は。俺が何て言ったって」
成瀬は少し時間を置き、持ち出した物の確認へ移った。宇津木の仕事用の携帯。荷締めの帯。針と糸。二十時二分の裏口の映像を見せると、悟は自分だと答えた。
着ていた物と車を置いた場所も聞いた。ここで聞いたことを確かめるには、また現場へ戻る必要があった。
休憩のあと、真知の写真を出した。
悟は最初に頼んだ流しの写真を見て、何も言わなかった。成瀬が何を確かめたかったのかと訊くと、いいです、と答えた。
「九月八日、戻った時刻を」
「九時半くらいです」
「どうやって入りましたか」
「開けてくれました。姉ちゃんが。何、忘れ物って」
悟は唇を舐めた。
「先に、ご飯はもうないって言うんですよ。小暮さんが来て帰ったところで、片づけたって」
「食事に戻ったんですか」
「違います。詩乃さんを、また呼ぶのかって」
返事を待つ間、戸崎は悟が水を取るのを見た。今度は飲んだ。
「本人に聞くって。しばらく放っとけばって言ったら、何であんたに言われなきゃいけないのって。いつものです」
「それで、話をやめなかった」
「健さんがいなくても、姉ちゃんがいたら、呼ぶんですよね。こっちが何してても」
「持って入った帯は、その時に使うためですか」
悟は頷いた。
「返事を聞く前に、用意していた」
「また駄目だと思ったから」
戸崎は膝の上で手を握った。
真知をどう押さえ、どこへ移したか。成瀬が聞くと、悟は場所を示した。戸崎は記録する紙だけを見て、聞き落とさないようにした。
宇津木の携帯は、真知の向かいの椅子へ置いた。
「最初に姉ちゃんへ泊めてくれって言ったの、健さんだったんです。二人で、すぐ決めて」
その携帯には真知の番号が入っていた。悟は椅子の位置を少し直し、これくらいだと言った。
手と口へは、宇津木と同じように糸を通した。成瀬が確認のため図を示すと、悟は写真なら分かる、と言った。写真を出してもらうと、自分がしたところを順に指した。
鍵は帰る時、靴箱の上から取った。
「昔返した合鍵とは、別にですね」
「はい」
「この日は、鍵を使って入ったのではない」
「だから、開けたって。姉ちゃんが」
悟の声が強くなった。
「俺が来たら、開けるでしょう」
戸崎は顔を上げた。悟は、何度も同じことを言わせられた時の顔をしていた。
遠山の店へは、靴を受け取りに行った。台車も持っていった。
「シャッターを、上げてもらったんですね」
「あんたも大変だったなって。俺の靴、出してきて」
「遠山さんには、何を頼みました」
「台車を、見てくれって」
「詩乃さんに会うな、とは?」
「言ってません」
成瀬はすぐ次へ進まず、顔を見た。
「頼んでも、意味ないです。頼まれたらやる人だから。姉ちゃんが頼めば、ミシン直す。俺が言えば、台車の場所を空ける」
悟は作業台の写真を見ていた。
取っ手を外し、それで殴った。勤務先へ戻ると、同じ型の台車から取っ手を外し、交換した。借りた台車は新しいテープを巻いて返し、元の取っ手は職場に残した。
「靴は、持って帰らなかった」
戸崎が言った。
「忘れたんです」
悟は少し考え、そう答えた。
遠山が青い丸を付けた紙袋は、棚に残っていた。戸崎は持主が誰か確かめた日のことを覚えていた。受け取る人が来ると思って、遠山は置いた。
成瀬が、休憩を入れるかと訊いた。悟は、このままで、と答えた。
九日の封筒は午後、北原工業の郵便受けへ入れた。送り先と文面は押収した端末の下書きと照合する。未開封のまま仁の車から出たことを伝えると、悟は、書いた通りにしたんですね、と言った。
「開けると思わなかったんですか」
「開けたら、詩乃さんに会えないかもしれない。そう思えば、取っておくでしょう」
十五日は、先に仁へ連絡した。警備員を襲い、事務室にあった手袋の小指を結び、警察へ通報した。
「あの警備員の方は、何をしたんです」
戸崎が訊いた。
「何も。知りません、あの人は」
「何もしていない」
「警察に来てもらわないと、北原さん帰っちゃうんで。娘がいるって言うだけじゃ、いなかったら終わりでしょう」
戸崎は手帳を閉じた。悟は成瀬の方へ向いた。
「俺が車で行けって言ったわけじゃないです。あそこに来てくれって。それだけです」
「そのあと車を進めたのは、仁さんです。それは本人に聞いています」
成瀬は手袋の写真を出した。
「襲われた方は、救急車を頼んだと言っています」
「はい」
「あなたは、人を呼ぶから動かずに待て、と」
「呼びましたよ」
悟は少し身体を起こした。
「ちゃんと来たでしょう」
成瀬はペンを置いた。
戸崎は、踵を踏んだ警備員の靴を覚えていた。休憩中だったと言っていた。人がいるかもしれないと聞いて、奥へ行った。