迎えのない朝

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CHAPTER 19 / 28

第十八章 積込口

救急車の扉が、まだ開いていた。

 戸崎は車を下り、先着した警察官に案内されて旧棟へ回った。新しい棟では荷下ろしが続いている。後退するトラックの音が、壁に当たって何度も返った。

 事務室の前に警備員が座っていた。額のガーゼを自分で押さえ、固定された左腕を見ている。

「少しだけ、伺えますか」

 戸崎が救急隊員へ声を掛けると、短く、と返された。

 しゃがんで名乗った時、警備員が先に言った。

「あの人、呼んだんですか」

「誰が、誰を?」

「警察。呼ぶって言ったから」

 戸崎は隣の警察官を見た。通報は匿名だったと聞いている。目の前の男が電話したのではなかった。

「最初から聞かせてください。何時ごろ、人が来ました」

「九時前だと。巡回、九時までに戻るつもりだったので」

「時計を見た時刻では、ないんですね」

 男が頷いた。戸崎は時刻の欄を空けた。

 作業着の男だった。反射材が光り、帽子を被っていた。旧棟の四番の奥で荷物が崩れ、下に人がいるかもしれないと言った。

「手、貸してくれって。そういう言い方でした」

「一緒に行った」

「行きますよ」

 警備員が戸崎を見た。

「人かもしれないって言われたら。見ないでいいかどうか、俺、ここから分からないんで」

 戸崎は、何をしに行った、と書きかけて、その下へ続けた。人かもしれない、矢印、行く。警備員の靴は踵が潰れていた。休憩中に履き直す間もなく出たのだろうと考え、決めずに訊くと、そうだと返ってきた。

 奥には何も崩れていなかった。振り返ったところから記憶が曖昧で、次に分かった時には床にいた。落ちた無線へ手を出すと、踏まれた。

 男は固定された腕を身体へ寄せようとした。救急隊員が支え、動かさないよう声を掛けた。

「救急車って、言ったんです」

 警備員はガーゼを持つ手で目元も隠した。

「そしたら、人を呼ぶから待っててって。動くなって」

「殴った相手が」

「はい」

 戸崎はペン先を紙から離した。

「その人、慌ててました?」

「急いでる感じは。でも、普通でした。最初から、普通に言うんです。だから、俺」

 その先は聞かなかった。救急隊員が搬送すると告げ、二人で警備員を支えた。

 戸崎は立ち上がりながら、最後に通報したのが本人でないことを確かめた。

「目が開いたら、警察の人がいたので。呼んだんだなって」

 警備員はそう答えた。

 戸崎は何も返せなかった。待てと言った相手を、この人は床でも待っていた。

 事務室の床には、灰色の作業手袋が二枚置かれていた。

 人の手がない分だけ、糸の渡り方がよく見えた。左右の小指を、一本が繋いでいる。

 小暮の上着では、布の袖口全体が寄っていた。戸崎はその写真を出すことはせず、現場の記録係へ、手袋の位置から残してほしいと頼んだ。

 成瀬は道路側の入口へ回っていた。新棟の作業員と旧棟へ来た者を分け、出入りの確認を始めている。電話を掛けると、重機の音に混じって返事が来た。

「警備員さん、人が下敷きかもしれないって呼ばれてます」

『言葉も、本人が覚えていましたか』

「手を貸してくれ、だったと。もう搬送します。あとで取り直せるところは、病院で」

『分かりました』

 戸崎は手袋へ目を戻した。

「小暮さんを、ここへ呼ぶためじゃないですね」

『行き先も漏れていません。ここへ来る理由は、今のところありません』

「俺らを呼んだ」

 言ってから、自分の言い切り方に気づいた。

「それも、まだですか」

『私は、通報の記録を聞けていません』

 成瀬の返事は低かった。

『海側を確認してもらえますか。現場指揮からも、四番側を頼まれています。誰かと一緒に』

「二人います。行きます」

 戸崎はそばの警察官たちへ声を掛けた。一人は警備会社の責任者を待ち、もう一人と積込口へ向かった。

 旧棟の照明はところどころ消えていた。白線を辿ると、海風の通る外へ出る。雨の残る窪みが、靴の下で浅く鳴った。

 海側の積込口には、二番、三番、四番と番号が残っていた。四番の横を回ると、道路側から入った車も通れる構内路に繋がる。戸崎はその先へライトを向けた。

 遠くで短くクラクションが鳴った。

 二十一時四十三分、白いワンボックスが道路側の案内灯を通り過ぎた。

 出ていくトラックとすれ違い、旧棟へ向きを変える。警察官が誘導灯を振り、車を止めた。

「そちらは閉鎖しています。ここで待ってください」

 運転席の窓が下りた。

「四番は、こっちですか」

 その声に戸崎は振り向いた。北原工業の名が車体にあり、窓の中には仁がいた。

「北原さん」

 声を掛けると、仁の顔が変わった。

「何で、警察が」

「どうしてここへ来たんですか」

 戸崎は車の横へ近づいた。仁は前を見ていた。四番の照明、その奥の赤色灯。

「詩乃は」

「ここには、いません」

「まだ来てないだけです」

 戸崎の足が止まった。

「会う約束をしたんですか」

「本人が、話すって」

「本人から連絡が?」

「そう言ってるって、来たんです」

 仁の右手はハンドルを握ったままだった。戸崎は窓枠へ手を置き、声を落とした。

「エンジンを切ってください。連絡を見せてください」

「先に詩乃と会います」

「詩乃さんは、ここにいません」

「あなたに、何で分かるんですか。俺にも言わないのに」

 誘導灯を持つ警察官が運転席側へ来た。戸崎は仁の手を見ていた。エンジンを切らない。

「北原さん、一度降りましょう」

「また連れていくんですか」

「話を確かめたいんです」

「詩乃は、自分で決めたって。今度は自分でって」

 仁はギアへ手を動かした。

「触らないでください」

 警察官の声が強くなった。

「誰から来たんです」

 戸崎も声を張った。

「警察がいたら帰るって、書いてあったんですよ!」

 車が動いた。

 戸崎は窓から手を引き、声を上げた。前方の警察官が退き、誘導灯が大きく横へ振れた。仁は四番へ向けてハンドルを切った。

「止まれ!」

 一度、速度が落ちた。止まる、と戸崎は思った。

 次の瞬間、エンジン音が高くなった。

 濡れた白線を踏んで車の鼻先が外へ向く。積込口から出てきた警察官が、前へ回るように誘導灯を上げた。退く足と進む車の向きが重なった。

「下がれ!」

 戸崎は腕を伸ばした。声だけでは届かないと思ったのか、思わなかったのか。肩を掴み、横へ押した。

 硬いものが左の腰の下へ当たった。

 足をつこうとして、つけなかった。目の前にコンクリートの縁が来た。腕より早かった。

 息が出たまま、吸えなくなった。

 赤い棒が地面に落ちている。誰かの靴がそれを跨いだ。仁の声が、遠い。

「詩乃はどこだ」

 まだ、それを言っている。

 戸崎は身体を起こそうとした。痛みが遅れて来て、目の奥が白くなった。

「動かないでください」

 肩を押さえる手があった。別の手が、無線を持っている。

「怪我、は」

「俺は大丈夫です。戸崎さん、動かないで」

 誰の手か確かめるために首を回すこともできなかった。大丈夫なら、よかった。それだけを口にしようとして、空気が喉で止まった。

 成瀬が四番へ着いた時、誘導灯が一本、積込口の脇へ置かれていた。

 救急車は出たあとだった。二台目だったのだと、説明されてから分かった。警備員を乗せた救急車のことばかり考えていた。

「意識は、ありました」

 警察官が言った。

「左脚と、骨盤の周辺。腹部も確認すると」

「搬送先を」

 成瀬は番号を控えた。ペンの先が一度滑り、最後の数字を書き直した。

 北原仁は、その場で逮捕されていた。停止を求める警察官の前で車を進め、戸崎を負傷させた。車両は動かさず、運転席周辺も保全していた。

 別の車の後席に仁が見えた。成瀬が近づくと、彼は内側から顔を向けた。

「知らなかったんです」

「何を」

「警察がいると。詩乃と、会うだけで」

 成瀬は窓の手前で止まった。

「誰から連絡が来ました」

「知らない人です。でも、前にも当たったから」

 成瀬は手帳を開いた。土曜日には、その後の連絡はない、と答えていた。

「今日の文は、残っていますね」

「携帯に。もう持っていったでしょう」

 そばの捜査員が、端末を確保していると答えた。成瀬はその人へ確認の項目を伝えた。

「先生、呼んでください」

 仁が言った。

「瀬尾先生には、来ることを話しましたか」

「話してません」

「警察にも」

「言ったら会えなくなるんですよ。書いてあったんです」

 仁は前のシートへ目を向けた。

「本人が決めたって。自分で話すって」

 成瀬はその二つを書いた。字が細くなり、もう一度なぞりかけてやめた。

 戸崎へ電話で何と言ったかは、一語ずつ覚えていた。海側へ。誰かと一緒に。二人いる、と返ってきた。足りない確認があったのなら、どこだったのだろう。

 広瀬から電話が来た。今いる場所を答えると、本部へ戻れと命じられた。成瀬は現場の引継ぎをしてから車へ乗った。

 助手席には図面が開いたまま残っていた。四番を戸崎が指したところに、爪でついた浅い線があった。

 零時を過ぎて、車内の物の一覧が届いた。

 手袋。会社の書類。懐中電灯。小封筒。

 封筒は運転席脇の収納に入っていた。口は閉じられ、表に宛名はない。成瀬は手続の確認を担当へ頼み、画面を拡大したまま待った。

「戸崎は」

 広瀬が隣へ来た。

「手術に入りました」

「何時に」

「連絡は、十分前です」

 広瀬が時計を見た。二人とも、封筒の写真へ目を戻した。

 現場班が、戸崎の携帯を持ち帰った。倒れた場所に落ちていたという。成瀬が預かろうと手を出すと着信が鳴り、応答すると、昼に頼まれた映像の用意ができたという連絡だった。

「明朝、伺います」

 時間を決めて書いた。相手が、戸崎さんによろしくと言った。

「はい」

 成瀬は電話を置いた。空いた椅子へ上着を掛けかけ、手に持ったまま立っていた。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口読書中
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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