九月二十八日、成瀬が電話を取って名乗るより先に、小暮が言った。
『今日も、延期ですか』
「伺います。午後三時です」
『戻れる日の話をしてるんです』
成瀬は机に予定表を広げた。警戒を見直す打合せは二日ごとに続いていた。戻りたいという希望も、そのたびに聞いていた。
「今日は、店で続けられる仕事についても話します」
『その上着、もう返せるんですか』
「担当へ確認中です」
『客に言われたんですよ。警察に何で俺の上着が要るんだって。何て言ったと思います』
成瀬が黙っていると、小暮は息を吐いた。
『私がやりましたって。俺が説明したんです。店の子じゃなくて』
「そのあとの話も、今日、伺います」
『聞くだけなら、もう何回も』
切れた携帯を置いた時、寺田から画像が届いた。
納品先の事務員が、夏の荷受けの記録から探したという。冷蔵庫の手前に青い台車がある。成瀬は椅子へ戻り、画面を広げた。
平台の白い塗料、車輪の上の欠け。前に見た物と同じだった。
取っ手の右肩だけが違う。
昔の写真では内側へ潰れ、テープの先に金属が斜めに光っている。返ってきた方は丸い。
寺田へ掛けると、車の扉に挟んだ、とすぐ答えた。
『そこまで直ってました? 俺、握るとこしか見てないな』
「今から伺います。使わずに置いておいてください」
『隣へ貸しちゃった。今朝。戻すよう言います』
成瀬は借りた相手と、持っていった時刻も訊いた。寺田は名前を調べるために電話を机へ置き、その間、画面の写真だけが目の前に残った。
隣の棟では、台車に水の箱が積んであった。
受取担当の男が、昼までには空けると言った。鑑識の係員は取っ手の写真を撮り、取扱いを説明した。男は箱を見て、自分一人では今ここで全部下ろせない、と答えた。
成瀬は寺田へ頼んだ。別の台車を持ってきてもらい、移し替えは会社の作業員が行った。通路が塞がり、人が通るたびに成瀬たちは壁へ寄った。
「ここを見せたかったんですか」
寺田がテープへ爪を掛けた。
「そのままで。こちらで外します」
寺田は手を下ろした。係員が巻き方を記録し、テープを剥がす。下に現れた金属は滑らかだった。
「取っ手ごと替えたのか」
「会社で買った記録はありますか」
「ないですよ。俺が買うんだもん、そういうのは」
取っ手の根元を見せてもらった。ピンで留まり、外せば抜ける型だった。遠山が店で触っていた台車も、この型だった。
成瀬は、悟が答えた箇所を開いた。
ピンを入れた。テープを巻き直した。それだけ。
「悟さんに、こちらから聞かないでください。確認は私たちがします」
寺田が顔を上げた。
「あいつに?」
「はい」
「血とか、付いてたんですか」
「まだ、そこまで分かっていません」
寺田は台車から離れた。横で水の箱を積み終えた男が、もう行っていいかと尋ねた。係員が頷き、車輪の音が通路を遠ざかった。
悟の勤務先へ電話を入れた時、成瀬は十一台という数を聞き返した。
同じ型が十一台。うち三台は別の営業所へ出ている。
『止めてくれって、全部ですか』
班長の声が大きくなった。
「こちらにある物から、確認させてください」
『荷物、どうするんです。二時に出すんですよ』
腕時計は一時二十分だった。
「二人で行きます。空いた順に、次を積む前に見せてください。場所はそちらで決めていただけますか」
『もう空いてるのなんてないです』
受話口の向こうで別の声がした。班長が、違う、警察、と短く答えた。
『東。東のシャッターへ来てください。仕分けの線には入らないで』
成瀬は礼を言って切り、小暮の担当へ連絡した。三時には間に合わないかもしれない。三時半を目指すと伝えた。
倉庫に着くと、空の台車が一台だけ待っていた。係員が照合する間、成瀬は貸出先の表を見た。営業所の名前は三つではなく二つで、その先へ又貸しされたものもある。
「誰がいつ持っていったか、記録は」
「今月のか、先月のか」
「まず、今ある場所です」
班長は伝票の束を机に置いた。二台目が来て、作業員が確認済みの一台目を引いて戻る。班長はその後ろへ、二時便に間に合わせろ、と声を飛ばした。
五台目も違った。
八台目を見終えると、班長が汗を拭いながら来た。
「これで出していいですか」
「ここにある分は」
「じゃ、使え」
作業員たちが台車を引き取った。成瀬が残る三台の番号へ電話を掛けると、一つは呼び続けても出なかった。
「そこは、机の電話。誰もいませんよ」
班長が自分の携帯を出す。
「俺のから掛けます。いきなり警察って言われても、向こうは分からないから」
話がつながるまで、成瀬は待った。さっきの男が一人、確認済みの台車へ荷物を載せ始めた。こちらで調べた物を仕事へ戻す手が速い。
その日のうちに二台は確認できる。残る一台は、取引先から翌朝戻るという。
成瀬は時刻と担当者の名前を書いた。広瀬へ連絡する前に、小暮へ直接掛けた。
「到着が三時半を過ぎます。すみません」
『来るんですか』
「行きます」
『じゃ、待ちます』
小暮はそれだけ言った。
彼は受取票を、机一杯に並べて待っていた。
「仕上がってるのだけ、返しに行きたいんです」
成瀬が腰を下ろす前から話し始めた。月曜の分、火曜の分。別の店へ回してほしいという客もいるが、持っていく者がいない。
「従業員の方は」
「こっちの分まで、もう頼めない。言った分だけはやるって。それでいいでしょう」
小暮は一枚を抜いた。
「辞めるって言ったあとまで、こっちの電話を取らせてたんだから」
成瀬が警戒担当と外出の段取りを話すと、小暮は時間を書き込んだ。受取票の裏には、返す物を忘れないための一覧があった。
青い鳥の巾着も、その中にある。
「本人に、返します。三十日までって来てるから」
「手紙にある担当者へ渡してください」
「分かってます。場所、聞きませんよ」
小暮は書きかけた字を止めた。
「これも、疑われるんですか。返すって言ったら、何で今って」
「三十日が期限なんですね」
「そうです」
「受け渡す時刻を、決めましょう」
彼はペンを持ったまま成瀬を見た。少しして、午前がいい、と答えた。
夜、本部に戻ると、別営業所の二台も探している物ではなかったと報告が入った。成瀬は届いた現物の写真を見て、一覧へ印を付けた。その下に、相談サービスから得た画像の照合結果があった。
七月十七日、従業員が窓越しに撮った詩乃の写真。店に残る元画像と、詩乃が相談へ送った縮小後の画像。仁へ届いた切抜きには、後者と同じ、窓枠の斜線の段があった。
成瀬は担当者の説明を聞き、元画像を持っていた者全員が同じ条件ではないことを確かめた。
広瀬は台車の一覧を見た。
「明日は」
「一台、現物を見ます。戻ってから、交換した時期を勤務先で」
「見つからなかったら?」
「戻る前に、貸した先をもう一度」
成瀬は予定を言い、手帳を閉じた。帰る前に戸崎へ電話した。面会へ寄れなかったことを詫びると、仕事だったんでしょう、と返ってきた。
「一つ、ここで聞いてもいいですか」
物流センターの通報時刻と、仁へ指定した時刻を伝えた。戸崎は少し黙った。
『仁より先に、俺らを呼んだんだ』
「手袋のことまで告げていました」
『それで行った。あの速度で』
電話の向こうで布が擦れた。
『仁が来て、封筒持ってれば、車が止まってても聞きますよね。何で持ってるって』
「はい」
『あの人が車を進めるところまでは、書いてなかった』
「ありません」
『そこは、あの人がやったんだな』
成瀬は相槌を打たなかった。戸崎の息が近づき、受話口がまた動いた。
『今日はここまでで。変な格好で掛けちゃって、脚が』
「切ります。明日は、こちらから先に時刻を聞きます」
『はい。明日、台車の方、頼みます』
成瀬は携帯を置いた。丸を消した台車が十台。残る一台の横に、朝八時、と書き足した。