小暮の店へ着くと、従業員の女が入口を塞いでいた。
「入らないでください」
戸崎が名乗るより先に言った。携帯を握っている。画面にはまだ通話の表示があり、相手へ警察が来たと告げた。
「小暮さんは?」
「奥にいます。でも、先にあれを」
窓際の作業台に、薄いグレーの上着が載っていた。両袖を前へ折り、袖口同士を黒い糸で綴じてある。間に挟まれた白い紙に、太い字が見えた。
つぎはおまえ
戸崎は近寄る足を止めた。外で警戒していた捜査員が、すぐあとから入ってきた。
「どこで見つけました」
「試着室です。私、鏡の前にあったんで」
従業員は言い、奥へ顔を向けた。
「小暮さん」
返事がなく、ミシンの向こうから本人が出てきた。
「朝、開けたら、入口にあった。持って入れたんです」
「何時に」
「八時半。だいたい」
「そのまま、この台へ?」
「いや、試着室へ。一回、そこへ置いて」
戸崎は袖口を見た。黒い糸で無造作に寄せられ、布が細かく引きつっている。手を伸ばしかけた従業員へ、成瀬が声を掛けた。
「誰も触らずに、少し離れてください」
成瀬が二人をレジの側へ寄せた。小暮は棚にぶつかり、古着の肩が幾つも揺れた。
「やっぱり、俺なんでしょう」
戸崎は答えず、先に現場確認を頼んだ。入口の外で、客が営業札を覗き込んでいる。捜査員が事情を説明し、入店を断った。
「閉めるんですか」
小暮が成瀬へ言った。
「店内を確認します」
「だから、表にいてくれればいいんです。警察がいるって、分かれば」
「今、これを見つけたんです。誰がどう入ったかも調べます」
成瀬は試着室までの通り道を空けてもらった。
従業員は台から目を離さなかった。戸崎が名前を聞き、連絡先を控えるあいだも、同じところを見ていた。
「知っている服ですか」
「お客さんのです。私が、預かりました」
小暮が顔を背けた。
「袖を短くして、返すだけだったんです。火曜に。今週から着るって」
女は携帯をポケットへ入れようとして、入らず、鞄へ押し込んだ。
「これ、取れば元に戻りますよね」
戸崎は糸を見た。
「今は、切らないでください」
「すみません。分かってます。でも、あの人に何て言えばいいか」
声の最後が低くなった。女が袖口へ伸ばしかけた手を、もう片方の手で押さえた。
店の外では、警察官が配達車を別の位置へ誘導していた。日曜の商店街に、規制のための空白ができた。通り過ぎた人が向こう側で止まり、携帯を構えた。
「顔、撮るなよ」
小暮がガラス越しに言った。
戸崎は彼を奥へ戻した。
「店の中にあった服が、外から来た。そういう話ですね」
「そうです」
「昨日、最後に見たのは」
「裏のラック。直し待ちの方です」
「昨夜は、鍵を掛けましたか」
「掛けましたよ。戸締まりしろって、何度も言うじゃないですか」
小暮は声を大きくし、すぐ隣の従業員を見た。
「昨日、私、四時までです」
女が先に言った。
「そのあと、お店は一人?」
「八時まで。表の人もいたでしょう」
小暮は入口を顎で示した。
「ずっと中を見ていたわけではありません」
成瀬が答えた。
「鍵を掛けてから、今朝までに誰かが入った形跡も確認します。あなたが出入りした時刻を教えてください」
「俺ですか」
「はい」
小暮は腕を組んだ。
「脅されてるって、見て分かったでしょう。何でまた俺が説明するんです」
「店へ入った人を調べるには、小暮さんのことも必要です」
女が一歩離れた。その動きへ小暮が顔を向け、何か言おうとしてやめた。
戸崎は二人を別々の場所で聞くことにした。成瀬に小暮を頼み、従業員を店の前へ連れ出した。通りのカメラから見えない、停めた車の陰だった。
「今日、出勤の予定だったんですか」
「休みです。昨日、来なくていいって。そしたら今朝になって、納品だけ相談したいって電話があって」
「何時ごろ」
女は履歴を見せた。十時十八分。
「九時すぎにも、服の写真が来たんです。寸法の確認。それには返して。なのに来たら、これで」
戸崎は二つの時刻を記した。
「最初に、小暮さんは何と?」
「先に預かり物まとめてって。奥にいたから、私、いつものを見ようとしたんです。試着室のカーテン開けたら、あれが吊ってあって」
「吊ってあった」
「はい。最初、また変な展示してるのかと思って。紙見て、びっくりして、店長って呼んだら」
女が口をつぐんだ。戸崎が待つと、首を振って続けた。
「『大声出さないで』って。外の人へ言いに行こうとしたら、まず落ち着けって。だから電話しました」
「小暮さんが、見つけた時の説明は?」
「その時に、朝からあったって」
戸崎は店へ目をやった。小暮が成瀬の向こうからこちらを見ていた。すぐ奥へ引っ込んだ。
店内の確認が始まると、ミシンは使えなくなった。作業台の物を勝手に移さないよう頼まれ、小暮は握っていた受取票を何度もポケットへ出し入れした。
「残れば警察が見てくれるって、話だったでしょう」
戸崎へ言った。
「警戒はしています。これからの場所も、相談します」
「店にいる。ここにいるから、見ててくださいって。それが何で、俺が出ていく話になるんだ」
「ここへ置かれたと言うなら、少なくとも今は、いつもどおり仕事をする状況ではありません」
成瀬が答えた。小暮は受取票を台へ叩きつけた。乾いた音がして、従業員が肩を動かした。
「金曜、間に合うって言ってるんですよ。今日やれば間に合うから、俺が言ったんです。誰かが代わりにやってくれるんですか」
「出来上がった物から、引継ぎましょう」
「そうじゃなくて」
戸崎は小暮の手元を見た。受取票には何枚も線が引いてあり、一枚だけ、火曜の文字が赤い。
従業員がそれを取った。
「これは私が連絡します。でも、説明が要ります。警察に預けるって言えばいいんですか」
「まだ、決まってないだろ」
「返せないのは、決まってます」
女は小暮を見た。彼は票を取り返さなかった。
奥の確認をしていた捜査員が、小暮を呼んだ。普段、糸をどこへ置いているかと尋ねた。棚へ向かいかけると、その場で示すだけにしてほしいと止められた。
小暮は指を出したまま立ち、やがて下ろした。
「俺の店なんだけどな」
戸崎は入口へ戻り、責任者と今夜の対応を詰めた。小暮はその日のうちに店を離れることになった。行き先は希望を聞いて決め、知る者を限った。店の確認と身辺の警戒は、それぞれ別に続ける。
荷物を取りに上がった小暮が、古い旅行鞄を抱えて戻った。従業員はまだ客へ電話をしていた。
「汚れたわけではないんです。はい。ただ、お渡しできるのが」
小暮は声を掛けず、その前を通った。
本部へ戻ると、朝の鑑定途中報告が机に残っていた。
遠山の傷は、床の靴型では説明しにくかった。ほかの道具にも、合う物はまだない。小暮の店の糸は銘柄が同じ。しかし、それだけでは今日の上着も三つの殺人も、一つにできなかった。
「本当に狙われてるなら、小暮じゃないのか」
別の刑事が写真を見ながら言った。
「今日の話を、先に確かめます」
成瀬が答えた。戸崎は従業員の証言を書いた紙を渡した。
「朝、入口で見つけたのに、二時間近く誰にも言ってない。カーテンを開けなければ見えない試着室へ、吊ってる」
「怖かったら、隠す人もいる」
「そうですね」
戸崎はそれも書いた。
広瀬は上着の写真を三人の被害者の写真から離した。
「今日の脅しだけで、三件まとめて結論を出すな」
成瀬が明日の面談の準備を始めた。三人が以前、詩乃へ何と言ったか。迎えに行く、手伝う、その約束を誰が知ったか。
「来るって言って来なかった。その罰だとしたら、仁の言い分に合います」
戸崎が言った。
「仁が外へ頼んだなら、連絡が要る」
広瀬は会社へ寄った九分を指した。
戸崎が瀬尾へ電話すると、提出できるものがあるかもしれないと返事があった。本人と話したい。金曜までには連絡する。
受話器を置くと、小暮の店の担当から電話が来た。上着を預かることになり、従業員が、客にはもう説明したと答えたという。
戸崎は明日の面談の準備へ戻った。机の右には、今日中に返す電話番号がまだ三つ残っていた。