迎えのない朝

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CHAPTER 07 / 28

第六章 店を開ける人

小暮智久は、警察手帳を見ると、客の前ではやめてくれと言った。

 土曜日の午前十一時。古着店の試着室から、裾を折ったズボンを抱える客が出てきた。小暮はその客へ返事をしながら、戸崎たちを外へ押し戻しかけた。

「何時なら」

「今って言うんでしょ。分かってます」

 小暮は客に、少しだけ、と告げた。客は時計を見て、今日は帰ると言った。

「丈はそれで決まり?」

「家でまた履いてみる」

「じゃ、まだ切らないよ」

 客が出ると、小暮は入口の札を準備中へ返した。三十五歳。後ろで結んだ髪が、首筋に張りついていた。

「北原さんの用で来たんじゃないんですよね」

「宇津木健さんの事件について、伺っています」

 成瀬が答えた。

「それと、北原詩乃さんのお仕事について」

「ほら、結局」

 小暮は奥へ歩いた。椅子には服が積んである。戸崎が立ったままでいいと言うと、それなら助かる、と服をどけなかった。

 仕事机には裁ちかけの布と、ほどいた裏地が広がっていた。棚の糸は色ごとに並び、黒だけ同じ銘柄が三本ある。下に丸めた上着には反射材がついていた。

「仕入れに着ていくんです。車が出入りする所だから」

 戸崎の視線を見て、小暮が言った。

「この黒、よく使うんですね」

「丈夫だから。何に使ったかまで全部覚えてませんよ」

「詩乃さんへ渡す材料も、ここから?」

「仕事の分は。本人が持ってるのもあります」

 小暮は黒い糸を持ち上げず、隣の箱を閉めた。戸崎は棚全体を見た。糸のある店へ来るのが当然なのに、あの朝見た黒い線が先に浮かんだ。

 詩乃とは前年春から取引があった。古着の繕い、小物の縫製。店員ではなく、品物を納める人だった。

「御本人と、交際をされていた?」

 戸崎が訊くと、小暮が顔を上げた。

「してない」

「仕事以外にも会っていたか、確認です」

「飯食わせたか、泊めたか。その順で来る? 父親も同じでしたよ」

「お父さんが何度も?」

「本人も知り合いも。冬じゅう。あの人、俺の店を待合所だと思ってるんです。誰か来たら一緒に顔見て」

 小暮は入口を振り返った。ガラスの向こうで、男が準備中の札を覗いて通り過ぎた。

「娘が連絡を寄こさないって、俺に言うんですよ。俺が電話線切ったんですか」

 戸崎は昨日の仁の部屋を思い出した。冷たい茶、洗ったコート。そこへ小暮の声を持っていくと、収まりが悪かった。

「詩乃さんの住所を知っていたら、お父さんに渡すと思っていますか」

 成瀬が訊いた。

「違うんですか」

「御本人の安全と意思を先に確認します。そのままお渡しはしません」

 小暮はすぐには返事をしなかった。机の服を少し脇へ寄せ、引出しを開けた。

「それ、先に言ってくださいよ」

 納品書が出てきた。去年と今年で、単価が変わっていた。

「上げたんですね」

「上げろって言われたから」

 一月の紙には、〈次回からこの金額でお願いします〉と書いてある。

「本人から?」

「この字、俺じゃないでしょう」

「その前に、誰かが間に入ったりは」

 小暮は紙を押さえた。戸崎が引こうとしても動かない。

「誰ならいいんです?」

「そういう意味では」

「父親は、俺が変な知恵つけたって。値段上げてって言われたの俺なんですけど。本人が書いてきたって、今、見せてるでしょう」

 戸崎は紙から手を離した。

「写させてもらえますか」

 小暮が指をどけた。成瀬は、始めた月と単価の変わった月を別々に書いた。

 作業机の隅に、青い鳥を縫った巾着があった。戸崎が訊くと、小暮は手に取って裏返した。内側は縫い代まで細かく処理され、店の屋号の札がついている。

「本人の見本です。裏までほどいて見せるんですよ。そこまで誰も見ないって言ったら、私が見るからって」

 小暮は少し笑った。

「頼む方は、ありがたいです。遅いけど」

「今も同じように、仕事を?」

 笑いが消えた。

「八月から、休んでます」

 十六日の夜、〈家のことで、しばらく休みます〉と来た。二十日ごろに〈体調は大丈夫〉と一度返事があり、それから連絡はない。最後に直接会ったのは春の終わり。以降、品物は送られることが多かったという。

 成瀬が休業の文を読んだ。

「どちらの家かは、訊きましたか」

「訊いたけど、そこは返ってこなかった」

「返信を拝見しても?」

 小暮は携帯を出した。画面を見せながら、自分が送ったそのあとの文まで指で送った。〈急ぎの分だけどうする〉。〈無理なら別の人に振る〉。〈体だけ返事して〉。

「最後のは、仕事の返事じゃなくて、安否ですよ」

「はい」

 成瀬はそのまま記録した。

 宇津木の名は詩乃から聞いたが、直接会った記憶はない、と小暮は言った。九月二日の夜は隣県の業者向け倉庫へ仕入れに行った。十八時すぎまでそこにおり、二十時四十分すぎに自宅近くのコンビニで買物をした。

「間、空いてるでしょう。高速なら、戻れますよ」

 小暮はレシートを二枚探した。

「そっちが言う前に俺が言うと、怪しいんですか」

「いつ戻ったか、確認します」

 成瀬が答えた。小暮は二枚とも渡した。

 春までの差出人住所が残る封筒も出てきた。今どこに住み、どこで働いているのかは知らないという。戸崎は、それまで頼めていた仕事が止まった後の机を見た。ほどいた服が少しずつ残っている。

「見つかったら、仕事の話は自分でします」

 小暮が言った。

「お父さんにも、警察にも代わりに言ってもらわなくていいです」

「分かりました」

 戸崎が返すと、小暮は入口の札を取りに行った。外へ出た二人の後ろで、すぐ営業中になった。さっき通り過ぎた客は、戻らなかった。

 午後、仕入れ先から小暮が出たのは十八時十一分だったと分かった。コンビニの決済は二十時四十三分。その間の行動を探す班が、使用車両と反射材の上着について追加の確認を進めた。

 仁のバンの経路もつながり始めていた。写真館から駅へ、弁当店から工場へ。戸崎が一覧を読みかけた時、広瀬が室内へ入ってきた。

「現場の写真が出た」

 端末が机へ置かれた。

 男は椅子に座っていた。宮下が肩へ触れる前の姿だった。画像の上と右が切られ、両手の間に黒いものが見える。投稿には〈黒い糸で縫われた遺体〉と添えてあった。

「最初の投稿はもう消えてる。転載をたどれ。宮下の会社へも確認」

 戸崎は宮下の番号を開いた。仕事に入れないと会社へ連絡した、と言っていた。画像を送ったとは聞いていない。

 成瀬が流出写真を拡大した。

「小指の一本は、これでは見えません」

「そこは引き続き伏せる」

 広瀬が言った。誰かが受話器を取り、隣の電話も鳴った。

 宮下へ掛ける直前、恵から着信が来た。

『玄関に、人が二人。会社の名前で調べたって』

「開けなくて大丈夫です。今、どちらにいますか」

『台所。水を出したら、いるって分かりますよね』

 戸崎は紙へ住所を書き、そばの警察官に渡した。恵の声は小さかった。

『私、顔が出てるのかだけ、聞きたくて』

 答えを言う前に、戸崎は写真を閉じた。

 内装会社の事務所で、宮下と杉本という社員が机を挟んで座っていた。携帯が二台、前へ出ている。

「俺が撮りました」

 宮下が言った。

「寝てると思って。会社に、作業できないって。それを救急のあと消して、グループのも取り消しました」

「最初に、写真のことは話していませんでしたね」

 成瀬が訊くと、宮下は膝を見た。

「怒られると思った。……いや、違う。死んでる人を撮ったって、言いたくなかった」

 杉本が携帯を表へ返した。

「保存したのは俺です。応援会社へ送った。こっちだって人と車止めなきゃならないから。写真なら早いと思って」

 その先の転送相手を、一人ずつ確認した。一人が翌日、地域の投稿アカウントへ載せていた。元の写真では小さかった人物を切り出し、説明を付けたのだという。

「取り消したら、ほかからも消えると思ってたんです」

 杉本は元の画像を出した。壁の時計まで写っていた。五時五十一分。グループで受信したのは五時三十七分。

「撮ってから送るまで、どのくらい空きました?」

「すぐです。撮って、そのまま」

 宮下が答えた。

 成瀬は時計を指で隠さず、画像全体を見直した。

「前日の室内写真もありますか。工事前の」

 杉本が履歴を遡った。別の社員が施工確認で撮った写真がある。送信は十六時十二分、時計は十六時二十六分だった。

「こっちも十四分」

 戸崎が言うと、杉本は顔を上げた。

「そんなのまで見るんですか」

「人のいた時刻を調べています。こちらも、撮った方へ確認させてください」

 成瀬は画像と記録の提供を頼んだ。杉本は頷き、連絡先を探した。

 宮下が、奥さんに謝りに、と口を開いた。戸崎は、今はここで話してほしい、と言った。

「本人に、俺から」

「今、ご自宅で、蛇口もひねれずにいるんです」

 言ってから戸崎は口を閉じた。二人とも携帯を見ていた。あの家のことをここで話す必要はなかった。

 成瀬は取り消した時刻の確認へ戻った。宮下は答え、途中で一度、分からないと言い直した。

 仁の部屋の玄関には、冬物の箱がなかった。

「約束しましたっけ」

 チェーンを外しながら仁が言った。戸崎は昨日の冷茶を思い出し、今日は靴の話はないのだなと思った。

 テーブルへ映像を置く。宇津木は十九時三分に着いた。仁の車は十九時七分に入り、三十一分に出た。

「二十四分、入口を見ていたんですか」

 成瀬が訊いた。

「裏も回ったんです。時計見ながら歩いてませんから」

「宇津木さんと会いましたね」

 戸崎が言うと、仁は茶碗へ伸ばした手を戻した。

「あの人が、勝手に来たんですよ」

 その言葉を、成瀬が書いた。

「延期したのに。車があるから入ったんです。来たなら先に電話すれば済むでしょう」

「昨日は、会っていないと」

「私が呼んだことになったら、責任を取れと言われる。今もそういう聞き方でしょう」

 戸崎は映像をどけなかった。

「詩乃さんのことを、聞きましたか」

「何を知ってるんです?」

「それを教えてください」

 仁は眼鏡を押し上げた。

「荷物を運んだだけで、その後は知らないって。去年もそう言われて、今回も。そんなわけないでしょう。親にも黙って連れ出しておいて」

「口論に?」

「声が大きくなることは、ありますよ。答えないんだから」

 仁は立った。用事がある、と言って戸口へ向かうが、二人が動かないので戻った。

「怒ったら、殺したことになるんですか」

「当日の服を見せてもらえますか」

 成瀬の問いに、仁は自分の袖を見た。

「工場です。仕事着はそこで替えるので」

「今から伺えますか」

「片付いてないんです。日を決めてください」

「明日なら?」

「だから、こっちが連絡する。協力しないとは言ってません」

 仁は茶を飲んだ。昨日からどこが変わったのかと思い、戸崎は自分がもう一度も頷いていないことに気づいた。

 署へ戻ると、広瀬は工場へ入る仁のバンの画像を見ていた。弁当店のあとだった。

「会ったことと口論は認めました。服は工場。中を見るのは日を決める、と」

 戸崎が報告すると、広瀬は空いている椅子を指した。

「当日の衣類。首を圧迫したもの。それと、消えた仕事用端末。工場の捜索を請求する。供述の変わった所、映像と並べて出せ」

 戸崎は机へ向かった。成瀬があとから来て、弁当店の記録を横へ置いた。

「二つ、買っています」

「弁当?」

「飲物も二本。箸も二膳です」

 戸崎は写真の仁を見た。一人で暮らしていると言った。工場へはほとんど行かないと言った。

 携帯で元妻への文を打った。明日は行けない。送る前に、先に電話するべきか迷い、結局送った。

 返事は短かった。

 娘には自分で話して。

 戸崎は携帯を伏せた。机の向こうで成瀬が同じ映像をもう一度開いた。仁の車が工場へ入る。二人はその先が暗くなるまで見た。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人読書中
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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