空が白み、川向こうの家々に一つずつ明かりがついていた。
九月三日。宮下は写真館の前でエンジンを切った。隣の家の雨戸が開く。車を降りて会釈すると、女の人がこちらを見た。
「今日はゴミの日だから、そこは空けといてね」
「すみません。すぐ動かします」
宮下は車へ戻り、少し先の道路脇へ寄せた。工具を下ろす前に入口へ回った。昨日預かった鍵で錠を開けたが、ガラス戸が動かない。一度手前へ引いてから押すと、下の縁が床を擦った。
土足でいいと言われたのを思い出し、宮下は敷居をまたいだ。
明かりはついていなかった。待合室を抜けると、撮影室の窓から薄い朝の光が差していた。
撮影室の壁の時計を見ると、午前六時少し前だった。二脚ある椅子の低い方に男が座り、膝へ顔を伏せている。
「おはようございます。今日から入る内装屋です」
答えはなかった。
泊まったのか。そんな話は聞いていない。宮下は携帯で一枚撮り、会社の現場グループへ、〈人がいて作業に入れません〉と添えて送った。
「すみません。起きてもらえますか」
近づくと、ほどけた靴紐が床に伸びていた。返事を待ってから、宮下は男の肩に触れた。
男の身体が傾いた。支えようとしたが、作業着をつかみ損ね、男は椅子からずり落ちた。
横を向いた顔の唇が、黒い糸で縫われていた。両手の指にも糸が通っている。
宮下は一一九へ電話を掛けた。住所を訊かれ、会社の番地を答えた。違う、現場だ。名刺は車にある。店の名を言おうとして、壁から外された看板の跡しか浮かばなかった。川のそばの写真館だと繰り返すうちに、ようやく通りの名前が出てきた。
救急車が向かっている。そう聞いて電話を切ると、携帯が手を滑った。
拾わなければと思ってしゃがんだ。伸ばした指が震えて、止めようとしても止まらなかった。男の靴紐に触れそうになり、手を引いた。右の掌をズボンへ押しつけた。手袋をしていなかった。
隣でゴミ袋の擦れる音がした。宮下は戸口へ顔を向けた。
呼ぼうとして、喉が鳴った。誰か、と呼んだつもりだったが、声にならなかった。
少したって、男の靴先のそばで携帯が小さく揺れた。会社からの通知音が、薄暗い撮影室に鳴り響いた。