迎えのない朝

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CHAPTER 06 / 28

第五章 冬を越した箱

北原仁は、玄関で戸崎の靴を見た。

「暑いでしょう。その靴で一日歩くんですか」

「今日は、まだ二階分です」

「三階です。ここ」

「一階からなので」

 仁が笑い、廊下の段ボールを持ち上げた。側面に〈詩乃 冬物〉と書いてある。九月四日の朝、外の熱気に背を押されて入ると、冷房の空気が足元を流れた。

 部屋には冷茶が二つ出ていた。仁は箱を隣室へ入れ、椅子を勧めた。壁の写真では、制服姿の娘が卒業証書らしい筒を持ち、父親と並んでいる。娘の目だけが半分閉じていた。

「ひと箱便には、長いこと頼んでいました」

 仁は料金表を机へ出した。戸崎が手元の写しと同じだと答えると、紙を片づけずに中央へ置いた。

 北原工業は縫製を請け負っていた。注文が減って工場を畳み、今は残った建物の管理と小口の取引を続けている。写真館も、その一つだった。

「一人で細かい仕事を受けてくれるでしょう。うちみたいに中途半端に物が残ってる所は、助かったんです」

 成瀬が予定表を開いた。

「二日の十九時、写真館で約束をされていましたね」

「棚を見てもらう予定でした。ただ、延期しました。私の都合がつかなくなって」

「延期は、何時ごろに?」

 仁は携帯を手に取った。五時二十六分の発信。一分四十八秒。

「来週に、と言いました」

 成瀬が時刻を写す間、仁は画面をこちらへ向けて持っていた。

「宇津木さんは、そのあと一度家へ戻り、管理屋さんの仕事に行くと言って出ています」

 戸崎が伝えると、仁の腕が下がった。

「じゃあ、下見だけでもしておこうと思ったんでしょうね」

「延期したのにですか」

「そういう人でしたよ。頼んだ以上のことをしてくれる。寸法だけ測っといた、とか」

 仁は茶を勧めた。戸崎は口をつけた。成瀬の方は減っていなかった。

「内装業者へ鍵を渡したあと、北原さんも戻っていますか」

「戻りました。裏の戸締まりが気になって」

「何時ごろです?」

「七時前くらいかな。入口を見て、すぐ」

「宇津木さんとは?」

「会ってません」

 仁は携帯を操作し直した。

「私、そのあと駅前で弁当を買ってます。七時四十八分。電子決済なので、そちらも調べれば分かります」

「よく覚えていらっしゃいますね」

「昨日、警察から電話があって。何時に何をしたか訊かれるでしょう。レシートを探して、捨ててあったから、こっちを」

 画面が机へ置かれた。時刻だけが白く光っていた。

 写真館の鍵には青い印がついていた。束の中には工場の鍵もある。仁は一本ずつ机へ並べ、どの建物のものか説明した。捜査への協力を求められると、何でも、と答えた。

「工場は今、何にお使いですか」

 成瀬が印のない鍵を見て訊いた。

「布と機械が残ってるだけです。ほとんど行きません。電気も最低限で」

 仁は鍵をまとめた。

 成瀬が、詩乃さんには、と言った時に、携帯の画面が暗くなった。

 仁はそれを見て、指で一度たたいた。

「娘は去年から、行方が分からなくなっています」

「宇津木さんが、昨年十一月に詩乃さんの荷物を運んだ可能性があります」

 仁は眼鏡を外した。

「娘は、何を言ってるんですか」

「まだお会いしていません。仕事の控えを確認しています」

「……そうですか」

 眼鏡を拭くのかと思ったが、仁はそのまま握っていた。

 引出しから一枚の紙を取り出した。娘を捜すための紙だった。届出当時、二十五歳。壁の制服の写真より大人びた顔と、当時着ていた服、仁の連絡先が並んでいる。

「先月も配りました。見たという人がいたので。駅の向こうで」

「どなたですか」

「知らない人です。会社の問い合わせに、写真を添えて」

 小暮の店とは別の作業場所へ、詩乃に似た女が出入りしている。そういう連絡だったと仁は言った。

「小暮さんのお名前まで?」

「ええ。元から知ってる男ですけど。娘に縫い物をさせていたので」

「その連絡は残っていますか」

「あります。会社へ来たものは消すなと、瀬尾先生が」

 会社のことを相談している弁護士、瀬尾直人。仁は名前を教えたあと、送った人を調べるのかと訊いた。

「元の連絡を確認したいんです」

「誰がくれたかは、私も知りたいですよ。でも、娘がいるかもしれないと思ったら、先に探すでしょう。出どころを調べる前に」

 戸崎は頷いた。その順序は分かった。

 娘が家を出てからは、ここで一人で暮らしていると仁は話した。娘の部屋はそのままで、今日どけた冬物も、洗ってあるのだという。外で服の仕事をしたいと言い、家を出た。北原工業にもできる仕事はあるが、家でまで父親と顔を合わせたくなかったのかもしれない。仁は先に自分への批判を口にして、眼鏡を掛けた。

「分かりますよ。私も若い頃、家に帰ってまで仕事の話は嫌でしたから」

「最後に話したのは、いつです?」

 戸崎が訊いた。

「家を出た夜です。帰ってくるよう言いました。あの子は、自分から連絡すると。そのままです」

「電話は?」

「もうつながらない。変えたんでしょうね」

 冷房が止まり、部屋の中が急に静かになった。

「毎日掛けたいわけじゃないんです。大人なんだから放っておけと言われますけど、大人なら、電話くらい出るでしょう。無理なら、あとからでも」

 戸崎は自分の携帯を思い出した。何の用、と娘から返ってきた時、声を聞きたいだけだと書けなかった。あの子の暮らしの中にはもう、こちらの知らない食事や風呂の時間がある。

「その電話で、詩乃さんはほかに何と言っていました?」

 成瀬が訊いた。

「連絡するって。今、話しましたよ」

「帰るようにと言われて、どう答えたかを」

「そんなに正確には。去年のことですから」

 仁は戸崎の方へ向いた。戸崎は運搬記録の写しを出した。

「ミシンも運んだようです。持っていったのは御存じでした?」

 成瀬のペンが止まった。戸崎は気づいたが、紙を戻さなかった。

「初めて聞きました」

 仁は写しへ目を落とした。

「それは私が買ったものです」

「詩乃さんが使うために?」

「もちろん。でも、家の物でしょう。黙って持っていくのは。泥棒だと言うつもりはありませんよ、娘に」

「宇津木さんに、そのお話をされたことは」

「去年十二月に一度。何も知らないと言われました」

「最近は?」

 仁の口が閉じた。

「娘を見たという話があったから、知っているなら教えてほしいとは、思いました」

「二日の電話でも?」

「電話では仕事の話だけです」

 成瀬が書き終わるのを、仁は待った。それから小暮の住所と番号を渡した。娘に仕事を回し、父親には居場所を知らせない男。仁の手帳には何度もなぞった名前が残っていた。

「小暮さんを、疑っているんですか」

「宇津木さんの関係を調べています」

 戸崎が答えた。

「娘が見つかったら、連絡はしてくれますよね」

 はい、と言いかけた時、成瀬が口を開いた。

「御本人の意思と安全を確認します。成人されているので、居場所をそのままお伝えすることはできません」

「無理に連れ帰れと言ってるんじゃないんです」

 仁は薄く笑った。

「元気かどうか、それだけです。そこまで警戒されるようなことですか」

 戸崎は茶碗を机へ戻した。飲み切っていた。

 帰り際、仁が冬物の箱を廊下へ出した。寒くなれば戻ると思っていた、と言った。

「冬が一つ、終わってしまった」

「帰れると、いいですね」

 戸崎が言うと、仁は初めて目を細めた。

「お子さんは?」

「娘がいます。まだ小さいですけど」

「今のうちですよ、口を利いてくれるの」

 戸崎は笑った。階段へ出たあとで、その笑い方を成瀬に見られたかと気になった。

 一階分下りても、彼女は何も言わなかった。

「さっき、娘さんの電話を詳しく聞いても、あれ以上は出なかったと思いますよ」

 戸崎の方から言った。

「どうでしょう」

「覚えてないと」

「戸崎さんがミシンの話に移ったので、聞くのをやめました」

 成瀬は足を止めずに言った。戸崎は手すりへ置いた手を離した。

 あの時、仁がこちらを向かなければ何を訊いただろう。今さら思い出しても、選ばなかった方の質問は出てこなかった。

 車へ戻ると、別班から映像の報告が来ていた。

 弁当店の十九時四十八分は確認できた。その前、十九時三十一分、写真館側から駅方向へ向かう白いバンも残っていた。ナンバーの末尾二桁は仁の車と一致する。

「七時前に、入口だけ」

 成瀬は手帳の文を読み上げた。戸崎は画像を次へ送った。

 二十時二分。裏手から大通りへ出る男がいた。顔は暗く、帽子のつばしか分からない。作業着の背と腕に、二本の反射材が光っていた。

「工事の人ですかね」

「服だけでは。照会してもらいます」

 成瀬は画像番号を書いた。

 戸崎はエンジンを掛けた。仁が時刻を向けたまま置いていた携帯と、どけた冬物の箱が、同じ部屋にあったことを考えていた。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱読書中
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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