迎えのない朝

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CHAPTER 15 / 28

第十四章 片方の補助輪

土曜の朝、電話番を替わる者が来ず、戸崎は椅子に座ったままパンの袋を開けた。

 父親を出すからだ、という電話が続いた。テレビの中でも、仁が車に乗る同じ映像が流れる。少し前まで世間が欲しがっていた顔を、自分も欲しがっていた。

 次の電話は、不審な車だった。

「何色ですか」

 戸崎が訊くと、相手は、さっきも言ったと怒った。別の番号へ掛け、ここを教えられたらしい。

 もう一度住所から聞くと、車は隣家へ来た工事業者だと分かった。確認した担当者から返事が来た時には、パンの断面が乾いていた。

「替わります」

 成瀬が戸崎の机へ紙を置いた。

「先に食べてください。読んでると食べなくなるので」

「そんな顔してます?」

「昨日、半分残ってました」

 戸崎は袋を持ち直した。成瀬は次の着信を取り、名乗り始めた。

 詩乃の通信記録だった。

 最初は、寝ることと食べることが書いてある。自分が今日できたことを、詩乃は一つずつ報告していた。パスワードを変えました。泊まれるところができました。御飯を二杯食べました。

 よかった、と相手は返していた。

 頁をめくると、仕事の値段と住所のことが増えた。宇津木に運んでもらった荷物。真知の台所。遠山のミシン。小暮の作業場所。

 戸崎はパンを食べ終えてから、もう一度最初の頁へ戻った。

「これなら、毎日来ますね」

 電話を置いた成瀬へ言った。

「一個できたって言ったら、ちゃんと返ってくる」

 六月には、納期のやり取りがあった。

 金曜日までならできますと送りました。

 返事をする前に見せてください。

 もう送ったんです。

 取り消せますか。条件を見てからにしましょう。

 翌朝、詩乃は待ってもらったと報告していた。

「量を見ないと、分からないです」

 成瀬が小暮への確認欄に日付を書き込んだ。

 七月十九日には、真知が迎えに行くと言ってくれた、と詩乃が書いていた。相手は、迎えに来る人が増えるほど自分で帰れなくなることもある、と返していた。

 その二日前、仕事の宣伝写真を送っている。元の画像は抜けていたが、返事は残っていた。

 窓は切った方がいいです。あなたの仕事だけ見てもらえばいい。

 公開された写真には巾着と指先しかない。戸崎は、仁の会社へ送られた粗い画像を隣へ置いた。窓越しの人影が、紙の上でも潰れている。

「元を持ってた人なら、場所を隠す前を見てる」

「支援担当が追加で聞いたところ、小暮さんにも仕事の相談文を渡したことがあるそうです。全部を、この一人だけが知っていたとは限りません」

 成瀬が別の紙を重ねず、離して置いた。戸崎はそれぞれの日付を見た。

 悟の描いた帰り道も届いていた。職場を出た映像はある。駅前から先の路地に映像がなく、南口へ着いた姿はまだ見つからない。通話は通信会社の記録でも十九時三十六分。接続した基地局の範囲には、南口も写真館も入る。

 戸崎は地図へ指を置いた。何も書かれていない部分を線で繋げば、歩いた気になりそうだった。

「午後、北原さんです」

 成瀬が言った。

「まだ書類が出ない?」

「見せるとは言っていません。話はする、と」

 戸崎は空いたパンの袋を丸めた。

 北原工業の事務所には、引取り業者の男が来ていた。

 仁は戸崎たちを入口で待たせ、男へ何度も、布の方は別だ、と説明していた。機械は日曜に予定どおり出してよい。段ボールは触らないでほしい。

「全部だと聞いたから、二人で来る手配したんですけど」

「布は、まだ見る人がいるんです」

 仁は伝票の一か所へ線を引き、控えを受け取った。男が出ていくと、ようやく二人へ椅子を勧めた。

「娘にも、確認したい物があるでしょう」

 座る前に言った。

「担当から訊いています。花柄の布は、捨てないでほしいと」

「あれだけじゃないんです。だから、見てもらわないと」

 戸崎はまだ椅子に座らなかった。仁が、どうぞ、と重ねてから腰を下ろした。

「水曜の夜に取りに来た書類、今日はありますか」

「経理の物です。家に持っていった分と、ここに戻した分がある」

「どれでもいいです。一つ見せてください」

「私しか分からない物なんです」

 仁は書類立てへ目をやったが、何も出さなかった。

「取引先へ片っ端から電話されると、困る。先生に範囲を確かめてからにしてください」

「では、瀬尾さんに。二十一時五十六分ごろから九分ほど、会社にいた。その時は一人ですね」

「何度も答えています」

 仁の指が伝票の上を擦った。線を引いた箇所で止まり、また反対へ戻った。

 成瀬は匿名フォームの話をした。八月十三日よりあとに、同じような連絡はなかったか。

「ありません」

「別の窓口へは?」

「ないです」

「受信する端末を確認させてもらえますか」

 仁は背を起こした。

「今ですか」

「同意をいただける範囲で」

「だったら、先生に聞きます」

 成瀬は引き下がった。戸崎には、また同じ扉が閉まった気がした。仁は伝票の控えを持ち上げ、取って代わるようにこちらへ向けた。

「娘には、業者も待っていると伝えてもらえますか。明日なんです」

「担当へ引取りの範囲を伝えます」

「だから、あの子がいつ来るか」

「来る話は、していません」

 仁は伝票を下ろした。成瀬は口を挟まなかった。

「皆さん、必要なところだけ訊くんですね」

 仁が言った。

「こっちの仕事も止まってるんです」

 戸崎は明日の業者の番号だけ控えた。

 真知と遠山については、知らないという答えだった。悟は真知の弟と名前を聞いただけ。会った覚えもない。

 外へ出ると、成瀬が車を開けた。

「俺、南口を見てきます」

「乗ってください。通れます」

「まだ気になるんです。混んでるって、どこから見たんだろうって」

 戸崎は助手席へ乗った。成瀬はすぐに車を出さず、業者の番号を担当者へ送っていた。仁から預かった用事も、それで動き始めた。

 夜、成瀬の妹から電話が来た。

 明日は無理だと伝える前に、もう分かっていると言われた。署の裏口へ出ると雨が降り始め、濡れるのを避けて軒下へ戻った。

「赤い缶は開けていい。写真だけ、残しておいてくれれば」

「中、写真なの?」

「たぶん」

「たぶん、なんだ」

 成瀬は黙った。妹は電話の向こうで何かを引きずり、ああ重い、と誰かに言った。

「お母さん、もう上の箱を下ろせないから。一緒に見ようって言ってるんだよ。捨てていいか聞いてるんじゃなくて」

「分かってる」

「分かってたら、全部こっちに決めさせないで」

 成瀬は雨の落ちる舗道を見た。母にも謝っておいて、と頼みかけて口を閉じた。

「次、空いている日が決まったら、こっちから言う」

「うん。缶も置いとく。お姉ちゃんのアイスは食べる」

「まだあったの」

「ある。お父さんの眼鏡だって、まだあるよ」

 そこは笑うところなのか、分からなかった。父が死んだ翌日、成瀬は眼鏡と読みかけの雑誌を袋へ入れた。母は眼鏡だけ取り出して、棚へ戻した。

 妹の方で電子音が鳴った。

「ごめん、洗濯。じゃあね」

 電話は切れた。成瀬が戻ると、戸崎が小会議室で段ボールを畳んでいた。

「それ、片付けます」

 手を出すと、捨てない、と止められた。

「娘のです。駅を作ってて。屋根が要るって」

 畳み損ねた蓋が浮いていた。成瀬が内側へ押すと、反対が起きた。二人で一度開き直した。

「先にこっち」

 戸崎が端を押さえ、成瀬が折り込んだ。ようやく薄くなった箱を、戸崎は椅子の横へ立てた。

「明日ですか」

「今週は行けないって言いました。約束する前に」

 成瀬は、そうですか、と答えた。訊いていない言葉を足すのが戸崎らしかった。自分も妹へ、来週なら、と言いかけた。

「遠山さんのところ、巡回した人に電話しました」

 戸崎は手のテープくずを丸めた。

「何て?」

「俺が言いかけたこと、謝りました」

 成瀬は顔を上げた。

「向こう、戻った時の話をしてくれました。何回も呼んだって。相勤の人と。俺、何も知らずに、あと少しって」

 テープが指へ貼り付き、戸崎は二度振ってゴミ箱へ落とした。

「掛けるまで長かったです。番号出して、二回閉じました」

 戸崎は箱を見た。

「三回目に、向こうが出なくて。もう今日はやめようかなって。そしたら、折り返してくれたんです」

「何て言うか、決めてました?」

「一応。でも、出たら、この間はすみませんでしたって。それだけになりました」

 成瀬は軍手を片方ずつ重ね、机の端へ置いた。

「あなたにも」

 戸崎が言った。

「本人が残るって言ったから、なんて。言ってないのに」

「言っていません」

「はい」

 戸崎は箱の浮いた角を爪で押した。そこはもう折れていて、押しても形は変わらなかった。

「俺が残ればって、今でも思います」

「私もです」

 成瀬が言うと、戸崎は手を止めた。

「先に聞いた方が、帰れたのかもしれません。どなたかに靴を渡してもらえないかって。姉のところへ行けませんか、より前に」

「言い出したら、きりがないですね」

 戸崎は顔を上げた。

「あなたが言ってるの聞くと、きりがないって思うんです。自分だと、そこだけなんだけど」

 成瀬は椅子の背へ手を置いた。すぐに次の話をする気になれなかった。廊下の向こうで電話が鳴り、誰かが慌ただしく取った。

 成瀬は箱を避けて椅子を戻した。明日の担当表を二人の間へ置くと、戸崎が自分の行を指した。

「これ、俺、午前にしてもらえますか。午後の方、あなたと行きます」

「担当へ聞いてみます」

 帰りは戸崎の車で駅まで送ってもらった。後ろの箱にシートベルトが掛かっていた。成瀬が見ていると、急ブレーキで潰すと怒られるんで、と運転席から言われた。

 改札を入ったところで、妹から写真が届いた。赤い自転車に補助輪が片方だけ残っている。

 これ、お姉ちゃんの? 私の?

 成瀬はホームの端を避けて立ち、画面を広げた。裂けた星のシールを覚えていた。

 私の。あなたにあげた。

 返事はすぐだった。

 もらってない。勝手に置いていった。

 妹が泣いて、父と二人で後ろを押した。大丈夫、足が届くんだから、と成瀬は何度も言った。そのことを書くと、違う、と返ってきた。

 足はついた。ブレーキに指が届かなかった。

 成瀬は写真のハンドルを見た。

 それはごめん。

 今?

 電車が入り、成瀬は笑ったまま乗った。写真を保存してから携帯をしまった。鞄を底から抱えると、切れかけた持ち手が指に当たった。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪読書中
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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