迎えのない朝

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CHAPTER 21 / 28

第二十章 手を貸す

飯島は成瀬を見ると、腕時計を示した。

「八時からです。九時には出ます」

「はい。お願いします」

「二人で来るって聞いてたから、椅子、借りてきたんですけど」

 事務机の前に、小さな椅子が二脚並んでいた。成瀬は自分の分だけ引いた。借り物の手提げを開けると、いつもの場所に内ポケットがなく、名刺入れが底へ落ちていた。

「戸崎は入院しています」

「ニュースの。そうか」

 飯島は椅子を一つ片づけた。机へ戻ると、帳簿に挟んだ紙を何枚か抜き、関係のない客名を隠した。

「小暮さんが何を言ったか、先に聞いていいですか」

「九月十日の夕方、倉庫で飯島さんへ現金を渡したと。今日は飯島さんが覚えていることと、記録を確認したいんです」

「何を覚えてたら、あの人は助かるんです」

 成瀬はペンを持ち直した。

「助かる方へ合わせなくて大丈夫です」

「合わせませんよ」

 帳簿を開く音が強かった。

「こっちは縫った分も払ってもらってなかったんです。売れ残りを買い戻すって、随分いい話にしてますね」

 飯島は日付を指した。成瀬が数字を写し終えるまで動かさなかった。

「無断で作らせた件は、別に伺います。この日、二人で数えたんですね」

「二枚合わなくて。あの人は箱が違うって言うし、こっちは数えて持ってきてるし。全部出しましたよ。床に」

「小暮さんが途中で外へ出たことは」

「出さなかった。何かあると、すぐ店へ戻るから。トイレもあとにしてくれって言いました」

 成瀬は駐車場の映像で確認した十八時二分と十九時八分を示した。飯島は鞄から受領書の控えを出した。金を受け取るまで帰らなかった、と言い、支払の欄を爪で押さえた。

 遠山が殺された時、小暮は飯島と倉庫にいた。

 確認した順に読み返すと、飯島は頷いた。奥から呼ばれ、今行く、と大声で返した。

「これ、写しをいただけますか」

「そこの機械で。ここ以外は伏せますよ」

 飯島が紙を重ねて立つと、机の下から糸くずが一つ転がった。

「守ってもらいたくて嘘をついたって、本当なんですか」

 成瀬は顔を上げた。

「どこから聞きました」

「店の子。うちにも納品に来ますから」

「その件は担当が確認しています」

 飯島は複写機の蓋を開けた。

「これで殺してないことになっても、払ってない金まで消えませんよね」

「消えません」

 紙が出てくるまで、飯島は機械に両手をついていた。成瀬は出来上がった写しを受け取り、九時になる前に作業場を出た。

 真知の勤務先では、寺田が貸出表を探していた。

 成瀬が台車について連絡したのは前日の夕方だった。寺田は、書類を探す前に一つ頼みたいと言い、真知のロッカーから出した会社の上着を紙袋で持ってきた。

「そちらも、返す先を確認します。それから、悟さんに貸していた台車を」

「すみません。どこへ頼めばいいか分からなくて」

 寺田は紙袋を置き、倉庫へ案内した。

 青い平台の台車が壁に立て掛けてある。取っ手の白いテープは新しかった。

「十一日に返ってきました。姉ちゃんのことがあったんだから、急がなくていいって言ったのに」

「貸したのは?」

「一日です。ここに名前があります」

 表には悟の字が残っていた。成瀬は台車と貸出表を撮影させてもらった。

「直して返してくれたんですね」

「ピン。抜けそうだったんですよ。あと、握るとこがねばついてたのを、巻き直してくれた」

 成瀬は取っ手を起こした。左右が揃って止まる。手を離すと寺田が平台を押さえた。

「前の写真は、ありませんか」

「台車だけの?」

「荷物と一緒でも」

「それなら、何かあるかも。真知、積んだら写真送れって、うるさかったから」

 寺田は携帯を出したが、画像を二、三枚送ったところで止まった。

「横しかないな。これ、見えます?」

「いただいて、見ます。正面もあれば」

「納品先にも聞いてみる。怒られるから撮ったやつが、役に立つんだ」

 倉庫を出ると、先ほどの上着がまだ机にあった。寺田は袋の口を広げ、畳み直した。成瀬は返却についての連絡先を、その場で担当に確かめた。

 恵の家へ着いた時、電話は終わっていなかった。

 食卓の上に取引先の名前が並び、終えたものには赤い線が引いてあった。恵は受話口を覆って成瀬を招き入れ、また電話へ戻った。

「はい。今後も、お受けできません。ええ、亡くなったので」

 成瀬は椅子の前で待った。恵が手で座るよう示し、聞いているうちに、その手が宙で止まった。

「そうでしたか。……いえ、私、聞いてなくて」

 電話が切れた。

 恵は座らず、開いた帳面を見下ろした。

「引越しを三回頼んだ人でした。最後、離婚で。急に出なきゃいけなくなって助かったって」

 赤鉛筆を取る。

「お礼、私に言われても」

 線を引かずに置いた。

「お待たせしました。仕事の控え、これです」

 厚い箱を成瀬の前へ寄せた。見せるための場所は空いたが、成瀬はすぐには開けられなかった。

「今の電話は、あとで印を」

「分かってます」

 恵の返事に、成瀬は手を引いた。

「ごめんなさい。昨日、同じ人に二回掛けたんです。夫が死んだのでって。二回」

 恵は箱の蓋を開けた。写真館の仕事は棚の下見で、追加の荷物は現場で決めることになっている。成瀬は前に確認した頁を脇へ置き、別の日の欄を見せてもらった。

 断った仕事の横に、ほかの業者の番号がある。長い走り書きは、運ぶ物ではなく電話した相手の話だった。

「宇津木さんは、頼まれると断りにくい方でしたか」

「断ってましたよ。腰が痛かったら。お酒飲んでても。いい人だったんでしょうって、聞かれるんですけど」

「会社で人に使われるのが嫌で、一人で始めたんですよ。そしたら、今度はお客さんが。夜でも来てって。で、帰ってくると、こんな時間まで使いやがってって、私に。知らないですよ、行ったの自分でしょう」

 箱の上へ落ちていた輪ゴムを、恵は帳面へ挟んだ。

「断ればいいじゃないって言うと、じゃあ誰が運ぶんだって。別の業者もいるでしょう。私、運んじゃ駄目なんて言ってないんです。ああ、違う。仕事の話ですね」

「聞いています」

「そうじゃなくて、どこへ行ったか、でしょう。ちゃんとあるんです。ここに」

 恵は帳面をめくった。

 成瀬は、一つの依頼の下に三度書かれた時刻を見た。話を聞いただけの日と、実際に運んだ日が違う。

「詩乃さんの時も、最初はお客さんだった」

「そうです。若いのに頑張ってるって。お金まで安くして。こっちも頑張ってるよって、私、言いました」

 成瀬の手元を見て、恵は付け足した。

「今の、書かなくていいです」

 成瀬はペンを置いた。

 恵が立ち、お茶を入れてきた。湯呑みを渡す手の先に、さっきの名前が残っていた。

「この人、終わってますね」

 赤鉛筆を持ち、成瀬を見た。

「はい。さっきの電話です」

 恵は名前を消した。その隣の番号を指で追い、受話器を取った。成瀬は控えを片づけ、冷める前にお茶を飲んだ。帰りの挨拶をする間も、恵は電話を耳から離さなかった。

 署へ戻ると、物流センターへ仁を呼び出した連絡が机にあった。

 二十時四十六分送信。会社の問い合わせフォームを使っている。

 詩乃が自分で話す。二十一時四十分ごろ、四番積込口。警察がいる所では会わない。来るかどうかは仁が決める。来るなら、前の封筒をそのまま持ってくる。

 成瀬はそれを、警察への通報の記録と並べた。そちらは二十一時六分だった。通報者は、手袋の小指が黒い糸で結ばれていることまで告げていた。

「警備員の方、自分が見に行ったのが悪かったのかって、何度も」

 再聴取した刑事が、椅子に手を掛けて話した。

「同じ病室の人に、棚の袋を取ってと言われて、ナースコールを押したそうです」

「腕が使えなくて?」

「右で取れた、と。会社には言わないでほしいと言われました」

 成瀬は頷いた。受け取った記録の最初へ戻った。呼ばれて行き、殴られ、助けを呼ぶと言われて待った。声は普通だったという。

 この話を戸崎に伝えるべきだろうか。病棟へ電話しようとして、携帯に表示された次の予定を見た。

 過去の公開投稿を調べ、サービス側を通して聴取への協力を求めていた。その一人と、電話の約束をしていた。

『辞めてませんよ。今も、そこで働いてます』

 相手は退勤したところだった。途中で同僚に挨拶する声が入り、成瀬はペンを止めて待った。

 詩乃の相談相手は、初めには自分も困り事を投稿していた。返済できない金について質問し、返せる日と連絡する日を一緒にしなくていい、と教えられた。その後の礼も残っている。電話を掛けた。怒られなかった。

 回答する側へ回ってからも、最初のうちは似た助言が多い。

 今、話している女性にも、給与の内訳を確かめた方がいいと教えていた。女性はそれを役立て、就職先を決めた。礼のあとには、条件を見せて、まだ辞退できる、と繰り返し投稿されている。

「条件は、ご自身で確かめたんですね」

『会社でもらって、家で見ました。でも、給料がいつ入るか分からなくて。今さら聞いたら、採用やめるって言われないかなって』

 成瀬は、回答の写しへ日付を書いた。短い文が三つ続いていた。最初は問いだった。今の部屋の支払いには、間に合いそうか。

『聞かなきゃ、そこ分かんないですよね。何日って教えてもらって、家賃に間に合うって、その人にも返したんです。おかげで電話できましたって』

「そのあとも、条件を送るように言われた」

『そうです。だから、全部見て自分で決めましたって。採用の人にも、行きますって言ったあとで』

 向こうで風の音がした。

『一回だけ、まだ考えてますって書きました。決めたって言うと、また来るから。そしたら、じゃあ明日続きをって。私、次の日はもう仕事だったんです』

「そのあと、返事をやめたのは」

『何を返せばいいんですか』

 成瀬は答えられなかった。

『教えてくれたことは助かったんです。でも、辞めた方がいいって、もうその話になってて。昼休みに開いて、閉じて、また開いて。午後はロッカーに入れました』

 向こうで駅の放送が鳴った。

『これ、あの人に話すんですか。まだ仕事辞めてないって』

 成瀬は記録の扱いを説明し、今後の連絡方法も確かめた。通話を切ってから、日付の並ぶ資料へ目を戻した。

 返事の来なくなった人は、ほかにもいる。

 詩乃は翌日も書いた。その次の日も。長い文の最後に、これでよかったでしょうか、とあった。

 成瀬は病院へ掛けた。今日は面会を見合わせてほしい、と告げられた。事情を聞くと、容体が悪化したわけではないという。それを確かめてから切った。

 戸崎へ送る文を開いた。三軒、行ってきました、と打ち、数え直した。三軒とも、仕事をしていた。自分が帰ったあとも、まだ。

 明日、資料を届けます。

 そう足して送った。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す読書中
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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