火曜日の昼、小暮はレジに受取票を並べた。
戸崎たちが周辺と店内を確かめる間、入口で待っていた。中へ入ってもシャッターの方を何度も見たが、従業員が来ると、忙しそうに票を繰り始めた。
「これ、金曜の。仕上がったやつから、返す時間を」
「上着の話だって聞いて来たんですけど」
女は鞄を下ろさなかった。
小暮は、一番上の票を作業台へ持っていった。グレーの上着はもうなかった。日曜、彼女が警察へ電話を掛けていた場所へ立ち、紙の端を指で伸ばしている。
「先に話したいことがあります」
いつもの客への声だった。女の眉が寄った。
戸崎たちは少し離れたが、店の外へは出なかった。
「俺がやった。悪かった」
小暮が言った。
女は、何を、と訊いた。小暮が上着だと答えると、鞄を肩に掛けたまま動かなくなった。
「あれ、返す服です」
「分かってる」
「分かってないですよ。私、日曜も昨日も、あの人に電話して」
声が途切れた。小暮が手を出すと、彼女は一歩下がった。
「うちの売物ならよかった、って話じゃないけど。でも、何であれなの」
「たまたま、そこにあったから」
小暮は言い、しまったというように口を結んだ。女は長く彼を見た。
「その電話、今からしてください。お客さんに」
「それは俺がする」
「今からです」
戸崎が、確認した内容を担当へつなぎ、返却については別途説明が要ると伝えた。女は頷いたが、小暮から目を離さなかった。
小暮は受取票を探した。番号を押す前に、一度、別の票を取り直した。
「小暮です。上着の件で、私からお話しなければならないことが」
従業員はその声を聞いてから、奥の納品袋を集めた。戸崎が手を貸そうとすると、自分で分かります、と断った。
電話は長かった。小暮は途中から座り直し、返事を一語ずつ繰り返した。女は金曜の納品に必要な品だけを鞄へ入れた。
「約束した分は、行きます。次の分は、頼まないでください」
通話を終えた小暮へ言った。
「もう、来ないってこと?」
「今、決めろって言わないでください。別の店にも、仕事あるか聞いてるので」
小暮は頷きかけ、そのまま止まった。
成瀬が紙を一枚差し出した。詩乃からの販売停止の申入れだった。小暮は二度読み、従業員にも見せた。
「無断で作らせた分は、売場から下げる。他所に出したのも、俺が連絡する」
「詩乃さんが縫った方は?」
「本人に聞く。それまでは、どっちも」
女は青い鳥の袋をレジの下へ移した。小暮は止めなかった。
倉庫は店から歩いて一分もなかった。
小暮は鍵を開けると、先に入って箱の送り状を見始めた。詩乃の紙を胸ポケットから出し、箱と見比べ、また畳んだ。
「飯島さんには、先に俺から電話させてください」
成瀬が、品を下げる連絡ですかと確かめた。
「向こうへは、了解を取ったって言いました。詩乃さんの。警察から先に言われたら、もう」
彼は番号を出したまま二人を見た。戸崎が頷くと、棚へ携帯を置き、スピーカーを入れた。
「あとで同じ話するより、聞いててください」
飯島は出先だった。小暮が販売を止めたいと話すと、在庫はそっちへ渡しただろう、と返った。
「出してもらった店もあるでしょう。あっちも」
『本人と話がついた、って言ったのはあなただよ』
「すみません。金、渡せてなくて」
『金だけなの?』
小暮は青い鳥の袋を箱から出した。
「作ることも、まだ」
電話の向こうで、車のクラクションが鳴った。飯島は何も言わなかった。小暮がすみませんと繰り返すと、あとで掛け直す、と答えた。
成瀬が名乗った。先週木曜、小暮と一緒にいた時間についても伺いたいと告げると、飯島は声を落とした。代金を受け取ったことは認めた。小暮が脇から「十八時には来てたでしょう」と言い、成瀬に手で制された。
『帳簿を見ないと。ほかのお客さんまで見せるのは困りますけど』
「必要な日付をお伝えします。九月十日です」
『明日は外です。木曜、九時までなら』
「八時に伺います」
通話が終わっても、小暮は携帯を棚へ置いたままだった。
「ATMで下ろして、払ったんです。七時すぎまで一緒にいました。そこは、ほんとに」
「飯島さんにも確かめます」
成瀬は木曜の予定を書いた。
家庭用ミシンと折り畳みの作業台が、窓に向けて置いてあった。脚の下に厚紙が畳んで挟まれ、床を拭いたあとも、その周りだけ埃が残っている。
「三月くらいから、詩乃さんに使ってもらってたんです。週一、二回。父親の知り合いが店へ来るから、こっちならって」
小暮は作業台へ袋を並べた。同じ鳥の柄がいくつも出てきた。
「一人で作れる数じゃ、置いてもらえない。本人にも分かってもらえると思ってた」
「見せるだけ、と話したんですね」
「そうです。でも、店を探して歩いたのは、俺です」
戸崎が宇津木の未収伝票を開くと、小暮は声を止めた。
「八月十一日に運んだ分ですね」
「三万六千。払います。奥さんへ」
「この日、詩乃さんとも会っていますね」
「はい。ここで」
小暮は伝票を見たまま、真知にも払えと言われた、と話し始めた。
火曜の夜、戸崎たちが真知の家を出たあと、詩乃へ渡す金を持って訪ねていた。預かってもらおうとしたが、受け取ってもらえなかった。
「自分で渡せって。いつまで人を通すんだって、弟にも同じこと言ってると。俺に言うなって、思ったけど」
「帰ったのは?」
「九時すぎです。長くはいません」
「その間、真知さんは携帯を使っていましたか」
「寺田って人に返してました。冷蔵が先だとか。俺が話してるのに、ちょっと待てって」
真知の携帯にも、二十時四十二分の送信が残っていた。戸崎は寺田の画面を見せてもらった頁へ、小暮の話を書き足した。
成瀬が二つの夕方の時刻を担当へ送った。小暮は紙を畳もうとし、未収の伝票は戸崎の物だと気づいて手を引いた。
鑑識員が棚の下段を確かめると、黒い業務糸が二本出た。同じ銘柄だからといって、どの現場へ渡ったかは分からない。購入記録と使い方を確かめると、小暮は箱単位で買い、必要な者が取っていたと答えた。
戸崎が相談記録にあった写真のことを訊くと、小暮は窓を指した。外から作業姿を撮ったのは、店の従業員だった。七月、詩乃が宣伝用に使いたいと頼んだ。元画像は店のパソコンにも残るという。
「本人へ渡したのと同じ物ですか」
「そのままです。窓、切る前の」
戸崎は裏へ回った。庇の下に鳥の巣の跡があり、窓から作業台が見えた。詩乃がここに座っていたら、顔を上げても撮る相手はすぐ分からなかっただろう。
店へ電話すると、従業員は写真の件を覚えていた。自分の仕事を見てもらいたいと言われて撮った、と答えた。
「それも、調べるんですか」
「元の画像を確認したいんです」
「詩乃さんには、そう言ってください。勝手に撮ったんじゃないです」
戸崎は分かりましたと答え、担当に原画像の確認を頼んだ。小暮は電話が終わるまで箱のそばに立ち、女が自分のことを何か言ったかと訊いた。言いませんでした、と答えると、俯いた。
小暮は詩乃の作業台の引出しを開けていた。本人へ返す物と店の伝票を分けていると、六月の注文票が出てきた。戸崎が、金曜までと約束してから返事の変わった仕事かと確かめると、小暮はズボン三本だと答えた。
「無理な量ですか」
「あの子には、そうでもないです。だから最初はできるって言ったんでしょう。単価も前と同じでした」
「待ってほしい理由は」
「誰かに聞いてるって。何が駄目かも、まだ分からないって。結局ほかへ頼みました。金曜の客は、待ってくれないので」
単価を変えた時は、匿名の相手からの文を見せられたという。ほどく作業と縫う作業を別に数える。小暮はその助言には従っていた。
「面倒な人、挟むなって言いました。仕事の話くらい、自分で返事してくれと」
小暮は作業台を見た。
「あれも、言い方、悪かったんでしょうね」
「その時のやり取りも、残っていますか」
成瀬が尋ねると、小暮は携帯を取りに戻った。料金を変えた方の文も、と言われ、そっちも出します、と答えた。
店へ戻ると、従業員はもう帰っていた。引継ぎの紙と、金曜の納品の控えがレジの上にあった。
小暮はそれを読んでから、白い紙へ臨時休業と書いた。下に電話番号を足し、しばらく見た。
「留守電、聞きます。毎晩」
誰にともなく言い、ガラスに貼った。
小暮は旅行鞄の口を閉じ、ミシンの電源を抜いた。窓を一つずつ確認してから、入口へ戻った。
「今日のこと、担当が改めて聞きます」
戸崎が言った。虚偽の通報に至った経緯の確認は、これで終わらない。
「はい」
小暮はシャッターの紐を握った。
「でも、今度、本当に何かあったら」
「連絡してください」
「また俺だと思うでしょう」
戸崎は、そんなことはない、とすぐには答えられなかった。
「何が起きたかを、調べます」
小暮はそれを聞いてから紐を引いた。最後の隙間が閉じるまで、中を見ていた。
本人を送り届けた班から、安全確認の連絡が来た。今後の警戒についても、そこで説明することになった。納品は従業員が引き受けた分だけ。今後の外出は、先に相談する。
同じ日の夕方、映像を見た担当から返事が来た。真知の家の向かいの医院で、小暮の車が退出したのは二十一時九分。真知の姿は写っていない。倉庫の管理人が持つ映像では、木曜の飯島の車は十八時二分から十九時八分まで駐車していた。車を置いていた間のことは、飯島の話を待つことになった。
戸崎は署へ戻る車で目を閉じた。明日、その店を開けてよいとは、言ってこられなかった。
二十一時十三分、旧物流センターへ警察官が向かっていると本部へ連絡が入った。
匿名通報。警備員が襲われ、意識はある。事務室のそばに、黒い糸で繋いだ作業手袋が置かれている。
「また糸か」
誰かが言った。戸崎も一瞬、小暮の作業台を思い浮かべた。
無線担当が続報を復唱した。
「左右の小指だけ、と入っています」
成瀬が顔を上げた。
戸崎は椅子から立っていた。
「小暮さんは」
「確認できてる」
広瀬が別の電話を取ったまま言った。
「行け。けが人がいる」
戸崎は上着を掴んだ。小暮の店のことを考えていた数秒が、妙に長く感じられた。
車に乗ると、彼女は旧棟の図面を出した。海側に三つの積込口がある。戸崎は四番の位置を確かめ、無線の音を大きくした。