迎えのない朝

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CHAPTER 17 / 28

第十六章 返す服

月曜の朝、小暮の店の従業員から、客が怒っていると電話が来た。

『警察へ預けたなら、警察へ電話するって。番号、お伝えしていいですか』

 戸崎は担当の窓口を教えた。女は番号を読み返してから、黙った。

「何か、ほかにも?」

『怒ってるの、お客さんだけじゃないです』

 戸崎は受話器を持ち直した。

『昨日、小暮さんから電話来て。別の上着を貸せばって。あれ、お母さんのだったそうなんです。今まで大きすぎて着てなかったけど、仕事へ着ていけるようにって、袖だけ直すことになって』

「そうでしたか」

『貸せばって、そういう話を、私がするんですか』

 向こうで息を吸う音がした。戸崎は店長とのことには答えられず、確認が済んだら返却について担当から連絡すると伝えた。

『昨日の写真、送ります。返す時、形、見たいでしょうから』

「昨日?」

『小暮さんから来たやつです。袖を上げたので、これでいいかって。電話でも言いました』

 戸崎は手帳を開いた。九時すぎにも寸法の写真、と自分で書いていた。あの上着と同じだとは、そこで確かめていなかった。

 届いた画像の前には、小暮からの短い文があった。

 このくらいで合ってる? 左右そろえた。

 九時七分。グレーの上着がハンガーに掛かり、左右の袖は離れている。

 戸崎は電話を切らず、写真を撮った時刻か、送った時刻かも確認させてほしいと頼んだ。女は自分には送られた時しか分からないと答えた。

「そうですね。まず、やり取りをそのまま残してください」

 小暮は八時半に、糸で繋がれた上着を入口で見つけたと言った。

 戸崎が画像を見ていると、成瀬が面談の時刻を告げた。彼は写真を担当へ転送し、上着をほどいてから縫い直した可能性も確認してほしいと添えた。

「本人へ、今訊きますか」

「帰ってから。詩乃さんを待たせたくないです」

 戸崎は鞄を取った。携帯にはまだ上着の写真が出ていた。画像を閉じ、従業員の電話番号を手帳に控えた。

 詩乃は紺の半袖を着ていた。

 机には紙包みがあり、袖の形をした布が載っていた。片方を表へ返し、また裏返している。二人が入ると、それをまとめようとした。

「そのままで」

 戸崎が言った。

「先週頼まれた物ですね」

「はい。でも、どっちからほどいたか、分からなくなって」

 白い点々が布の端へ並んでいる。戸崎には両方とも縫い跡に見えた。

「前の写真は」

「撮ってないです。自分のなので」

 詩乃は布を広げたまま、椅子を引いた。支援担当者も座った。今日は医療機関の職員は同席していない。

 成瀬が時間を確かめ、工場から助けを求めたか、短く確認した。

 八月十六日の休業連絡は本人が送っていた。父が横にいた。その後の無事を伝える文は、自分で書いたとは言えない。宇津木、真知、遠山へ、来てほしいという送信はなかった。父の電話や、ほかの人を通じて頼んだこともない。

「真知さんへ言ったら、来ると思っていたんですね」

「父が、調べるから。来た人の家も、会社も」

 詩乃が指で布の端を折った。

 成瀬が次の紙へ手を掛けた。戸崎は先に口を開いた。

「前に迎えに行く、手伝うと言ってくれた時、誰が聞いていたかを教えてください。一人ずつでいいです」

「何を、調べるんですか」

 詩乃は布から手を離した。

「約束したのに、工場へ来なかった。そのことを、犯人が――」

「真知さんは、来ましたよ」

 戸崎は言葉を止めた。

「駅まで。道、分からなくて。車で来てくれました。電話したら」

「ええ。それは」

「宇津木さんも。あの人が運ばなかったら、ミシン、持って出られなかったです。遠山さんは、私、頼む言い方も分からなかったけど」

 詩乃の声が途切れた。支援担当者は水を寄せたが、彼女は取らなかった。

「その話、もうしたと思うんですけど」

 成瀬が記録の前の頁を開いた。引越しの日、泊めてもらった夜、ミシンを直した時。それぞれの欄を、詩乃の方へ向けた。

「残っています」

 詩乃は読んだ。

「あったら、何で、来なかったって」

 成瀬の指が紙の上で止まった。

「そのつもりで言ったんじゃ――」

 詩乃は戸崎を見た。

「じゃあ、何を知りたいんですか」

「すみません。助けてもらった話を、ほかに誰が聞いていたかです。電話でも、文章でも」

「相談の人には、書きました。誰に何をしてもらったか。あの人たちには、送らなかった。工場のことは」

 戸崎は記録した。詩乃はその手元を見ていた。

 いくつか、同席していた人の名も出た。三人が一度に約束した日はなかった。ばらばらの用事の途中で、困ったら言いな、と言われた。詩乃は思い出せない箇所を、思い出せないと言った。

 戸崎はそこを空けた。

「あの袋は」

 詩乃が自分から言った。

「持ってきてもらえましたか」

 青い鳥の巾着は、支援担当者の前にあった。

 小暮の別の取引先から提供された品だった。詩乃は受け取ると、表の刺繍を一度見ただけで裏返した。口へ指を差し入れ、縫い代を引き出す。さっき自分の袖を見ていた時とは、手が違った。

「これ、私が縫ったのじゃないです」

「どこで分かりますか」

「ここ。端、こうするとほどけるので、私はもう一回折ります。説明、したんですけど」

 詩乃は紐を引き、また緩めた。

「誰に?」

「小暮さん。見本を渡す時。これだと面倒だから、数はそんなに作れないって」

「ほかの方に作ってもらう話は」

「聞いてません。置いてくれる店を探すって。だったら見せてもいいって言いました」

 詩乃は袋を机へ置いた。青い鳥の羽の先が丸い。戸崎が手を出すと、その前に彼女が引き寄せた。

「返すんですよね」

「確認が済んだら、担当へ」

「じゃあ、もう少し」

 誰も取らなかった。

 詩乃は紙を一枚欲しいと言い、支援担当者から受け取った。ペンを持つと、何て書けば、と口にし、その先をやめた。

「今、売るのを止めてほしいです」

「そう伝えるんですね」

 支援担当者が答えた。

「はい。お金のこと、まだ分からないので。まず、これを」

 詩乃は小暮の名を書き、二行で止まり、読むために少し紙を離した。自分で一語を書き直した。

「直接渡すのは、今日は無理です」

「お預かりできます」

 成瀬が答えると、詩乃は紙を自分の側へ寄せた。

「写し、もらえますか」

「もちろんです」

 その返事で、ようやく手が離れた。

 机を片付ける時、戸崎は自分の手帳に一行書いた。約束じゃない、頼んだら来た。書いてから、前に書いた〈来なかった〉へ線を引いた。

 詩乃は袖の包みを抱え、部屋を出た。帰ってから続きをほどくのかどうかは、聞かなかった。

 小暮は避難先から電話で、上着の写真は昨日撮ったと答えた。

「九時七分に、送ってますね」

 戸崎は車を停めてもらい、時刻を読み上げた。

『そうです。写真は、それです』

「脅しを見つけたのは、八時半と聞いています」

『何時かまでは、はっきりしないです。昨日あんなことになって』

「昨日は、店を開けた時、と」

 小暮が黙った。

「糸を一度切りましたか。それから、写真を撮った?」

『明日、戻れるんですよね』

 戸崎は助手席の膝へ資料を置いた。

「店の中を、一緒に確かめます。糸は」

『俺が縫ったんです』

 戸崎は携帯を耳へ押し当てた。運転席の成瀬がこちらを見た。

『あれは、俺が。だから、誰も店へ入ってないんです。鍵も盗られてない。だったら、あそこで仕事しても』

「紙も、小暮さんが?」

『はい』

 その先を待つと、小暮は、警察にいてほしかったんです、と言った。

『表に人が見えない時があるでしょう。交代なのか、もう帰っちゃったのか、俺には分からない。遠山さんのところだって……ずっと店にいてもらえたら、閉めなくてよかったから』

 戸崎はペンを取った。写真を送ってから糸を通したのかと尋ねると、そうです、と返った。従業員を呼んだのも、自分では通報しにくかったからだという。

『テレビで見たのを。それだけです。人に何かしたとか、そういうんじゃ』

「今伺ったことは、担当にも伝えます」

『待ってください。ここにも来なくなりますか』

 今度の声は小さかった。

「今の警戒を、この電話でやめる話はしていません」

『でも、店は』

「明日、決めた時刻に伺います。今日、このあとどうするかは、そちらの担当と話してください」

 成瀬が携帯を受け取った。小暮が一人で帰らないよう、そばにいる担当者へ代わってもらい、今の話と明日の予定を伝えた。

 再び小暮に代わると、彼女は倉庫にも行きたいと言った。

『誰に聞いたんです』

「詩乃さんから。見本の件で、ご本人から預かった文もあります」

 長く返事がなかった。

『あの人には、俺から言います。上着のこと。従業員に』

「いつですか」

『明日、店で。電話だと、切られるかもしれないから』

 成瀬は従業員にも来てもらえるか確かめると答えた。電話を切ったあと、戸崎へ携帯を返した。

 画面にはまだ、袖の離れた上着が出ていた。戸崎は画像を閉じ、朝に教えた返却窓口へ電話を掛けた。先に伝えなければ、客はまた、何も知らない者に同じ話をさせられる。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服読書中
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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