迎えのない朝

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CHAPTER 20 / 28

第十九章 一人分

電話を掛ける用事を、成瀬は手帳から探していた。

「明日の八時です。飯島さん。帳簿を見る約束が」

 午前三時だった。署で電話を取った捜査員が、明日というのは今日か、と訊いた。

「木曜日です。すみません、十七日です」

『分かりました。戸崎さんの手帳にもありますか』

「私が取りました」

『じゃあ、そっちを回してください』

 通話を終えると、手術中の表示がまだ赤かった。時刻を書き送った。送信済みになったあとも、文章の頭にある木曜日を見ていた。さっきから、日にちがうまく数えられない。

 廊下の向こうに戸崎の家族がいた。成瀬は挨拶した時の姿勢のまま、そこから離れた椅子に座っている。娘には何と伝えたのだろう。訊いてよいことなのか分からず、訊かないまま何時間も経った。

 海側へ行ってください。自分の声だけは、何度思い出しても同じだった。そのあとに付けた、誰かと一緒に、も。

 二人います、と戸崎は言った。

 成瀬は膝の鞄から携帯を出した。今しがた送った文が開いていた。ほかにしておくことはないだろうか。何か一つ思いつけば、その間だけ表示を見ずに済む。

 広瀬が自販機から戻り、隣の椅子へ缶を置いた。

「飲め」

「ありがとうございます」

「帰ったら三時間寝ろ。午前の確認は俺が振る」

「仁には私が」

「今、決めるな」

 成瀬は缶を取った。熱くて、膝へ戻した。

 三時十二分、赤い表示が消えた。

 医師の説明を、成瀬は家族の後ろで聞いた。出血は止まった。命に関わる状態は、ひとまず越えた。左脚と骨盤周辺には損傷があり、今の段階で回復の程度は言えない。

 ひとまず、というところをもう一度訊きたかった。前に立っている家族が質問をし、医師が答えた。成瀬はそのやり取りを聞く側へ戻った。

 椅子の鞄を取る時、持ち手が切れた。

 片方だけ手に残り、本体が床へ落ちた。音が大きかった。ファイルが半分飛び出している。成瀬はすぐしゃがみ、紙を押し戻した。表紙の角がファスナーへ引っ掛かった。

「持つから」

 広瀬の手が伸びた。

「待ってください」

 切れたところを合わせた。毛羽立った布が重なる。指を離すと、持ち手はファイルの上へ垂れた。

「成瀬」

「分かっています」

 自分でも驚く声だった。広瀬の手が止まった。

 分かっている。直らない。この場で押さえていても。口を閉めようとするとまた布が挟まり、成瀬はそれを引っぱった。余計に裂けそうで手が止まる。

「……少しだけ」

 広瀬は何も言わず、鞄の口を持ち上げた。成瀬が布を中へ入れる間、支えていた。

 車へ乗る時は、底を抱えた。助手席の足元へ置く場所があるのに、膝から下ろせなかった。

 休憩室のソファで目を閉じたはずだった。呼ばれて起きると、成瀬の携帯には六時十九分と出ていた。

 仁の車内から押収した封筒が開けられていた。

 写真の中に、黒い糸と鍵がある。

「真知さんの部屋ですか」

「確認が取れた」

 広瀬は封筒自体の写真も出した。押収時には封が閉じている。開封の痕跡については引き続き確認するという。

 仁が持っていた。車の中に。昨夜、娘に会うと言って突っ込んできた車に。

 成瀬は写真を机へ置いた。

「この鍵で入った人が、仁とは限りません」

「分かってる」

「真知さんの時は署にいます。遠山さんの時は瀬尾先生の――」

「成瀬」

 広瀬が彼女の椅子を引いた。

「誰に言ってる」

 成瀬は立ったまま、ホワイトボードを見た。仁の名前があり、その下へ昨夜の日付が追加されている。

「本人に聞きます」

「途中で代わる。そう言ったら代われ」

 成瀬は頷き、用意されていたパンを取った。袋を開けると、思ったより口が乾いていた。

 仁は鍵の写真を見て、先に封筒の方へ手を伸ばした。

「これ、開けたんですか」

「あなたの車から押収した物です。中は、これでした」

「そうですか」

 仁が写真を押し返した。

「瀬尾先生は」

「接見の申入れが来ています」

「先に会わせてください」

 成瀬は記録係へ目を向け、確認を頼んだ。戸口が閉まるまで仁は黙っていた。そのあとで、封筒へ視線を戻した。

「手紙かと思ってたんです」

「誰の」

「娘です。俺には言えないことを、書いたのかって」

「どこで受け取りました」

「会社。先週です」

 問いを重ねると、仁は携帯を見れば分かる、と何度も言った。送り主のアドレスはその都度違った。以前、娘の写真を送ってきた者と同じだと思った。封筒はそのまま持っておけと言われ、昨日は持参するよう求められた。

「開けなかったんですか」

「開けるなって書いてあった」

「その人に言われたから」

「詩乃が説明するって。本人が」

 仁はそこだけ顔を上げた。

「鍵だったんですね」

「川瀬真知さんの部屋の鍵です」

「俺、あの人の部屋、知りませんよ」

 仁の手が机を離れた。膝の上で何かを握り、そのまま黙った。

 成瀬は次の紙へ移ろうとした。

「昨日の人」

 仁が言った。

「どうなりました」

「手術を終えました」

「生きてるんですね」

「はい」

 仁が長く息を吐いた。肩が下がる。それを見た途端、成瀬は紙をめくる手を止めた。

「止まってくださいと言われていましたね」

「止まったら詩乃が帰るって――」

「止まれと言われた声は、聞こえていましたね」

「聞こえてました」

「それで進めた」

「前に出てくるから。あの人たちが。下がればよかったんです」

 写真を重ねようとした手が止まった。成瀬は仁を見た。下がれば。戸崎は今も、寝返り一つ自分で打てないかもしれないのに。

 机の隅に置いたコップへ、手を伸ばした。水を飲んでも言葉が変わる気はしなかった。

 今のところを、もう一度。その問いを出す前に、広瀬が戸を開けた。

 成瀬は廊下へ出た。

「代わる」

「続けられます」

「そういう話をしたか」

 成瀬は手元を見た。写真の角を折っていた。伸ばすと、爪の形の白い線が残った。

「止めろと聞こえていたか、二度聞きました。記録は前から全部残してください」

「分かった」

 戸が閉まり、成瀬は椅子に座った。写真を持ったままだったので、戻して渡した。仁の顔を見なかった。

 午前の確認を終えた捜査員が、仁の答えを持ってきた。

 写真館では、宇津木は立ち上がり、娘を出せと怒鳴った。仁は出入口を閉め、車に乗った。以前の話と変わっていない。

「最後に、自分が娘を出していたら、あの人たちは死ななかったかもしれない、と」

 成瀬はその前後を読んだ。

 仁は殺したとは言っていなかった。どこまで自分のせいなのか分からない、と言い、弁護士はまだかと訊いている。

「そこだけ、まとめないでください」

「このままですね」

「はい」

 返した紙の下に、戸崎の手帳があった。病院から届いた所持品の一つだった。

 成瀬は必要な頁を開いた。物流センターのところは時刻欄が空いている。矢印の先に、行く、と走り書きがあった。

 人かもしれない、の次に。

 手帳を閉じると、もう読むところがない気がしてしまった。成瀬は開き直した。手前に、恵から仕事の控えを借りる予定があった。自分の手帳にはない。

 恵へ掛けると、金額のことですか、と疲れた声が返った。

「ご主人が、仕事の途中でどこへ行こうとしたかを。控えも、もう一度見せていただきたいんです」

『明日なら。午前は、こちらから電話するところがあって』

「午後に伺います」

 戸崎の机へ入れておくつもりだった紙を、自分の手帳へ挟んだ。明日の飯島の分もある。成瀬は両方の住所を確かめ、移動に要る時間を書き込んだ。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分読書中
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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