迎えのない朝

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CHAPTER 02 / 28

第一章 屋根のない駅

九月二日の昼すぎ、中古工具店の棚の前で、戸崎岳は電話を掛けた。

 安田という名の男は、南浦署と聞いただけで、俺じゃない、と言った。

「まだ何も聞いてないですよ」

『野本に言われたんでしょ』

 電話の向こうで機械が鳴り、声が消えた。戸崎は耳へ携帯を押しつけた。店主がカウンターからこちらを見ている。今朝から三軒、盗まれた工具の写真を見せて回った。その三軒目で、ようやく持主ではない男へ電話をしていた。

「昨日、どちらにいました?」

『だから俺じゃないんですよ。あんた聞いてます?』

「聞いてます。今、仕事ですか」

『そうだよ』

「何分なら話せます」

『終わってから』

「何時ですか」

『知らねえよ、まだ終わってないんだから。俺の腰袋は捨てたくせに、自分の道具なくなったら警察かよ』

 通話は切れた。

 店主が眼鏡を外した。

「忙しいって?」

「ええ。俺以外みんな」

「あんたも忙しいじゃない。朝からこんなの追っかけて」

「こんなのって、被害者に言わないでくださいよ」

「言わないよ。買いに来るんだから」

 戸崎は棚へ戻した工具の向きを直した。持ち手のゴムが擦れ、消した会社名の上から別の名前が書いてある。盗まれたインパクトドライバーと同じ青色だったが、製造番号が違う。写真の方はまだ傷も少なかった。

 南浦駅東口で、元学習塾を診療所と薬局に変える工事が進んでいる。資材置場から工具とバッテリーがなくなった。先週現場を辞めた安田が怪しい、と監督は言った。金のことで揉めた。鍵の番号を知っている。道具への執着がある。

 筋の通る話だった。朝は。

「番号の合うのが来たら、夜でも電話ください」

「寝てたら?」

「起きてからで」

「名刺、三枚あるよ」

 戸崎は出しかけた四枚目を戻した。

 現場監督の野本は、資材置場の前で携帯を二台持っていた。片方の通話を終えて、もう片方で届いた写真を開く。

「違うんですよ、これじゃ。バッテリーが使えない。ああ、もう。店の人に代わって」

 戸崎は壁に沿って待った。廊下を石膏ボードが通り、野本の背に当たりそうになった。野本は避けながら、もう一本の電話を耳へ当てた。

「安田、つかまりました?」

 通話の切れた方を胸ポケットへ入れてから言った。

「話の途中です。今、工具買いに?」

「一本を三人で使ってるんです。借りたの返せって言われてるし。仕事にならない」

「鍵の番号、ここへ入った業者はみんな知ってます?」

 野本の目が番号錠へ動いた。

「そりゃ、出し入れするから」

「昨日の最後は」

「俺。七時前です」

「そのあとに残った人は?」

「上に電気屋が二人。でも、あの人らは」

「その二人だけ飛ばす理由あります?」

 野本は戸崎を見た。胸の電話が振動していたが、今度は取らなかった。

「今、まともに来てくれてる連中を、疑えっていうんですか」

「来なくなった人だけで済ませると、また朝から三軒回るんで」

 戸崎が言うと、野本は少し顔をしかめた。

「俺が行かせたみたいな」

「行ったのは俺です。名簿、全員分ください」

 野本が事務室へ向かう間に、戸崎は資材置場をもう一度見た。延長コード、脚立、箱に入った丸ノコ。盗まれた工具の充電器がコンセント脇に残っていた。バッテリーを使い回せる人間なのか、充電器までは要らなかったのか。朝も同じことを考えた。その時にはどちらを考えても安田へ行き着いていた。

 野本が名簿を持って戻った。退職者の名も残っている。

「辞めた人の連絡先、今も使えます?」

「先週までは。俺は掛けてない」

「腰袋を置いていった人、いませんか」

「ありますよ。誰のだか分からないのが」

「捨てたんじゃなく?」

「捨てませんよ、道具は。ほら」

 野本は棚の下から汚れた袋を出した。戸崎は写真を撮った。安田のものか、まだ分からない。持主を確かめる前に、見つかりましたとは言えなかった。

 玄関の上には薬局が付けた小さなカメラがあった。工事中も録画しているという。夕方から今朝までの映像を保存するよう、管理者へ連絡を頼んだ。

「映ってたら、言いましたよねって言っていいですか」

 野本が言った。

「映ってから言いましょう」

「言いますよ」

「はい」

 野本はようやく電話を取った。戻ってくる車の誘導をしながら、もう戸崎の方は見なかった。

 安田から折返しが来たのは、午後三時を回ってからだった。

『何分って、何分掛かるんです』

「昨日いた所が分かれば、そっちへ確認します」

『戸田。夜間工事です。十一時まで。会社の名前言いますよ』

 戸崎は車のボンネットに手帳を置いた。安田は会社名を言い、元請けの担当者まで教えた。番号錠はまだ覚えている。同じメーカーの道具は使っているが、自分の分を持っている。

『あの番号、みんな知ってますからね』

「聞きました」

『最初に俺の所来たんだ』

「そこ、早かったです。すみません」

 謝ると、向こうが静かになった。

 戸崎は腰袋の写真を送ってよいか訊いた。届いた音がしてから、長い沈黙があった。

『それ、どこにあったんですか』

「棚の下です」

『ないって言ったんだ、あいつ』

 安田の声がひっくり返った。機械を避けて外へ出たのか、背後に風の音がした。

『俺、名前書いてないのが悪いって。名前なんか、こんなの、見りゃ分かるじゃないですか。毎日つけてて』

 戸崎はペンを止めた。

『捨てたんだろって俺が言ったんです。そしたら、勝手にしろって』

「中を確かめますか」

『買いましたよ。もう。ないと働けないから』

「それでも、残しておいてもらいます」

『……俺が頼んだって言わないでください』

 それは約束できるともできないとも言わず、戸崎は、引取の話はまたこちらから、と答えた。電話を切ってから野本へ連絡した。ああ安田のか、と野本は言った。あんな所へ置くから。

 そこから先を、戸崎は聞かなかった。

 元請けの担当者が安田の昨夜の勤務を確かめた。作業日報も送れるという。戸崎は礼を言って、ようやく昼を買いに行った。

 娘から写真が届いていた。

 菓子箱と色紙で作った駅だった。屋根のないホームに、紙の人形が三つ立っている。

 日曜、箱もってきて。

 何の箱、と返すと、細長いの、と来た。ティッシュの箱を撮って送ると、違う。菓子棚の箱でも、小さい。

 戸崎は商品を戻した。工具には番号があった。

 夜、元妻から電話が来た時、戸崎は空のラップの箱を靴に並べていた。娘から追加で〈お父さんの足くらい〉と届いていたのだ。

「今、大丈夫?」

「箱、縦と横どっちなの」

「知らない。本人に聞いて」

 向こうで娘を呼ぶ声がした。歯ブラシを持ってどこかへ行ったらしい。前もそうだった、と戸崎が言いかけると、もう磨いたでしょ、と母親が言った。終わったのに持って歩いているのか。

「見に来れば分かる」

 電話へ出た娘はそう言った。

「日曜に持っていく箱を、今知りたいんだよ」

「二個あれば」

「大きいのと小さいの?」

「大きいの二個。切る」

「そっか」

 戸崎は流しの下の段ボールを引き出した。日曜は八時半に迎えに行く。そう約束すると、娘はもう別の話をしていた。駅の前に池を作るかもしれない。池があれば車が入れない。それでは困るのだという。

 電話が母親へ戻った。

「休み、大丈夫なの?」

「取ってある」

「取ったのは聞いたよ」

 戸崎は黙った。

「駄目になったら、まず私に言ってね。あの子にまた今度って言って終わりにしないで」

「分かった」

 通話を終え、箱を玄関へ置いた。縦横がまだ分からないので、二つとも畳まずに残した。靴を脱ぎ直すだけの場所が狭くなった。

 娘へ駅の写真をもう一枚頼もうとして、やめた。

 仕事の画面を開く。工具はまだ出ていなかった。明日はカメラと、電気工事の二人に会う。安田の腰袋も、誰が持っていくのか決まっていない。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅読書中
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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