戻ってきたトラックを、成瀬は荷受け場の端で待っていた。
九月二十九日、八時を十二分過ぎていた。荷台の奥から黄色い平台が見える。担当者は、写真とは違いますよ、と下りてきた。
「取っ手を見せてください」
「今、下ろしますから」
「載せたままで大丈夫です。取っ手の上の服を、少し上げてもらえますか」
取っ手には上着が掛かっていた。担当者が袖をつまみ上げると、右肩の潰れた金属が現れた。
成瀬は係員を呼んだ。
「その状態で、撮ります」
担当者の手に上着が残った。どこへ置くか迷い、腕へ掛け直した。
「これですか」
「確認します」
「昨日、俺、使いましたよ」
係員が荷台へ上がる間、成瀬は使用した経路を聞いた。担当者は答えるたび、自分の両手を見ていた。全部話してから、服は着ていいか、と尋ねた。
成瀬は検査に必要な物を係員へ確認した。上着自体は返し、手洗い場の場所を聞いていた男を見送った。
取っ手は平台から外された。青い台車にあった物が、黄色い台車から運ばれていく。成瀬は平台の違いを気にしていた担当者へ、もう一度説明した。彼は聞き終えてから、向こうにも同じことを言ってくれ、と事務室を指した。
仕事を止めた理由を説明し、残った台車の扱いを決めるまで、捜査員たちは帰れなかった。
勤務先に保存を頼んでいた映像では、悟が九月十日の夜、青い台車を車から降ろしていた。
棚の陰に入る。手元は見えない。翌朝、右肩の潰れた取っ手が付いた別の台車を、作業員が荷物と一緒に押していく。
班長は一度止めるよう求めた。
「この子、何も知らないと思います」
「この台車を選んだ理由を伺います」
「そこにあったからです。たぶん。俺だって、あるのを使う」
成瀬は、悟の返却した青い台車が映る別の記録を開いた。こちらの取っ手は丸かった。
「悟さんに、確認はまだしないでください」
「普通に来ますよ。明日も。何て言えばいいんですか」
班長は椅子から立ち、窓の向こうを見た。今日は悟のいない時間に来ていた。
「ほかの皆さんには、何と伝えていますか」
「確認だって。俺も、そう聞いてたから」
班長は立ったまま、画面を伏せようとした。ノートパソコンの蓋が半分まで閉じ、また開いた。
「これ持って帰って、明日、また来るんでしょう。あいつも来ます。昨日は俺が、残れるかって頼んだんです。若いのと二人で。今日だって、休みなのに電話すれば出るんですよ」
成瀬は返事をしかけ、やめた。
「そういうやつだから、頼むんです。頼んじゃ駄目なら、今言ってください。明日ここに来て、昨日何してましたって言われても」
隣の捜査員が成瀬を見た。班長は二人を見比べた。
「その子とまた組ませていいのか、聞いてるんです」
「配置も含めて、ここで相談させてください。警戒の担当を呼びます」
成瀬は広瀬へ掛けた。班長は窓の向こうへ手を上げ、事務室に入ろうとしていた作業員を止めた。電話を終えても、彼を呼び入れる手は上がらなかった。
九月三十日の午後、受付から悟が来ていると連絡が入った。
成瀬が下りると、彼は膝へ紙袋を置いて待っていた。出入口の方を向いた椅子だった。こちらに気づいても、すぐには立たなかった。
「予約、要りました?」
「今日は、何の御用ですか」
「姉ちゃんの物。誰に聞いても、確認しますなんで」
隣の席へ人が来た。成瀬は相談室を借り、別の捜査員に同席を頼んだ。悟は二人を見比べてから、紙袋を机へ載せた。
保存容器が三つ入っていた。蓋には日付がある。洗っても消えなかったのか、黒い字の端だけ薄くなっていた。
「これ、部屋に戻したいんですけど」
「部屋の物をどうするか、担当から連絡はありましたか」
「来週、日にち決めるって。それまで、置いといてもらえませんか」
成瀬は片付けの連絡を受け持つ担当へ確かめるため、机の電話を取った。悟は容器を一つ出した。蓋の角を押すと、ぱちん、と音がした。
「これ、嵌める向きがあるんですよ。どっちでも同じに見えるのに」
成瀬が電話を置くと、悟は閉じた容器を袋へ戻した。
「部屋へ戻せる日に、一緒に持っていってください。今日は、こちらでは預かれません」
「そうですか」
袋は机の上にあった。成瀬は担当の名前と連絡先を書き、悟へ渡した。
「詩乃さん、元気ですか」
携帯に番号を入れていたので、顔は下を向いたままだった。
「こちらからは、生活の様子はお話しできません」
「そこまで聞いてないです。元気かって」
悟は携帯を伏せた。
「俺の方は、職場で聞いてるでしょう。今日は何時に来た、どこへ行ったって。皆、俺に聞いてくるんですよ。お前、何したんだって」
「勤務について、協力をお願いしています」
「知ってますよ。俺も、答えてるから」
悟は空いた両手を机へ置いた。
「一回、話せませんか。姉ちゃんの話ができる人、もういないんで」
成瀬は手元の記録へ日付を足した。紙袋の底が濡れて、丸い跡が机についていた。三つとも洗ってきたのだろう。
「今ここで、お約束はできません」
「会いたくないって言ってるんですか」
「御本人には、まだ聞いていません」
「だったら、俺から連絡あったって。それくらい、伝えてもらえます?」
成瀬は隣の捜査員を見た。彼は記録を続けていた。
「用件として受け取ります。伝えるかどうかも、支援の担当と相談します」
悟は笑いかけた。
「俺が来たことまで、選ぶんですね」
机の電話が鳴った。成瀬は出ず、悟を見ていた。呼出しが切れると、部屋が急に静かになった。
「待ってるって、書いてください」
「何を、ですか」
「あの人が話せるようになるのを」
悟は成瀬のペンを見た。成瀬が書くまで、椅子を引かなかった。
紙袋を持たせると、悟は黙って受け取った。玄関で携帯が鳴り、表示を見るなり、悪い、今出る、と答えた。
「昼、食ってないの? じゃあ買ってく。何がいい」
自動ドアが開いた。彼は歩きながら聞き、何でもいいってのが一番困るんだよ、と笑った。
成瀬は携帯を取り、担当班へ出た時刻を伝えた。
『確認しています』
悟の背中は道路の向こうへ渡っていった。成瀬は見えなくなるまで立ち、戻って相談室の机を拭いた。
面会の依頼は支援担当にも伝えた。本人へ急いで届けることはせず、連絡経路と安全の確認を先に進める。その日のうちに悟へ折り返す用事はなくなったが、成瀬は終業前にも受付へ、また来ていないかと確かめた。
十月一日、詩乃が机へ広げたのは、黒いテープと見本帳だった。
古い鞄は内側を少し開かれている。机の反対側には青い鳥の巾着があった。
「戻りましたね」
「昨日。ちゃんと、これでした」
詩乃は巾着を鞄へしまい、修理する方を成瀬へ寄せた。
「こっちは店にあります。こっちは取り寄せです。送料が掛かります」
成瀬が手に取ると、店にあった方は青みが強かった。
「どちらが縫いやすいですか」
「同じです」
詩乃は材料費を書いた紙を置いた。成瀬は鞄を窓のそばへ持っていった。どちらを当てても、使い込んだ本体とは色が違う。
「店の方で、お願いします」
「長さも決めてください。今のままでいいですか」
成瀬はテープを自分の肩へ当てた。古い持ち手は荷物を入れると少し伸びた。指一本ぶん長くして、もう一度肩へ当てた。
「この長さで、お願いします」
「内側に補強を入れます。縫った線も残ります」
「見えないところなら」
「開けると見えますよ」
成瀬は覗き込み、頷いた。
「それで大丈夫です」
詩乃が合計を出した。材料を取り寄せずに済めば七日に渡せる。教室で作業できなければ先に連絡する。
成瀬は決まった日を手帳へ書き、立つ時に鞄を取ってしまった。
「置いていってください」
「ああ、すみません」
詩乃は受け取り、袋へ入れた。笑わずに、また七日に、と言った。
二日の夕方、小暮が店を開けると言い出した。
預かり品を返すための立入りだった。五時までの予定だったが、客は六時半しか来られないという。成瀬が警戒担当と電話している間、小暮は臨時休業の紙を剥がした。
「月曜から、いつもの時間に開けます」
成瀬は電話を耳から離した。
「営業時間を変更するなら、こちらも配置を――」
「いつもの時間です。変更した方を戻すんです」
紙の角が破れ、ガラスへ残った。小暮は爪で擦った。
「怖いんでしょうって言われたら、そうです。あんなこともやった。店守れって。全部、そうです。でも、閉めてる間にも家賃が」
「警戒をやめると言っていません」
「言われる前に言うようになっちゃったんですよ、俺が」
小暮は振り返った。
「電話する時も考える。信じてもらえるやつかどうかって。これ、六時半って、客が言ってます。俺が作った話じゃなくて」
受取票を成瀬へ突き出した。成瀬は受け取り、電話の担当へ時刻を伝えた。
今いる人員をそのまま延ばすことはできなかった。交代を組めるか確認するという。
小暮は受取票を戻し、仕上がった品を袋から出した。アイロンを温めながら、入口へ顔を向ける。
「あの子、今日で終わりです」
従業員は引継ぎの紙を置いて帰ったあとだった。
「金曜の分は、全部やってくれました。月曜から別の店です。ちゃんと金、払いなよって言ってました。俺に」
アイロンのランプが消えた。
「あの上着の客に、言ったんですよ。袖と袖、俺が縫ったって。じゃあ、もうお宅で直さないでくれって」
小暮は霧を吹き、別の客のズボンを伸ばした。
「それは、しょうがないです。でも、ほかの客には月曜に渡すって言ってるんです。まだ、預かってるのがあるんで」
成瀬の携帯へ返事が来た。五時からの交代を組める。月曜の営業については、担当者も含め今夜話す。
伝えると、小暮はアイロンを立てた。
「ありがとうございます」
店の電話が鳴った。彼は受話器を取り、はい、とだけ言ってから、店の名を言い直した。
「あります。六時半で大丈夫です」
成瀬は窓へ残った紙片を見た。小暮はそれを剥がす続きには戻らなかった。
七日、出来上がった鞄には両方とも新しい持ち手が付いていた。
成瀬はファイルを入れて持ってみた。受渡しの机の前を二、三歩歩き、肩に掛けた。詩乃はその間、釣銭の入った小さな袋を開けて待っていた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
成瀬が代金を渡すと、詩乃は数えて受け取り、古い持ち手はどうするかと訊いた。
成瀬は古い方を指で挟んだ。使っていた時には丸まっていた布が、机の上では平たかった。切れた端に糸が一本残っている。
「処分をお願いします」
詩乃が別の袋へ入れた。成瀬は領収書を受け取り、新しい持ち手で鞄を提げた。
その夜、勤務先へ確認していた班から、悟が退職を申し出たと連絡が入った。
「いつまでですか」
「今月末。次の勤め先は、まだ言っていません」
成瀬は黒い鞄を椅子の下へ置いた。広瀬に伝えると、既に別の電話を取っていた。
「今いる場所は?」
「帰宅しています」
同じ型の台車は確保できた。血液の反応もあった。誰の血かは、まだ返ってこない。成瀬は鑑定の担当へ連絡し、現在の状況と、次に確認できる時刻を聞いた。
部屋を出ようとしたところで、携帯が震えた。悟だった。
『詩乃さんの件、どうなりました』
成瀬は椅子へ戻った。
『時間、掛かってもいいんですけど。聞いてくれたかだけ、知りたくて』
「担当と確認を続けています。こちらから連絡します」
『何の確認ですか。俺が会いたいって、まだ言ってないんですか』
「今日は、お答えできません」
小さな息が聞こえた。
『分かりました。仕事、変わるかもしれないんで。それだけ先に、言っときます』
電話が切れた。成瀬は時刻を書いた。広瀬が戻り、その紙を読んだ。
「明日の交代から、組み直す。今夜は変えるな」
成瀬は担当へ連絡した。声を聞いたばかりの男の部屋は、ここから見えない。今夜も、誰かへ文を書ける。詩乃が保存していた長い返事を、画面へ開いたままにはしておけなかった。
閉じて、取っ手の写真を広げた。
十四日、古いテープの端の下に残っていた血液のDNA型が、遠山と一致した。
同じ日に届いた認証記録では、三月三日二十三時十四分、相談相手のアカウントへログインした接続が、悟の部屋の固定回線と結び付いた。
成瀬は記録を机へ置き、椅子の向きを変えた。戸崎が本部へ来ていた。三日前に退院し、今日は家族の車で送ってもらったという。椅子へ腰を下ろすと、左脚を伸ばして息をついた。入口で止められたことを文句にしていたが、写真を見ると黙った。
「これ、返された方じゃないんですね」
「勤務先から別の営業所へ出た方です」
「寺田さんは、きれいになったと思ってた」
戸崎は写真を脇へ寄せ、認証記録を読んだ。成瀬は彼が顔を上げるまで待った。
「明日、詩乃さんに説明します」
「俺も行けます」
「二人で行くか、先に聞きます」
戸崎は頷いた。杖を机へ立て掛けようとして滑らせ、成瀬が受けた。彼は礼を言って椅子の横へ置いた。
「一人の時、どうでした」
「足りませんでした。人が」
「俺じゃなくてもよかったって?」
「そういう意味でもあります」
戸崎が笑い、途中で腹を押さえた。成瀬は、笑わないで、と言いかけた口を閉じた。
「次の紙、ください」
戸崎が手を出した。
翌日、詩乃は二人で来て構わないと答えた。戸崎は支援担当者に椅子を借り、成瀬が悟の名を告げた。
「真知さんの弟さん、ですか」
「はい」
「一緒に御飯、食べました」
詩乃は戸崎を見た。
「何を話したか、思い出せないです」
戸崎は手帳を開かず、聞いていた。
詩乃は自分の頬へ手を当てた。
「何も知らない人だと思って、話してたんです。全部、向こうだけ知ってて」
成瀬は、直接会った時と匿名でのやり取りを分けて、分かった範囲を伝えた。父に届いた写真が、相談へ送った画像から使われていることも。
詩乃は紙を出した。折り目の破れかけた、相談の写しだった。
「捨てようと思ったんです。でも仕事のことも、家を出る時も、これに書いてあって」
裏には細い字があった。昨日の日付と、したことの箇条書き。
「夜になると、書いてるんです。返事しにくいかなって、直して。送らないのに」
戸崎は手帳を膝へ置いたまま聞いた。
「私、何か、自分でしたんですかね」
成瀬は自分の鞄へ目を落とした。持ち手に触れてから、手を戻した。
詩乃は頁を戻し、真知の家へ泊まらない方がいい、とある箇所で止めた。
「泊まるのはやめました。晩御飯は行きましたけど」
少し息を漏らした。
「鍋ごと持って帰るんじゃ重いから、ここで食べなって」
詩乃はそこで下を向いた。支援担当者がティッシュを寄せた。戸崎は手帳を鞄に戻した。
しばらくして詩乃が、記録の残りも欲しいと言った。成瀬は担当へ確かめると答えた。
「小暮さんへの手紙は、混ぜないでください」
詩乃は別のファイルを持っていた。
「あれは、こっちなので」
遠山の事件について、逮捕状の請求資料がまとまった。
翌十六日、勤務先で六時から悟と話す予定だった。令状が間に合えば切り替える。その間の所在は別の班が追う。
広瀬の部屋を出ると、戸崎が廊下で待っていた。
「座って聞く仕事なら、明日から出ていいんです」
「荷捌き場へ出る仕事は」
「会議室の中にいます。動く人は、別に」
成瀬は彼の顔を見た。
「昨日、足りないと言ったんで」
「人が、と言いました」
「俺も一人です」
成瀬は返事を待つ彼を見て、配置を広瀬と確かめると言った。戸崎は頷いた。立つ時には、先に杖を取った。