迎えのない朝

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CHAPTER 09 / 28

第八章 部屋へ戻る服

月曜日、病院へ向かう車の中で、仁が供述を変えたと連絡が来た。

 戸崎はハンズフリーにせず、路肩へ停めて電話を取った。弁護士と接見したあと、宇津木の胸を押したと言い始めたのだという。

『よろけて椅子を倒した。自分で立ち上がった。そこからまた言い合いになった、と』

「手は出してないと言ってました」

『殺したことにされると思って隠したそうだ。戻ったら続きをやる』

 広瀬からの電話を切ると、成瀬が手帳を閉じた。

「立ったというのも、本人の話なんですね」

「何回聞けば、全部出てくるんでしょうね」

「こちらが確かめます」

 戸崎は車を出した。昨日の工場の鍵を握っていた手が、宇津木を押した。別のことを考えようとしても同じ手になる。

 病室では、詩乃が膝へ薄い毛布を掛けていた。

 医師の許可した短い面談で、支援担当者が同席した。成瀬が椅子へ座る前に、詩乃は服を取りに行けるのかと訊いた。

「借りている部屋に、あるんです」

「必要な物を書いて、担当の方と相談しましょうか」

 成瀬が答えた。戸崎は仁の家にあった箱を思い出した。

「父の所のは、いらないです」

 詩乃が先に言った。

「ええ。御自分の部屋の物ですね」

 成瀬は紙を一枚もらい、枕元へ置いた。詩乃はペンを取ろうとして、やめた。

「あとでも?」

「あとで大丈夫です」

 紙だけを二つに折り、詩乃は膝の上へ置いた。

 八月十四日、父親から連絡があった。小暮の店とは別に使っている作業場所を知っている、と。翌十五日、その倉庫の前で会った。部屋までは知られたくなかったので、そこならと思ったという。

「お母さんの布を、捨てる前に見てほしいって」

 詩乃の指が紙の折り目を押した。

「それで工場へ?」

「布を見たら、帰るって言いました」

「何の布ですか」

 戸崎が訊くと、詩乃は少し顔を上げた。

「母が、使わなかったの。服にするって買って、そのまま。型紙も」

 父親の車で、住んでいる所や会っている人を訊かれた。答えずにいると、仕事の話になった。小暮のことだった。工場で携帯を出すように言われ、渡した。話せば返してもらえると思った。

 最初の日には、扉に鍵はなかった。外へ出ようとすると止められ、次には金具がついていた。

「前からあった金具ですか」

「なかったです。昔、みんな御飯食べてた部屋なので」

 成瀬がペンを止めた。

「残って話をすることには、同意していなかった、でいいですね」

 詩乃の顔が上がった。

「父が、そう言ったんですか」

「約束した、と話しています」

「してません。布を見たら帰るって。言いました、さっきも」

「はい」

「じゃあ、なんで」

 支援担当者が身体を少し寄せた。詩乃はそちらを見ず、紙を膝から持ち上げた。折り目が潰れていた。

「父に聞いてください。私が何て言ったか。どうせ聞かないから、私に何回も」

 成瀬はペンを置いた。

 戸崎は、布を見たら帰ると伝えたんですね、と訊いた。詩乃は頷いた。

「それを記録します」

 成瀬は同じ文を書き直さず、書いてある行の下へ線を引いた。紙を取ろうとしていた詩乃の手が膝へ戻った。

 十六日夜の休業連絡は、父親が隣にいて書かせたものだった。家のことなら嘘ではないと、文まで決めた。二十日ごろの体調を伝える返信には触っていない。その日は携帯を持たせてもらえなかったという。

「助けてほしいと、誰かへ送れたことは」

「書いたことなら。一回だけ」

 詩乃はそこで止まった。父親の目の前で、書いたものを消した。それからは触る時も横に立たれた。

 戸崎は手帳に予定した問いを、一つ飛ばした。

 九月二日の夜のことを訊くと、詩乃は夕飯より前に父が出た、と答えた。部屋に時計はなかった。戻った時は暗く、弁当を二つ持っていた。

「お父さんは、何か話しましたか」

「怒ってました。あいつも同じだって」

「誰のことかは?」

「訊くと、私に怒るから」

 戸崎はペンを止めた。

「でも、あとで。宇津木なんかに頼っても、最後は何もしないって」

 名前を聞き違えていないか確かめると、詩乃は、宇津木さんです、と言った。去年家を出た時、荷物を運んでもらった人だった。以前にも父親がその名を出したことがある。

 それ以上を急いで訊きたくなり、戸崎は一度、手帳から目を上げた。詩乃の指が毛布を引いていた。

「休みますか」

 成瀬が言った。

 詩乃は首を振った。

「まだ、私が聞いてないので」

 二人が待つと、彼女は戸崎を見た。

「父に、どこまで言いましたか」

「安全が確認できたことだけです。居場所は伝えていません」

「病院も?」

「はい」

 長く黙ってから、迎えはいらないです、と言った。

「分かりました」

「……今は」

 成瀬が手帳を閉じた。支援担当者が水を勧めると、詩乃はコップの底を見た。

「冷たいの、ありますか」

「持ってきますね」

「あ、これでも」

 詩乃の声が小さくなった。支援担当者は、自分も冷たいものを飲むので、と言って出ていった。戻ってきた水を、詩乃は両手で受け取った。

 宇津木の死については、面談を終えてから支援担当者が伝えることになっていた。

 戸崎は廊下でその確認をし、病室の扉が閉まるのを見た。成瀬は持物の紙を預けるため、もう一度担当者を呼んだ。

 署へ戻ると、面会室の前に紺のスーツの男がいた。膝に薄い鞄を載せ、携帯へ、自分が戻ってから聞く、と言っている。

「事務員に決めさせないでください。予約は私抜きで始めて。……はい」

 電話を切り、瀬尾直人ですと名刺を出した。北原の弁護人だという。

「供述の訂正は、先生から?」

 戸崎が訊いた。

「接見の内容には、お答えしません」

 瀬尾の声は硬くなかった。

「ただ、本人が訂正したのは承知しています。監禁の件とは分けて、調べていただきたい」

「監禁については、引き続き捜査します」

 成瀬が言うと、瀬尾は頷いた。

「それはもちろん。行為が軽いとは思っていません。身柄を拘束する必要については、こちらからも意見を出します」

 戸崎は名刺をしまった。話はそこで終わった。

 瀬尾の携帯がまた鳴った。食べました、と答えながら歩いていく。長椅子の上には、開けていないサンドイッチが残っていた。戸崎が呼び止めると、瀬尾は電話を肩へ挟んで取りに戻った。

 仁は、押した時の話をするより先に、娘は何を言ったのかと訊いた。

「ここでは宇津木さんの話を聞きます」

 戸崎が答えた。仁の目が成瀬へ動いた。

「胸を押したのは、何を言われた時ですか」

「娘を出せって、しつこく」

「押したあとにも?」

「言いましたよ。だから、帰ったんです。弁当も買わないといけなかった」

 戸崎は机へ手を置いた。

「工場へ来るとは思いませんでしたか」

「来るなら来ればいい。そこで話します」

「昨日、俺たちには鍵を渡さなかったでしょう」

「渡したじゃないですか」

「最後には」

 仁は唇を結んだ。戸崎は昨日の時間を取り戻すように、言葉を足した。

「宇津木さんにも、あそこで娘が弱ってる、親がいないと分からないと言うつもりだった?」

「分からないでしょう。あなたも、この間まで」

「今は俺の話をしてません」

 声が大きくなった。仁は椅子へ背をつけた。

「来られたら、困ったんじゃありませんか」

「来なかったですよ」

「来られなかったんです」

 仁が戸崎を見た。

「それ、俺に言うんですか」

 紙コップの脇の手が動かなくなった。戸崎が待っても、仁は続きを話さなかった。

 成瀬が略図を机へ出した。

「写真館を出る時のことを伺います。宇津木さんは、どこにいましたか」

「撮影室」

「立っていましたか」

「立ってました」

「こちら側ですか。それとも」

 成瀬はペンを渡した。仁が自分で位置を示すと、図を戻し、その時の言葉を訊いた。戸崎は両手を机から離した。昨日鍵をもらった掌が、汗ばんでいた。

 新見の部屋で写真を見る時には、夕方になっていた。

 左右の小指の間の糸は、そこで結ばれ、切られていた。ほかの指へ渡る糸とは別だった。

「一本だけ、わざわざ別に?」

 成瀬が訊いた。

「全部を固定するだけなら、これはなくてもいい」

 新見が結び目を順に示した。

「手も、唇も、糸を通したのは死後と考えていい。布を縫うのとは違うから、縫製の腕をここへ結びつけないでね」

「工場の糸は」

「比べるよ。小暮の店のも、持ってきて」

 成瀬が流出した画像を隣へ出した。拡大しても指の輪郭が崩れる。短い一本は皮膚の影に溶け、結び目まで見えなかった。

「この寄りの写真を見せた相手は、必ず残してください」

 成瀬が言った。配付先の確認が済み、写真が伏せられた。

 戸崎は自分の小指を曲げた。昔、娘に何を約束させられたのかを思い出しかけたが、やめた。

 廊下ではコピー機が紙を噛み、記録係の警察官が腰を落としていた。戸崎もしゃがみ、見えている切れ端を引いた。破れたので、もう一度奥へ手を入れた。

 仁への匿名連絡は、会社の問い合わせフォームに残っていた。

 八月十三日の午前零時を少し回った時刻。名前欄は空白、返信先のアドレスはその後使われていない。本文に、小暮の店とは別の場所に娘らしい人が出入りしている、とあり、写真が一枚添えられていた。

 窓と庇。ガラスの向こうの作業台。そこへ向いた女の後ろ姿。

 戸崎は昨日救出した詩乃と、写真の女を見比べた。背筋を少し曲げ、手元を見ている。あの部屋で袖を握っていた姿とは違う。

「撮った人は?」

「まだ。フォームを通った画像なので、元の撮影情報はほとんど残っていません。送信元の照会は続けています」

 担当者が答えた。

「これを送ったら、父親が行くだろうとは思わなかったのか」

 戸崎は言い、成瀬を見た。

「行ってほしくて送ったのかもしれません」

 彼女は画面を自分へ向けず、窓の外側を指した。

「撮影した人には、この女の人の仕事が見えています」

 戸崎は枠の外へ目を移した。写真を撮れる場所がある。仁より前から、この倉庫を知っていた人がいる。

 名前のない欄は、そのままだった。

 火曜日になっても、工場から出た衣類の鑑定は揃わなかった。

 仁は監禁の件で検察へ送られ、瀬尾は身柄拘束を続ける必要がないとの意見を出していた。工場は捜索され、詩乃の安全は確保されているという。戸崎はそれを聞き、写真館の事件はどうなるのかと訊いた。

「別に必要な材料を出す。弁護人が釈放を求めるのは当然だ」

 広瀬が答えた。

「出て、詩乃さんへ行ったら」

「それも考えている。気になったことを、気になったまま持ってくるな。今日確認できることをやれ」

 成瀬は支援担当の連絡先を開いた。詩乃への窓口と、誰がどこまで父親へ話すのかをもう一度確かめるという。戸崎は恵へ掛け直した。

 十月の引越し予約が一枚、箱に残っていた。

『この人には、私から言っていいんですよね。行けないって』

「はい。伺った時に、一緒に確認しましょう」

『何て言えばいいんでしょう。急な事情でって。別の人が電話してきて、そんなの信じます?』

 戸崎は壁の宇津木の写真を見た。

『私がやることなのは、分かってるんです。すみません』

「一緒にいる時に掛けましょうか」

 返事が来るまで、戸崎は予定表へペンを置いて待った。

『じゃあ、置いておきます。紙』

「こちらからお話しできることも、もう少し増えると思います」

 恵は、お願いします、とだけ言った。

 電話を切ると、今夜は川瀬真知の家へ伺う予定が入っていた。詩乃と宇津木の運搬先をたどった班から、前年十一月の一晩について真知へ確認が取れていた。戸崎は先日の代走伝票を仕舞い、別の紙を鞄へ入れた。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服読書中
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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