迎えのない朝

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CHAPTER 12 / 28

第十一章 青い丸

遠山修理店へ入ると、靴を履いたまま、と言われた。

 戸崎は上がり框に見えた木の段から足を戻した。そこは作業台を置くために床を高くしただけで、土足で構わないらしい。革の匂いの奥で接着剤の匂いがした。

「何の修理?」

 眼鏡を額へ上げた男が、戸崎の靴から成瀬の鞄へ視線を動かした。

「その持ち手なら、先に中身出して」

 成瀬は鞄を抱え直した。

「警察です。遠山隆一さんですね」

「直しに来たんじゃないの」

「今日は、違います」

「今日はって。明日直すか」

 成瀬が答えずにいると、戸崎が横から鞄を見た。

「俺もずっと言ってるんです」

「あんたのじゃねえだろ」

 戸崎は口を閉じた。遠山は差し出された名刺を受け取り、そこにある名字を読んだ。

「真知に聞いた?」

「はい。川瀬さんから、お名前を」

「あいつ、何でも直すって言ったろ。車まではやらねえからな。荷台の留め具くらいだよ」

 遠山は笑い、持っていた革靴を棚へ置いた。

 戸崎は名刺の端を見ている遠山へ、昨日のことを告げた。言葉を長くしないようにした。川瀬真知さんが自宅で亡くなっていた。事件として調べている。

「いや」

 遠山はすぐ言った。

「一昨日、電話したよ」

「その電話を、確認させてください」

「電話したんだって」

 遠山は名刺を作業台へ置き、携帯を出した。思うところが開かないらしく、何度も下の端を押す。成瀬が手を伸ばしかけ、戻した。

「これ。一昨日の夜。二十時二十七分。三分も喋ってる」

 戸崎は時刻を書いた。自分たちが帰った九分後だった。

「どんなお話を?」

「詩乃ちゃん、見つかったって。生きてたって。それを、俺に言っとくって」

 遠山は画面を戸崎へ向けたまま、こちらの返事を待った。電話があったという記録は、そこから先を何も変えてくれなかった。

「そうですか」

 戸崎が言うと、遠山はようやく携帯を下ろした。

「健さんも真知もじゃ、誰に言えばいいんだよ」

 戸崎は手帳から顔を上げた。

 遠山は二脚ある椅子の片方から靴箱をどけ、もう片方を足で引き寄せた。

「長くなるなら座って。立ってられると、こっちまで立つ」

 遠山は座らなかった。戸崎たちへ背を向け、濡れた布で靴底を拭き始めた。

「ペダル、返さなくていいって言ったんだ。詩乃ちゃんに貸してたの。新しいの買えたんなら、もうそれ使えって」

「真知さんに、そう伝えた」

「うん。本人に言っとくって。……俺から言えばよかったのか」

 成瀬は通話の時刻の隣へ、ペダルの話、と書いた。真知だと確かめる質問を、ここでは重ねなかった。

 靴を一足拭く間に、詩乃の話は仕事の話へ戻っていった。宇津木が歪んだミシンの足を持ち込んだこと。その後、真知を通じて、鞄の内袋などを頼むようになったこと。布を縫う部分は詩乃の方が早く、遠山は革や金具を受け持った。

「最初から、今の値段で頼んでたわけじゃないけどな」

 何も訊かれないうちに、遠山は言った。

「安かったんですか」

「安かった。あの子が、これじゃ合わないって言って。じゃあいくらって聞いたら、紙出してきたよ。ほどく手間から全部」

「お父さんは?」

「春に来た。人の娘を安く使うなって。そこだけは合ってた」

 遠山が布を裏返した。黒い汚れが内側になった。

「仕事回すなってのは、聞かなかったけど」

 戸崎は工場の階段を思い出した。今ならすぐ間違いだと言えるものを、仁の話だけ聞いていた時には、もっとややこしく受け取っていた。

「小暮さんにも、似たような話が?」

「あっちは見本を勝手に増やしてるって。真知が言ってた。その電話で」

「一昨日」

「俺からも話せと。金の話は本人らでしろって返したんだけどさ」

 遠山は奥の棚へ首を向けた。小暮の店の名を書いた箱がある。

「こっちも仕事もらってるから、言いづらかったのかもな。俺が」

 成瀬は箱を見た。中身を尋ねると、直し待ちの衣類だと言われた。

「真知さんの弟さんも、ここを利用していますか」

「悟? 靴があるよ。もう終わってる」

 作業台の下から台帳を引き出し、青い丸の行を爪で叩いた。川瀬、と書いてある。

「終わったのが青。赤は急ぎ。書かないと俺が忘れるから」

 棚から紙袋を出すと、磨かれた革靴が入っていた。

「昨日か今日に来るって、真知が。本人からは、まだ」

 成瀬は日付を確認した。昨日は水曜、九日。遠山はそのつもりで連絡を待っていた。

 紙袋を戻す時、遠山の足元で金属が鳴った。車輪を外した台車の平台だった。

「踏むと滑るから気をつけて。俺が言うのも何だけど」

「これも直すんですか」

「車輪は換えるだけ。取っ手は、ここのピン。寺田んとこも一本抜けてるの使っててさ。貸した奴が持ってこないって」

 戸崎は一昨日の食卓を思い出した。直して返せ、という真知の声が、ここでも普通に続いている。

「持って来れば直すんだよ。電話じゃ直せねえのに」

 遠山は平台を壁へ立て、ようやく二人の方を向いた。

「それで、俺にほかに何聞く?」

 戸崎は手帳を閉じた。

「今日は、店を早く閉められませんか」

 遠山はすぐ断った。

「渡す物あるから」

「連絡して、別の日にできませんか」

「明日から履くんだって。こっちで金曜でどうだって言ったら、木曜じゃなきゃ困るって」

 棚の靴箱を引き寄せる。さっきまで磨いていた一足だった。

「二人とも詩乃さんに関わっています。遠山さんにも、危険が及ぶ可能性を考えています」

「詩乃ちゃんに関わってるって、ミシン直しただけで?」

「それだけでは決められません。でも、何も起きないとも言えない」

 遠山は箱の蓋を閉めなかった。

「今、あんたらにできることが、俺を休ませることなの」

「場所を移してもらうことです。御親族でも、知人でも」

「姉がいるけど。足、悪いよ」

「今のうちに連絡を」

「急に行ったら、布団干す。飯作る。あの人は」

 戸崎は言葉を探し、先に成瀬が口を開いた。

「こちらから説明してもいいですか」

「警察から電話なんかしたら、それこそひっくり返る」

 遠山は椅子へ腰を下ろした。電話を前にして、二人を見た。

「客が来るまで、ここにいてくれるのか」

 戸崎は答えるまでに間を作ってしまった。

「俺たちは残れません。巡回を頼みます」

「じゃあ電話するしかねえじゃん」

 遠山が受話器を取った。戸崎は台帳から目を逸らした。相手は仕事中らしく、夕方、もう少し早く来られないか、と遠山は二度頼んだ。

 十八時には閉めることになった。片付けたら姉へ出発の電話をする。店へ立ち寄る巡回の時刻も決め、姉の連絡先を別の担当が控えた。

「誰か来ても、明日にしてください」

 戸崎が頼むと、遠山は壁の鍵へ目をやった。

「うち、明日が要る人ばっかりなんだけどな」

 それでも、白い紙を一枚出した。

 本日十八時閉店。

 ガラスに貼る手を、戸崎は外から見た。紙の端が浮き、遠山はもう一度テープを押さえた。

 南口の弁当屋で、昼の唐揚げが売り切れたところだった。

 店主は九月二日の名を聞くと、忙しい手を止めた。

「その日は休んだよ。床、水浸しだったから」

 業者の控えはすぐ出てきた。戸崎が確認する横で、成瀬は悟の言った道を地図で辿った。混んでいて入らなかった店が、営業していない。

 成瀬が電話を掛けると、悟は五分なら話せると言った。

「店へ、どちらから行きましたか」

『線路の方。言いましたよね』

「その日は、水漏れで休業しています」

 受話口で何かが擦れた。

『隣かな。人がいたんで。弁当屋だと思ったんですよ』

「店の前までは、行きましたか」

『そこまで覚えてないです。行列見たら、別へ行くでしょう』

 成瀬は次の質問へ移らず、返事を書き留めた。

『今日は何を調べてるんですか』

「二日の帰り道です」

『俺、今日も弁当買って帰るんです。どっちの店でも、別に』

 成瀬が携帯を持つ手を変えた。

『あそこ寄っても、もう飯ないんで』

 受話口の向こうで、遠くの人を呼ぶ声がした。悟は返事をせず、もう五分ですか、と訊いた。

「明朝、勤務先で地図を見せてください。何時ならお時間をいただけますか」

 時刻を決めて切ると、隣の立ち飲み屋のシャッターが上がった。成瀬はそちらにも名刺を出した。

 写真館の時計について、担当班から返事が来た。前日の写真を撮ってすぐ業務連絡へ送ったという社員の話と、送信記録が揃った。時計は十四分進んでいる。現物でも同じずれを確認していた。

「言った道を、もう一度なぞります」

 戸崎が地図を折った。

「言わなかった道の方も」

 成瀬が頷いた。今度は、二人とも食事の店を探さなかった。

 夕方、広瀬の机では、仁の会社へ行く班と小暮の店へ行く班が同じ電話を待っていた。

 仁は釈放された昨夜、瀬尾の事務所を出たあと、北原工業へ立ち寄っていた。二十一時五十六分ごろから約九分。経理の書類を取りに行ったと答えたが、持ち帰った物はまだ確認できていない。

「会社の端末も頼んでる」

 広瀬は戸崎に紙を渡した。

「同じ匿名連絡が、もう一回入ってるかもしれん。瀬尾を通すと時間が掛かるが、順番飛ばすなよ」

 隣の班から、小暮宛の宇津木の伝票が出たと声が上がった。八月十一日、別の倉庫へ運搬、三万六千円未収。会っていないという小暮の話と合わない。

 戸崎は二つの紙を並べた。机の上では簡単に並ぶのに、今から二人で両方へ行くことはできなかった。

「小暮さん、一人ですか」

「スタッフがいる。一緒に帰ってもらう」

 担当者が上着を取った。

「遠山は?」

 広瀬が訊いた。

「十八時に閉めて、姉の家へ。地域にも頼んであります」

 戸崎の答えに、広瀬は時計を見た。五時四十分だった。

「着いた連絡までな」

「はい」

 戸崎は手帳へ、到着確認、と書き足した。その前に、遠山が教えてくれた店の電話番号がある。十八時の欄に線を引き、姉の家の番号と間違えないようにした。

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目次

迎えのない朝

  1. 01序章
  2. 02屋根のない駅
  3. 03名前を知っている
  4. 04撮影室
  5. 05今日の配達
  6. 06冬を越した箱
  7. 07店を開ける人
  8. 08鍵を渡すまで
  9. 09部屋へ戻る服
  10. 10使わない鍋
  11. 11二人目
  12. 12青い丸読書中
  13. 13三つの現場
  14. 14紺の半袖
  15. 15片方の補助輪
  16. 16店の中
  17. 17返す服
  18. 18店じまい
  19. 19積込口
  20. 20一人分
  21. 21手を貸す
  22. 22言い分
  23. 23返す日
  24. 24丸を消す
  25. 25迎えに来る人
  26. 26あと一歩
  27. 27向かいの席
  28. 28終章 迎えのない朝

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