九月十八日の金曜日、悟は部屋へ来てもらう方が早い、と言った。
以前の派遣会社の資料も作業着もそこにある。午後の仕事へ戻る前なら見せられる。成瀬は訪問の範囲を確かめ、別の捜査員と二人で向かった。
玄関を開けた悟は、弁当の蓋を持っていた。
「まだ食ってて。すみません、食べながらでいいですか」
「どうぞ」
ワンルームの床には、二人が座れる場所が空けてあった。折り畳みの机に弁当と給与明細の束が載っている。カレンダーの黒い丸を、悟が指した。
「今日、夕方からもう一回。だから四時半には出ます」
「残った分は、また相談します」
「残すつもりなんですね」
成瀬が答えを探す間に、悟は笑って明細を退けた。
「冗談ですよ」
旧物流センターの作業指示書が出てきた。前年、二度入った記録と合う。反射材付きの作業着も二着あった。成瀬が写真を撮る間、悟は弁当箱の米を箸で集めた。
「番号なんて、覚えてないです。四番って言われても」
「旧棟へ入ったことは?」
「紙には、そう書いてあるんでしょう」
「あなたが覚えていることを聞いています」
悟は箸を置いた。
「その聞き方、姉ちゃんもされました?」
成瀬は顔を上げた。
「あの晩、二人で来たんでしょう。何を思い出せ、何を見たって。それで帰って、姉ちゃん殺されて」
「その時のことも、確認し直しています」
「確認はするんですね」
隣の捜査員が座り直した。成瀬は指示書を元の向きへ戻した。
「今日聞くことを、先にお伝えします」
「分かってます。俺が何したか。姉ちゃんがどうだったかじゃなくて」
携帯が鳴った。悟は表示を見て成瀬へ向け、職場です、と言った。
「出て構いません」
「ラベル? 貼り替えた? まだ。じゃあ、そのままにしといて。貼ってある上から貼ると、また読めなくなるから」
悟は蓋を持ったまま笑った。
「怒られたの。それ、昨日も俺がやったやつ。自分が全部間違えましたって言わなくていいよ。聞いてやったんだろ。俺の名前、言えばいいから」
隣の捜査員が腕時計を見た。悟はそれに頷き、弁当箱の上へ蓋を置いた。
「新しいのは右の棚。一番下。そっちじゃなく――あ、もうできたの。誰に聞いた。班長か。じゃあ、出来たやつ写真送って」
成瀬は作業着の袖を揃えた。携帯から声が漏れたが、言葉までは聞き取れなかった。
「いや、違う。怒ってないって。いいよ、もう積んだんなら」
悟は携帯を伏せ、弁当の蓋をした。
「新人です。俺に聞くって言ってたんで」
「台車の修理も、職場でしたんですか」
「寺田さんの? はい。合うピンがあったから。それと、テープがべたべただったんで替えました」
「ほかには」
「それだけです。直して返したら、何か悪かったですか」
「確認しています」
「便利だな、それ」
悟は机の下から封筒を引き出し、資料の上へ置きかけた。表に真知と書いてあるのを見て、脇へよけた。
「借りた金。八千円です」
訊く前に言った。
「夏前、携帯の払いが足りなくて。返す前に死んだんで」
「扱いは、担当に確認しましょうか」
「金の話にすれば、そうでしょうね」
成瀬は封筒を見た。真知の名前の下に、鉛筆で何か書いて消した跡があった。
悟が空の弁当を持って立った。流しの横には保存容器が伏せてあり、蓋の日付が油性ペンで黒かった。
「これも返すんですか。担当に」
「真知さんの物ですか」
「はい。ちゃんと洗ってますよ」
悟は容器の蓋を取ったが、重ねる順が合わず、元へ戻した。
「返す先なくなったら、これどうすりゃいい」
成瀬は返事をしなかった。悟は流しの前にしばらく立ち、それから机へ戻った。
南口の弁当屋の話になると、悟は床に投げ出していた足を畳んだ。
「店を間違えた。それは、もう言いましたよね」
「通った道について、付け足すことはありますか」
「ないです」
十九時三十六分の通話自体は記録にある。基地局の範囲では店の内外まで区別できない。話した十四分のずれを、悟は思い込みだと言っていた。
成瀬は帰路の図を戻した。次の紙には匿名相談サービスの名を書いてある。
「これは、使ったことがありますか」
悟は字を見て首を振った。
「ないです」
「読んだことも?」
「知らないです。何です、それ」
「詩乃さんが、ここで相談をしていました」
「そうなんですか」
悟が紙を押し戻した。
「仕事のこととか、父親のことですか」
「その話はどこから」
「姉ちゃん。家にいたんですから、詩乃さん。父親と揉めて、今は縫う仕事してるって」
「店以外の作業場所についても?」
「店以外にもあったんですか」
成瀬は待った。
「俺は二回しか会ってないですよ。年明けの飯と、春に箱届けた時。その子の仕事場まで、何で知ってるんです」
「直接の連絡はない、と」
「番号、知らないです」
「匿名でのやり取りもありませんか」
悟は紙へ目を戻し、今度は成瀬を見た。
「匿名なら、分からないでしょう」
「詩乃さんだと分かって、連絡したことがあるかを訊いています」
「ないです」
成瀬はその答えを書いた。隣の捜査員が腕時計を指した。成瀬も時刻を確かめた。あと二十分だった。
「宇津木さんや遠山さんのことは、真知さんから聞いたんですね」
「荷物運んだとか、ミシン直したとか。健さんは一回会いました。姉ちゃんの家で」
「真知さんも、詩乃さんに手を貸していた」
「飯出したんですよ。姉ちゃんは」
悟は自分の弁当があった跡へ手を置いた。
「あの人、食わないと怒るんです。具合悪いのかって。違うって言うと、じゃあ食えって。おかしいでしょう」
「怒る、というのは?」
「怒鳴るとかじゃないです。そんなとこ、分けなくても」
成瀬はペンを止めた。
「行ったら、もうあるんですよ。俺の皿が。こっちが何食いたいかも聞かないで」
「あの晩は、食べていましたね」
「出されたから。俺が食わないと、いつまでも片づけないんです。だから先に食って。それで、また来いってなる。今、食いましたよねって」
「真知さんが、そう言ったんですか」
「そんな言い方はしません。次は何食べるって、もうそういう話になるんです」
成瀬は書きかけの言葉を見た。食べた、と書いたところで止まっている。続きを訊こうとすると、悟が時刻を告げた。二人は資料を戻した。悟は靴を履きながら、姉の鍵は前に返した、と重ねて言った。前に聞いた時と答えは同じだった。
外階段へ出ると、成瀬は手提げの重さを左右で持ち替えた。悟が鍵を回して追いつき、まだ何か、と訊いた。
「今日は以上です」
「じゃあ、仕事行きます」
彼は歩いていった。こちらが車に乗るまで、振り返らなかった。
署へ戻ると、瀬尾が会議室で待っていた。
本人の同意を得た範囲のメール原本を、ノートパソコンで示す。広瀬が複製の準備を進める間に、成瀬は九月九日の転送を読んだ。
二十一時十四分。件名は、また来ました。
これも無視でいいですか。
添付された匿名の連絡は、その三分前だった。会社の郵便受けに詩乃に関係する物を入れた。受け取るかは仁が決める。本人が説明するまで開けずに取っておく。今、警察へ渡せば持っていかれると思う。必要な時には連絡する。
瀬尾の返信は二十一時十六分。
返信しない。会社へ行かない。画面を保存する。翌日、扱いを相談する。
さらに二分後、仁は分かりましたと返していた。
「その晩に行ってます。会社へ」
広瀬が防犯カメラの時刻を置いた。二十一時五十六分着、二十二時五分すぎ発。
「昨日、初めて知りました」
「翌朝、聞かなかったんですか」
「聞きました。何もしていない、と」
瀬尾は画面をこちらへ向け直した。成瀬はスクロールを止めるよう頼んだ。必要になったら、こちらから連絡します。その一行を、十五日の呼出しと並べる。
「この時、こちらへ知らせなかった理由は」
広瀬が訊いた。
「以前の匿名情報は把握されている。今度の封筒が本当にあるかも分からない。本人には取りに行かないよう言い、本人も行っていないと答えた。そこで止まっていました」
「あなたは」
「私も、確認していません」
会議室の外を誰かが急いで通った。瀬尾は音の方を見ず、手を膝へ戻した。
「私がもっと早く、と言えば、皆さんが納得する話ではないでしょう。原本をお渡しします。私がしたことは、この通りです」
広瀬は返事をせず、複製を担当する捜査員を呼んだ。
成瀬は瀬尾を送り出してから、仁へ確認する箇所をまとめた。会社へ行った理由は経理書類だと言っていた。九分で出てきた。封筒を持ち帰り、開けなかった。
翌日の確認で、仁はそこを訂正した。
「開けたら、また会わないって言うかと思って」
娘本人から聞いたわけではない。そう確かめると、仁は頷いた。
「先生には、怒られると思って」
成瀬はその答えも書いた。仁は何か言いかけたが、口を閉じた。謝罪を待たず、成瀬は次の時刻を確認した。