雨を閉じこめる

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CHAPTER 24 / 24

第二十四章 雨漏り

三輪さんの机へ、写真が八枚並んでいた。
 律と私が座ると、一枚だけ寄せる。縁側の二つの椅子に夫婦が座り、その奥で田辺さんが横になっていた。片手を額へ置き、顔をしかめている。

「寝てたんですか」
「起きた所。お茶が冷たいって。自分が寝てたんじゃないって、私、言ったの」

 三輪さんが笑った。
 律も顔を寄せた。田辺さんは小さく、三輪さんが手前へ大きく写っている。
 写真は重ねて棚の方へ戻された。

「新しいの、こっちね」
「はい。家で聴く分です。前に返した全編も、そのまま」

 二つのケースを並べてもらった。
 三輪さんがプレーヤーを寄せ、先に蓋を開ける。私が手を出す必要はなかった。

「押すだけでしょう」
「はい」

 車が走った。
 私はつないだ所を待つ。車が止まり、ひと息の後、道を尋ねる声がした。戸が開き、食器が触れ合う。

「着いた」

 三輪さんはリモコンを膝へ置いた。
 私がどこを直したか話す前に、次の声へ聴き入る。私はケースの蓋を閉じた。

 雨が強くなった。
 金物へ一粒落ち、もう一粒が続く。

『何でそっちに置くの』
『そこに落ちるからでしょう』

 夫婦の声だった。

『こっちの方が音がいいな』
『音はいいから、直してよ』
『雨やんだら』
『やんだら忘れるじゃない』

 三輪さんが笑う。

「忘れるの。ほんとに」

 物を引く音がした。底を擦らないで、と録音の中でも三輪さんが言う。少し離れて夫が答え、終わりは聞き取れなかった。

「直す道具じゃなく、また鍋を持ってくるの。数、増やせばどうにかなると思って」

 律が笑い、私も笑った。
 器が替わり、雨の音も変わった。
 同じ紙へ三輪さんが短くしてほしい所を書き足す。今日は車のつなぎをもう一度聴くことになり、彼女が戻した。

 大学の訂正文も本人へ届いていた。
 あの言葉を言った時の話は載せ、家の音は家で聴く、と三輪さんが答えた。映像の再確認は担当者と日を決める。その場へ私のパソコンは出さなかった。
 玄関で律へパンの袋が渡った。六つあった。

「冷凍しとけばよかった。昨日、焼いたの」
「今日、食べます」

 律が答えると、バターが多いから何もつけなくてよいと言われた。

「灯さんにも、ね」
「半分、灯に渡します」
「そう。お願い」

 私も半分いただきますと答えた。
 もう一度謝ろうとした言葉は、その後へ置く所がなかった。

 駅へ行く道で袋を開け、潰れていないか確かめる。律が私へ見せてから口を折った。

「川の方、行っていい? 撮りたいのがある」

 少し遠回りして大岡川へ出た。
 戸の閉まった店の前で、彼女は携帯を出す。ガラス越しに奥の丸椅子を撮っていた。
 私は戻って、パン持つ、と手を出した。少し迷って渡された。
 しゃがんだ膝へ緑の服の裾が掛かる。一緒に買った方だった。

「汚れるよ」
「もう、汚れてる」

 立って自分の裾を見た。
 私は木陰で母の文を開いた。荷物、届いた? とある。届いた、冷凍庫も空けた、と返す。

「こっち見て」

 顔を上げるとシャッターが鳴った。

「待って。変だった」
「見てから言って」

 画面が来る。
 腹の前へ紙袋を抱え、腕が変に曲がっていた。口元だけ笑った顔だった。

「もう一枚」
「どこが嫌?」
「律も入って」

 彼女は画面を見て、それから隣へ来た。
 伸ばした腕の先に二人の顔が入る。私が袋を反対へ持つと、肩へぶつかった。

「あ、ごめん」
「いい。押して」
「どこ」
「ここ」

 指を伸ばし、携帯が動いた。画面の二人がぶれた。
 律がもう、と言う。笑っていたので私も笑った。今度は音がしない。

「押せてないじゃん」
「分かってる」

 言い返した所で彼女が押した。

 分室の搬出が再開したのは、しばらく後だった。
 大学に残す物、持ち主へ返す物、引継ぎ先がまだ決まらない物。職員と一緒に、箱を少しずつ運んだ。
 田辺さんの電話の記録が束で残っていた。返事待ちの下へ西崎さんの字があり、同じ箱の相手へ何度も二人で連絡している。
 私は職員へ渡した。捨てる紙に混ぜなかった。

 西崎さんには会っていない。
 自分の研究原稿も本も、大学へ残す物とは別に袋へ入れていた。もうその袋はなかった。
 縫い直した上着は、まだ私物へ戻っていない。服の状態を確かめるため、預けられていた。私は返る日を訊きかけ、誰の用件か聞かれた。

「私の物じゃ、ないです」

 担当者は次に運ぶ箱を指した。
 私はそちらの番号を読む。

 床を拭くと、窓際に机の跡が濃く残った。
 久住くんがバケツを持って行き、戻った手で額を拭く。

「水、止まらなくて」
「蛇口?」
「ぎゅっと回すと、また出るんです」

 沙帆が流しへ行った。水音が止まり、久住くんが見に行く。私は雑巾を畳んだ。
 沙帆の録音機は返っていた。今日は持ってきていない。劇場で会った人が、長い素材の方も聴きたいと言ったという。

「どこまで?」
「応募の雨。あっちじゃない。今度、部屋の音も入れた方」

 私は頷いた。
 律は掲示を剥がしていた。一枚の端を破り、指で合わせる。テープを差し出すと、裏からねと言われた。

「分かってるよ」

 彼女は笑わず、テープを取った。
 前の日曜、写真の写しを二人で見た。航の肩が端へ写る一枚を、律は捨てなかった。私は口を半分開け、何か説明している。
 ひどい顔と言ったら、別のにするかと訊かれた。その一枚を受け取った。
 机に立てる写真と同じ所には、まだ置いていない。

 空いた部屋を四人で見た。
 久住くんが何か言いかけ、やめる。沙帆は先に廊下へ出て、もう帰ってよいかを職員へ訊いた。
 鍵が掛かるのを玄関で待ち、外へ出てから私が訊く。

「土曜、空いてる?」
「仕事。何?」
「遊びに行きたい。駅の向こうの」
「ゲーセン?」

 久住くんが顔を上げた。
 律は夜ならと言う。私は夕方でと返しかけ、母へ電話する約束を思い出した。

「夜、駄目だった。日曜は」
「昼なら」

 沙帆が携帯を出す。律も行けるという。

「今度、卓球ある所でもいいですか」

 久住くんが訊いた。

「できるの?」
「少し。中学でやってただけで」
「ほら、できる人の言い方じゃん」

 沙帆が笑った。律が店を調べ、私は日曜は雨らしいと話した。

「屋内でしょ」

 沙帆が返す。

 夜、くらげは開始早々に崖から落ちた。

『今のなし』
「見た」

 私は端へ寄って引き上げる。伸びてきた手を掴むと、二人とも落ちた。
 しばらく声がなく、回線が切れたかと思う。

『そっちも落ちると思わないじゃん』
「重い」
『同じ重さです』

 声を出して笑い、隣の部屋を思い出して口を押さえた。
 あと十分で抜けると、くらげが言う。

「早いね」
『明日早い』
「何時」
『知ったら起こしてくれる?』
「無理」
『じゃ寝ます』

 まだ十分あると抗議した。戻ってきたので、今度は私が先に橋を渡る。
 窓へ雨が当たり始めた。
 ヘッドホンを片方ずらすと、雨樋の水が聞こえる。開けた窓から写真立てへ細かい水が跳ねた。
 私は立って窓を閉める。
 二人の写真が少し斜めに入っていた。直す間、画面でくらげが跳ぶ。

『おいてくよ』

 椅子を引き寄せた。

「待って」

 返して、橋の向こうへ走った。

了

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目次

雨を閉じこめる

  1. 01返却済み
  2. 02片方ずつ
  3. 03百円玉
  4. 04おかわり
  5. 05雨の間
  6. 06声の置き場所
  7. 07返す人
  8. 08帰らない夜
  9. 09名前を書くところ
  10. 10六時まで
  11. 11先に行って
  12. 12持ってくる方
  13. 13戻った部屋
  14. 14抜粋
  15. 15渡した写真
  16. 16誰と食べた
  17. 17家で聴く
  18. 18煮える間
  19. 19まだいる
  20. 20もう一杯
  21. 21行かない返事
  22. 22持って帰る
  23. 23白い画面
  24. 24雨漏り読書中

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