雨を閉じこめる

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CHAPTER 18 / 24

第十八章 煮える間

田辺さんから、受領の欄だけ見て、と来た。
 案内は持ち帰れない、と返すと、じゃ今ここで、と続いた。
 水曜の午前は署へ行った。瀬川さんが確かめたかったのは、私が仕事先へ送った字幕だった。
 机に三輪さんの見本を置かれ、長い方を削り、短い方も削った行を読んだ。
「ご本人に見てもらいましたか」
「音は。私の作った方は、まだ」
 まだ、と言って、紙へ指を置いた。
「出す前には、見てもらってません」
 瀬川さんは私が送った元のファイルを開いた。どこを切り、どこをつないだか、行の順に答えた。
 帰る前に、木曜に先生へ送った一覧の話になった。持ち帰った物の中に、二枚ともあったという。
「航さんが、澪さんのと一緒に」
「ご覧になりますか」
 机へ出された二枚目には、写真の八番の線があった。裏へ返されると、会場の名と鉛筆の番号がある。
 十六時十八分、先生はこの裏を使うと言った。番号を写していたところ、と。
 その時にはもう、昼に汚した田辺さんの案内とは別の紙だった。
「先生、先に会場へ連絡するって言ってました。秋の方を」
 私は電話の続きを話した。田辺さんは北町にいて、西崎さんは私と送り状を合わせていた。航は澪さんの控えを読んでいた。
 この番号も航が持ち帰った。先生の了承を作るつもりで持った紙が、会を止めようとした先生の用事まで机から消していた。
 瀬川さんへ午後の訪問を伝えた。田辺さんから来た文も見せた。
「受領の欄だけ、と言われました」
 訪問の後にも、連絡すると言って署を出た。
 近くの店でお蕎麦を食べる。携帯へ、食べた、と来たので、お蕎麦を、と返した。

 玄関で焼き菓子の袋を見られた。

「姪が来るから、買うって言ってた。もう渡してくれたの」
「一つ、いただきました」
「座って。お茶にしよう」

 机には秋の案内が広がっていた。眼鏡のケースで端を押さえている。鍋の蓋が鳴り、田辺さんは火を弱めた。
 玄関に近い椅子へ座る。鞄は隣へ載せた。
 小鉢には大根とにんじんがあった。

「お蕎麦、食べたので、少しだけ」
「はいはい。少し」

 一つ食べると熱かった。おいしいです、と答えた。
 田辺さんが笑う。

「一本、やっと終わるわ」

 私も笑いかけた。火曜、三輪さんの机にあった大根と同じだった。
 案内の受領の所を読む。返事待ちの下に三輪さんの名がある。

「去年、カセットを受け取った時、先生は箱ごと返したんですか」
「私へ。持って帰る物を出して、ここで預かる物は残した。置く所がないから」
「妹さんのカセットも、残したんですよね」
「音を移してから渡すつもりだったの。返すのは返すって、何度も言ったわ」
「それで、返却済みって」
「私が受け取ったでしょう。名前、書いたんだから」

 田辺さんは眼鏡を外し、耳の後ろへ指を入れた。

「灯ちゃんも、カセット持って来て、また持って帰ったでしょう。音を移してって言われたら。それ、同じじゃない」

 金曜にもう一度行く、と私は三輪さんへ言った。あの時、金曜までにできるかも知らなかった。
「土曜、鋏を鞄へ入れた時、帰るつもりだったんですか」
 田辺さんは缶の蓋へ手を置いた。
「そこも、話しました。警察には」
「鞄、ずっと持ってましたね」
「離したら、見られるでしょう」
 蓋が缶に入らず、角を替えた。
「布だけ洗って返せばいいと思ったの。先生の時みたいに、また何を持ったか訊かれたくなくて」
「鋏も、洗うつもりで?」
「そこまで考えてなかった」
 手が止まった。
「航君の顔、見たの。私、何してるんだろうって」
 私が胸を押す間、田辺さんは入口へ寄っていた。携帯だけを西崎さんへ渡し、鞄は渡さなかった。
「電話で、年を訊かれたのよ。知らないの。何年も、学生さん、航君って」
 彼女は蓋を缶の脇へ置いた。
「妹からもかかってきた。出たら帰れなくなると思った。もう帰るつもりはなかったのに」
 去年の欄には田辺さんの名前だけがあった。三輪さんはそのあとも待ち、私へ電話した。

「いつ戻すのか、聞きたかったんだと思います」
「先生へ聞いてくれたら、私へ言ってくださったのに」

 先生へ届く用事に、自分も入っていたい声だった。私は机の上で、妹の名前が印刷された案内を見た。

「会の映像、航さんの仕事でしたか」
「最初は手伝うって。こちらで頼むなら、ただではいけないから」
「先に、払って」
「半分。残りは出してから。先生が間に入るから安心してって、会場へも言ったの」

 田辺さんが眼鏡を掛けた。細い紙を束から取り、自分の名の所を押さえる。
 貸した、とも預けた、とも書いていなかった。

「妹の家も、私が頼んで入ってもらったでしょう。その分が、会へ来る人の見本になると思って」
「三輪さんは、見本には」
「家の音は家だけでいいって。昨日、直接言われた」

 彼女は紙を束の下へ戻した。

「私が病院へ泊まったのも本当よ。和夫さんが亡くなってから、家へ一人で入れなくなったの。灯ちゃん、あの時の幸枝は知らないでしょう」
「はい」
「お店もお医者さんも。電話すると、本人へって言われるから、出られないって、また説明して」

 携帯を取る。画面は起きなかった。

「あの人が出られるようになったら、私がしたこと、いらなくなるわけじゃないでしょう」

 私は箸を小鉢へ置いた。

「先生、先に会場へ電話するって、私にも言ってました」
「電話しようとしたのよ。木曜に。その場で」
「会場へ?」
「先に、こちらで取り下げますって。お金のことは後でって」
 田辺さんは卓上の缶を開けた。会場へ払った控えを一枚、指の腹で伸ばす。
「私の貯金から。先生に、半分でいいから今決めてって、頼んだの。妹が来る車も、私が先に頼んだから」
「返してもらう方を、先に」
「先に電話されたら、みんな私に聞くでしょう。私がやる会なんだから。電話を置いて、お金の所を見てって」
 控えを缶へ戻した。蓋は閉めなかった。

 会場の番号を今日の一覧へ写したのは、後で相談するためではなかった。
 先生が手を切っただけならいいと、私は思っていた。田辺さんの赤い紙をその方へ寄せていた。
 火の弱い鍋がまた鳴った。
 田辺さんは立ち、蓋を持ち上げる。私も立とうとすると、まだ熱いお茶、と呼ばれた。
 机の案内へ小さい円を一つ描いた。

「ここ、見やすくして。今ならまだ出せるから」

 私がその紙へ手を出さずにいると、彼女は束を持ち上げた。二枚を重ね、こちらへ向ける。
「ここだけ。目の前へ出せば、分かるでしょう」
 小鉢の上を紙が通った。先生も昼、次の用事へ移ろうとしたところを、同じように呼び止められた。
「机へ置いてください」
「持って。そこへ字を足してもらいたいの」
 紙が胸の前まで来た。私は椅子を少し引いた。
「木曜、二枚とも、同じ所が切れてましたね」
 田辺さんは下の紙を戻しかけた。
「取られたの。さっき言ったでしょう」
「先生の指の血は、端の点でした。昼、折らずに挟んでました。帰ってきた時、字の所まで切れて、そこが赤かった」
「手を汚したのは、私。先生が、もう電話するって」
 案内が机へ戻った。私の前ではなく、彼女の小鉢の横だった。
「先生へも、こうして見せたんですか。電話を置いて、こっちを見てって」
 火が小さく鳴った。
「私がいたのに。私に頼んだ会なんだから」
 紙を重ねたまま、人の胸の前へ戻す。昼の点とは別に、二枚へ同じ切れ目が入る。私が金曜に見た包丁は流しにはなかった。先生の身体のそばの床にあった。
「先生の前に、その紙があったんですね」
 田辺さんは返事をせず、鍋の方へ戻った。
 にんじんの長い方を、流しの板へ載せる。包丁が同じ幅で下りた。

「今夜、幸枝に全部聞くって言われたの。灯ちゃん、そこだけいてくれない?」
「帰ります。まだ作る音も、決まってなくて」
「ちょっと、電話するだけだから」
「私が説明するのは、作った字幕の所です」

 言ってから、また説明の話をしていると思った。鞄の紐を肩へ掛けた。

「秋は、私、手伝えません」

 包丁が止まった。
 田辺さんは片方の手からにんじんを置き、包丁は持っていた。

「先生がいたら、先生へ聞けたんでしょう」
「先生にも、訊くことはありました」
「私がいなかったら、あの家へ入れなかったのに」

 彼女が机へ来る。包丁の先は下を向いていた。流しからここまで、持ってくる物ではなかった。
 私の携帯が机で震えた。

「大学から来たので、帰る時刻を」
「ちょっと待って。今、そんな連絡しなくていいでしょう」

 田辺さんの空いた手が画面へ出た。
 私は一歩引いた。携帯は机に残った。
 包丁の柄が、机の縁へ触れた。先は私の方へ起きる。

「置いてください」

 声が細かった。彼女は案内を見る。

「ここ、時間の所だけなのに」
「包丁です」

 田辺さんが、あ、と言った。
 包丁を板へ戻すために向きを変えかけた。机の携帯がもう一度鳴ると、また私を見た。
 私は玄関まで退いた。靴を履く間も、彼女の右手を見ていた。

「灯ちゃん」
「私、今、帰ります」

 同じことしか言えなかった。
 田辺さんは流しへ行く。包丁の背を板へ載せ、手を離した。妹の名が出た携帯を取った。

「幸枝? いま、灯ちゃんも」

 私は戸を開けた。自分の携帯を机へ忘れていた。

 道で息をついた。
 焼き菓子も携帯も家の中だった。二つのために引き返すと、今度は本当に待つことになる。
 近くの店へ戻り、電話を借りられないか訊いた。店の人はどこへ、と訊く。
 警察へ、と言うと席を示された。

 瀬川さんへ、今見た動きを話した。包丁を持って近づき、置くよう言うと戻しかけ、携帯が鳴ってまたこちらへ向いた。私は玄関へ退いた。置いたのはその後だった。
 その後に、木曜の話をした。先生がその場で取り下げの電話をしようとした。田辺さんが今日、自分でそう言った。
 言いかけて、木曜の二枚の紙の話へ戻った。昼は隅に小さい点。夕方には名前の上が二枚とも切れ、その内側が赤かった。
「私、いま、机に置かないで持たされたんです。田辺さんに。先生も、見てって、その紙を」
 言葉が続かなかった。瀬川さんが、こちらへ来られますか、と訊いた。
「携帯も、取りに行けません」
 店の人が水を置いた。私は右手で受け取り、電話を持つ手を替えた。
 電話を切ると、私は店の人へ頭を下げた。

「携帯、ないんですか」
「置いてきてしまって」
「家ですか」
「人の家です」

 それ以上訊かれなかった。お蕎麦の代金は払っているのに、何か注文しなければと思った。
 お茶を頼んだ。まだ熱かった。

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目次

雨を閉じこめる

  1. 01返却済み
  2. 02片方ずつ
  3. 03百円玉
  4. 04おかわり
  5. 05雨の間
  6. 06声の置き場所
  7. 07返す人
  8. 08帰らない夜
  9. 09名前を書くところ
  10. 10六時まで
  11. 11先に行って
  12. 12持ってくる方
  13. 13戻った部屋
  14. 14抜粋
  15. 15渡した写真
  16. 16誰と食べた
  17. 17家で聴く
  18. 18煮える間読書中
  19. 19まだいる
  20. 20もう一杯
  21. 21行かない返事
  22. 22持って帰る
  23. 23白い画面
  24. 24雨漏り

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