その週、大学から私物を受け取る日が来た。
職員のいる時間に持ち主ごとに分けるという。私は律へ送り、久住くんにも送った。午前は授業、と返る。沙帆は蓋のついたマグカップを取りたいと言った。
「置いてたの?」
『飲みかけてた。鞄へ入れられなくて』
自分の希望を返すと、三輪さんへ電話した。頼まれた音はまだ作れていなかった。
『来週までに電話、って言いましたね』
「はい。今日、電話を」
『忘れたのかと思った』
私は謝った。沙帆へ金曜夜に作る時刻を確かめ直し、もう一度連絡すると答えた。
木曜へ電話、と書いた。三輪さんが忘れたのかと思ったと言った声が、もう一度耳へ戻った。
西崎さんからの電話は、もう来なくなった。大学からは職員のいる時間に受け取るよう連絡があった。
澪さんには横浜駅で会った。
弟の家へ、自分の本を取りに行くという。手伝えるか訊くと、重くなかったらと返ってきた。
折り畳みの袋を一つ渡され、先に食べていい、と地下の店へ入った。
私は普通の麺、澪さんは辛い方を取る。少しもらって水を飲んでいると、彼女は普通の方を食べていた。
「先生のこと、聞いた。お母さんからも大学からも」
箸を置いた。
「航が、先生が倒れてる所で、声を流してたんだね。私に返す分を取るために」
「はい」
「私に電話すればいいのに。出なかったかもしれないけど、仕事してたら。それでも」
私は返事を待った。澪さんは水を飲んだ。
「最後の紙は、自分のこと書いてたんだって」
「私も、聞きました」
「それで、ちゃんとしてた、にはならないんだけど」
麺を一口食べ、口を閉じたまま鼻へ手を当てる。私は水を彼女の方へ寄せた。
「航さん、西崎さんの本を、返すって言ってました」
澪さんが水を置いた。
「読んだの?」
「最初の所、分からないと西崎さんへ言ったって。もう、二人で食べた後に」
「それ、聞きに戻ったんだ」
私は返事をしかけた。
「そうだったら。あいつ、私にもそうなの。分かんない所、付箋にして。次に会った時、一緒に見ようって。私、読む暇、あったりなかったりなのに」
箸を取った。
「私が要る所に貼ったんじゃないんだよね。いつも」
食べようとした麺が器へ戻った。
「西崎さんにも、自分の文を先に読んでって、言ってました」
「それで殴られた所、灯さんが見たんだね」
「はい。その後、分室を出て。私、じゃあね、言わなかったんです」
澪さんは頷いた。
「私は出なかった。電話。あとで、また話せると思って」
水を取って、少し飲んだ。
「どっちも、あの時、怒ってたんだよね」
「はい」
「今も怒るよ。返したら終わるんじゃないんだからって。でも、もう一回、読んでって言われると、読みたくもなると思う。私」
私は自分の麺を見た。
航の袋には、律が渡した写真があった。西崎さんが読んでほしくて渡した本も、返すと言った後に開いていた。
西崎さんの電話の言葉を澪さんに一度に話したくなった。何を訊き、何へ答えたのか。
彼女の手が止まっていたので、私は箸を取った。
「灯さん、冷めるよ」
言われてから自分の器を寄せる。私が食べると、澪さんも残りを口へ運んだ。
袋を畳んで返した。本が何冊あるのか訊くと、分かんない、と答えた。
*
弟の家の戸へ着くと、澪さんが立ち止まった。
「何があるか、知られたくない物、あったらどうしよう」
「外で待ちますか」
「でも重いの、持ってもらうんだよね」
袋を見せた。まだ何も入っていなかった。
鍵が開く。部屋に大学の箱はなかった。画面の前に椅子があり、背へ服が掛かっていた。澪さんは持ち上げ、私に見えない向きへ畳む。
本を二冊取り、頁を開く。細い付箋が何本も上へ出ていた。
「取っとこうかな」
取らずに袋へ入れた。
私は出された本の向きを変えた。底が狭く、三冊目から斜めになる。
「これ、私のじゃなかった」
一冊戻そうとして隣を倒した。あー、もう、と小さく怒り、直した。
片方の靴下が床にあった。もう片方を椅子の下で見つけ、二つを揃える。しばらく手に持っていた。
「こんなん、持って帰っても」
その後、服の袋へ入れた。
私の持つ本は思ったより軽かった。重いと言うのも違うので、何も言わなかった。
出る前に、澪さんが椅子を引いて机の下を見る。何も取らずに戻した。
「来週、もう一回。灯さんは、来なくてもいいよ」
「連絡、ください」
「うん。重くなったら」
鍵をかけた。
電車で袋を膝へ置き、駅が変わるたびに口を開きかけて閉じた。
横浜へ戻る前、澪さんが私を見た。
「楽しかった話も、まだしていいんだよね」
私は頷いた。
「今日は、しないけど」
袋の口が、彼女の膝でまた折られた。