雨を閉じこめる

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CHAPTER 10 / 24

第十章 六時まで

箱を机の脇へ下ろした。
 新聞紙と、底へ敷かれたタオルが残っていた。タオルを持ち上げると一円がある。航が何円、と覗いた。

「一円」
「一円か」

 端へ置くと、彼は紙へ戻った。
 西崎さんの携帯が鳴った。大学の人へ、北町の物は動かしていない、ここにある分だけ、と答えた。流しの横の小部屋へ入る。戸は閉まらず、航がペンを持って後ろへ行った。
 はい、が何度か聞こえ、航は電話の終わるのを待っていた。

 澪さんから、少しなら、と来た。
 廊下で電話をかけると、洗濯機が止まる音がした。
『今、脱水。三分ぐらいなら』
「航さんの書いた方、送っていいですか」
『うん。読むのは後で。靴下が一枚、またない』
 写真で送った。澪さんは受け取ったとだけ言い、別のことを訊いた。
『先生へ預けた控え、残ってる?』
「西崎さんへ渡した日のですか」
『そう。電話でまた説明するの疲れたから。見つかったら、そっちも』
 机へ戻って探そうとすると、今はいい、と止められた。
『灯さん、今日、何時に食べるの』
「まだ決めてなくて」
『沙帆さん、麺を買って来たよ。あなたの分もある。仕事の電話だけにしないで、来るなら来るって言って』
 航が小部屋の前でこちらを見ていた。私は携帯を口から少し離した。
「私、行きます。夕方」
『じゃ、閉めてもいる。紙、私が読むまで大学へ出さないでね。まだ中身、見てないんだから』
 切ると航がどうだった、と訊いた。
「洗濯してた。私、沙帆の音、聴きに行く」
「俺の方は」
「届いた。読むのは後だって。控えも要るって」
 航は机の紙を裏へ返した。私は沙帆へ、麺も食べたい、と送った。

 律が来たのは四時過ぎだった。
 大きな紙袋に、封筒と透明な写真袋が入っている。自分の写真を大学へ送る箱に混ぜたくないという。

「帰る時間、決めた?」
「もう少し。俺も片づける」
「何時」
「六時」

 律が携帯を見る。久住くんがもう一度来て棚を見たいと言っていた。

「灯もいる?」
「澪さんに説明する方、まだ」
「じゃ、お茶買ってくる」
「私が行く」

 航が俺行こうか、と言った。律は封筒を広げ、六時までに終わって、と返した。
 私は外へ出た。北町の入口に人がいる。目が合い、手を上げかけて下ろした。
 お茶を買った帰りに、田辺さんへ会った。
 缶を両手で抱え、肩の袋を掛け直している。

「皆、まだ?」
「律と航さん、西崎さんが」
「よかった。これ、重いの」

 缶へ手を出すと、袋お願い、と言われた。お茶を左へまとめ、肩の袋を受け取った。

「秋、大学から返事は」
「今は待ってって。先生がいなくなると、何を待つのか分からないわ」

 抱え直した缶が、胸の所で鳴った。

「幸枝へ話すの、私に残った所もあるの。家で預かってた物、探したから」

 袋は返却の書類より重かった。私は持ち替え、彼女の後ろを歩いた。

 缶を開けると、菓子は入っていなかった。
 領収書、手紙、折られたメモ。その下からCDのケースが出た。

「幸枝にも、これを聴いてもらおうと思って」

 二年前の秋の日付が書かれていた。

「先生と話した音。私も返してって言ったのよ」
「妹さん、聴きたいと?」
「私から言った。今夜、持っていくからって。大学に渡す前に、何を出すか知らせないとね」

 西崎さんが小部屋から出た。田辺さんはケースを私へ向けた。

「灯ちゃん、妹の方を作ったでしょう。私も止めた所があるの」

 ノートパソコンへディスクを読む機器をつないだ。誰から受け取ったかを書く紙を取る。田辺依子。ケースの日付も写し、音声の録音日という欄へ入れた。
 紙の音がした。後ろで車の音が一度強くなる。

『幸枝には私から話します』
『何を話すの』

 私は手を止めた。家で聞いた声と同じ話し方だった。
 原票を返してほしいと田辺さんが言う。先生は、名前も出る、と答える。私のはいいんです、本人に聞いたって君が言ったんだろう。
 紙が動き、次のやり取りの途中で音が終わった。

「これ、去年の方も入ってるんだな」
 西崎さんが画面を指した。
「木曜に、もう一度聴いた所じゃないですか」

 西崎さんが言った。
 田辺さんは私の紙へ眼鏡を寄せた。

「でも、返してって言ったのは私でしょう。妹には私からって」
「はい」
「そこは、その通りだから」

 航が、俺が渡しました、と言った。
 律が彼を見る。

「木曜に持って帰った方から?」
「去年のも、探して。短い所を」

 私は日付の欄へ手を置いた。田辺さんは先に紙の上の名を指した。

「前にも会った日は本当なのよ。そのメモも、ここに」

 缶から一枚取る。先生へ会う日と持っていく物が同じペンで書かれ、その下に洗剤の名があった。

「幸枝、全部は知らないから。私がどこまでやったか」

 大学に音を預ける手順を訊くため、私は職員へ電話した。ケースを別へ置くよう頼まれ、田辺さんへ伝える。
 彼女は携帯を出した。

「じゃ、妹にはあとで。紙の方でも分かるようにして」

 机の端に置いたケースへ、缶の蓋は戻らなかった。

 湯飲みが二度、小さく鳴った。三度目を待っている間に、航は携帯へ手を伸ばした。

「止めないで」

 律の方が先に言った。
 先生の、録音機、まだ止まってない、という声まで聴いた。去年の航が笑う。いまの航は笑わなかった。
 木曜の方へ替えてもらった。先生は同じ所でためらい、同じ所で手を離してと言う。その間へ、今の航の返事があった。

「先生が倒れてる所で、これを鳴らしたの」
「うん」
「私にも、その日に話したって言ったよね」

 律は画面より彼を見ていた。
 西崎さんが小部屋から出てきた。机の缶は開いていて、田辺さんのCDのケースが横へ出ている。

「先にこっちを出す。航君も、自分の方、今日のうちに」
「一緒の文にしないでください」
「だから別にしてるだろ」

 航が紙を取り、折った。私はその前に澪さんへ送りたいと言った。

「俺が送る」
「先に見せてって。ご本人が」
「分かってるよ」

 彼は机へ戻し、折り目を伸ばした。
 田辺さんがおにぎりを並べた。ちょっと先に食べて、と言って、私の前へも置く。

「幸枝へ持っていく分も、買ったの。今夜、姪もいるから」
「姪御さん、来週じゃないんですか」
「今日も寄れるって。急なのよ。それと、幸枝が印刷店へ行くって」
「澪さんの所ですか」
「音の方、自分で聞くって。私にも言ってくれたら、持って行けるのに」

 容器を二つ袋へ戻した。蓋の白い煮物は、おにぎりと違う店の物に見えた。
 航が携帯を取った。澪さんから、帰る前にもう一度送って、と来た。
「六時にする。店、閉めてから」
 律が、六時は帰るんでしょ、と言った。
「帰る。送る方は、今やっておく」
 先生の声を流したこと、澪さんが戻ると言ったこと。航は最後の一文を短くし、送る所の横を押した。日と時刻を選ぶ画面が出る。
「それ、今は来ないの?」
「六時。帰る前に、もう一回、直すから」
 律が写真袋を持ち替えた。
「直したら、遅くなるじゃん」
「そのままなら届く。帰り道で、文の方、また触らないでいいから」
 律が自分の紙袋を開けた。写真の封筒のうち一つだけ、机の端へ離す。

「それ、前の?」

 航が訊いた。

「うん。取り直す方じゃないよ」
「見せて」
「あとで」
「何で」
「今、手、食べ物持ってるじゃん」

 航が手を見た。おにぎりの包装しか持っていなかった。それを机へ置くと、律は封筒も紙袋へ戻した。

「六時までに、終わる?」
「終わらせる」
「帰るってこと?」
「うん」

 久住くんが自分の鞄を引いた。大学へ返す袋に短い道具を移すと、西崎さんが、もう帰るの、と訊いた。
「六時に閉まります。これ、返さないと次の授業、借りられないので」
「まだ、奥の板があるだろ」
「月曜って言ってました」
 西崎さんは携帯を見せた。集荷の受付だった。
「今日、家へ出す。大学の部屋、開かないって。あの箱、ここに残せない」
 久住くんが茶色の箱を見た。木曜に一度取った前の板は壁にあり、もう一枚には釘の頭が四つ見える。
「僕、返すのは待てません。板、持ってもらう時間も要るので」
「分かった。道具、長い方だけ置いて。俺がやる」
 彼はしゃがみ、自分の鞄を棚の下へ押した。
「板の真ん中、持っててください。端だけだと落ちます。戻す時も、誰か持ってる間に上から釘を入れるので」
 西崎さんは半分聞いた所で台車を引いた。廊下へ出すと、輪の片方が浮く。
「一人じゃ、これも下ろせないな」
 久住くんが手を出した。袋を床へ置くので、西崎さんがその先を引き取った。
「返す方、行って。鞄はそのままでいい」
 長い釘抜きの紙を巻いた先が鞄の底へ入り、柄が口の内側へ残った。久住くんがファスナーを閉めた。

 久住くんはおにぎりを持って靴を履こうとし、一度私の机へ置いた。私は立ちかけたが、もう持ち直していた。

「袋に入れたら、海苔、剥がれそうで」

 そう言って出ていった。
 西崎さんは上着を椅子へ戻した。先日直した袖とは反対側の袖口も、少し開いている。
 航が小部屋へついて行った。

「俺の方も、見てください」
「いま、自分のをやってる」
「先に出されると、俺のが後からになるじゃないですか」

 西崎さんが机の袋から薄い冊子を出した。表紙の端へ、校正用、と鉛筆で書いてある。

「こっち、読んで。俺にお前の文を読めって言うなら」
「今日ですか」
「今日じゃなくても。持って帰っていいから」
 航は初めの頁を開いた。指で二本の線の間をたどる。
「この二つ、同じ日に行ったんですか」
「跨いでる。そこだけ見ると分かんないなら、次の図も」
 航がめくりかけた。西崎さんは自分の携帯の予定を開いた。
「こっちは、再来週。向こうへ行く方。春に言ったの、覚えてる?」
「覚えてます。今日は、その返事までできません」
「読むのと、来るのと、同じ返事にしないで」
 航は律を見た。律は封筒を数えていた。
「申請も、先生が見たって所から直さないと」
「そこは出す。それと、俺がもう一度行くのは別だろ」
「俺が行く方は、今、返事、できません」
「何で。帰る時間なら、決めてるだろ」
 律が手を止めた。航は彼女を見ず、本の頁を閉じた。
 西崎さんは画面を閉じず、机へ置いた。
「一人だと、また駅から電話して帰りそうで。お前、次は一緒にって言ったんだよ」
 航は本を袋へ入れた。西崎さんが表紙の折れた所を押さえ、手を離す。
 律が、六時、とだけ言った。航はそちらへうなずいた。
 戸は閉まらなかった。律は写真袋を膝へ載せた。私が彼女を見ると、まだ枚数合わない、と言った。
 机の私の携帯へ、澪さんから、次の方を先に送って、と来た。航へ画面を見せた。

「分かった。俺がした所、声でも残す。あとで、聞いて」
「澪さんにも送って」
「うん。長くしない」
 航は携帯の録音を始めかけ、印刷店から来た電話へ出た。画面を二度押し、終わってから戻した。
「途中で電話すると、分かんなくなるから。メモは先に止める」
「今のは、録らないの?」
「うん。あとで自分のを続ける」
 律が立った。

「灯、外、来て」

 軒下で片方のイヤホンを渡された。
 先生の去年の声がした。その次に西崎さんが、自分の分は先に出す、と言った。
 航が俺の方も見てくださいと頼み、西崎さんが、お前も書けばいいだろ、と返す。そこで止まった。

「今度の、読んであげて」
「澪さんへ先に見せるんだよ」
「それは分かってる。航、何を書けばいいか、もう分かんなくなってる」

 イヤホンを返した。律はすぐには巻かなかった。

「私も、今日中に終わらせてほしい」
「一緒に帰るから?」
「うん」

 律の緑の袖が、手首へ落ちていた。折っていた所を戻したのだと、私はようやく気づいた。

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目次

雨を閉じこめる

  1. 01返却済み
  2. 02片方ずつ
  3. 03百円玉
  4. 04おかわり
  5. 05雨の間
  6. 06声の置き場所
  7. 07返す人
  8. 08帰らない夜
  9. 09名前を書くところ
  10. 10六時まで読書中
  11. 11先に行って
  12. 12持ってくる方
  13. 13戻った部屋
  14. 14抜粋
  15. 15渡した写真
  16. 16誰と食べた
  17. 17家で聴く
  18. 18煮える間
  19. 19まだいる
  20. 20もう一杯
  21. 21行かない返事
  22. 22持って帰る
  23. 23白い画面
  24. 24雨漏り

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