先に出てきたのは紙だった。
航が鞄の口へ手を入れ、上の方を取り出す。警察の人が、機器の方からお願いします、と言った。
「大学のです。昨日、久住颯太から」
紐が鞄の金具へ引っかかった。律が手を出しかけ、航は自分で外した。
電源は入れないでと言われ、入れてないです、と少し強く答えた。
私たちは北町を出た。戸口に人がいて、先生は見えなかった。
「颯太、呼ぶ」
律が携帯を出した。
「律」
「大学の物でしょ」
航は紙を脇へ抱えた。角が折れていて、親指で押し戻している。
私は分室の窓を見た。私たちが飛び出してから、開いたままだった。
瀬川さんは髪を後ろへ結び、首に細い紐を掛けていた。警察手帳の字より、顔の写真を先に見た。
「ここで、少しお話できますか」
分室の玄関の脇だった。私は、先生、病院へ、と言いかけた。
「確認しています。いらした所から、順に」
西崎さんが原本を確認しに行った。戻らないので電話した。倒れていると言われて来た。
身体を動かした所で、誰が先に手を出したのか分からなくなった。
「肩を西崎さんが。私、背中を」
自分へ触れながら話すと、最初に見た位置を訊かれた。横向きで、顔が椅子の下へ入っていた。椅子は邪魔で、西崎さんがどけた。
「床の刃物は」
「黒い柄の包丁です。触っていません」
「こちらの仕事で、刃物を使うことはありますか」
「カッターなら、箱を開ける時に。包丁は、私、ここでは使ってないです」
持ってきた人を見たか訊かれた。木曜もほかの日も、私は見ていなかった。
先生の傷を訊きたかったが、服の暗い所を思い出し、声にできなかった。
「昨日、先生と電話したんです」
履歴を出そうとして沙帆の連絡を開いた。分室いる、入口何、と二つ来ていた。
戻して十六時十八分を見せる。一覧を刷り直し、二枚になったと先生が読んだことを伝えた。
瀬川さんは送ったファイルも見たいと言った。
沙帆が玄関へ来た。
「何があったの」
「先生が倒れてて。西崎さんに呼ばれて」
私は瀬川さんの次の質問を待ってしまった。沙帆は北町を見て、口を開けたまま閉じた。
今の話を先にと言われ、脇へ離れる。鞄からヘッドホンが下がっていた。
木曜の雨を録ったのは彼女だと、私は瀬川さんへ言った。
「軒下で。応募の音を」
「長い方も残っていますか」
沙帆に訊くと、残ってる、と答えた。家で写した控えと、機器のカードにある。
瀬川さんは後で直接話したいと頼んだ。沙帆は頷き、応募へ出したのは声の入っていない三分だと先に言った。
田辺さんが一緒にいたことも話した。外の声のような音がした間、私の一覧へ指を置いていた。
「先生が何か言ったと思いましたか」
瀬川さんが訊いた。
「言葉は分からなかったです。向こうの窓が、開いていたので」
窓から人は見えなかったことも話した。田辺さんの近い声と、遠い方の音は、同じ所には聞こえなかった。
久住くんが来た。機器より先に航へ何か言うかと思ったが、後ろに番号があります、と警察の人へ示した。
貸出の紙を大学の人と取りに行く。私の机には三輪さんの控えが載り、返却欄にも全部の印があった。
戻ると、いつ止めたかを航が答えていた。
「北町へ戻った時に。夜、家へコピーしました」
「北町で聴き直した分も話せ」
西崎さんが言った。大学の人と話していた所から来ている。
「夜だけじゃないだろ」
航が口を閉じた。警察の人が、西崎さんにも別に伺います、と言う。
「北町の、スピーカーにつないで。先生の言った所を聴きました」
私は机へ残った線を思い出した。
久住くんが、返す前に消していませんね、と訊く。コピーしたけど本体は、と航が答え、途中で止まった。
「カードもパソコンも、操作した分を確認します。どこへ写したかも教えてください」
警察の人が言った。
西崎さんが別の方へ呼ばれた。私は、北町で何を聴いたかの返事を全て聞ける所にはいなかった。
律が水を買うと言った。
「俺はいい」
「私が飲むの」
航が、じゃあ、と答えた。律は返事をせず出ていった。
瀬川さんへ木曜の続きを話した。
三時二十二分に、先生の机へ録音機を置いた。航と一緒に分室へ戻ったのは四時前で、私が先生へ電話した後、田辺さんが戻った。それから航がまた行った。
携帯の写真を見せる。本人へ返す、の字と、先生は帰った、の文。
「先生が書いている所を見ました?」
「いいえ。写真だけです」
「先生が出た所は?」
「見てません。航さんと西崎さんが出た所は」
二人の話しかしていないことに、答えてから気づいた。
田辺さんの案内に、名前の下の線があったことも伝えた。先生に大きくした方がいいと言われた、と彼女が話した。
「木曜に持ち帰った紙ですね。ほかにも見た所はありますか」
私は二枚の内側が同じ形に切れていたことと、赤黒い所を話した。先生に取られたので返してもらった、と田辺さんが言ったことも。
「戻って手を洗って、その紙を見せました。航さんが出る前です。西崎さんは、私と送り状を」
先生と電話した時から、送り状を合わせ、田辺さんが戻るまでを指でなぞった。
瀬川さんが写真を開いた。十四へ直した紙の頭が、十三の一覧の下から出ていた。
「下の紙も、木曜に見ました?」
「数字だけ。先生が、二枚になったのかって言ってたから、あの後に刷ってくれたのかと」
それも写真に写っていた範囲だった。先生自身は、どこにもいない。机の下も写っていない。
「帰ったと、文にあるので」
言ってから、その文も航が打ったことに気づいた。
「これが届いた時、西崎さんは」
「私の隣でした。機械の紙を出してて。電話の途中で」
瀬川さんは写真を戻さず、私がそれを受け取る前の作業を聞いた。私は、先生が帰ったという文をもう一度読んだ。
夕方、田辺さんが来た。
北町へ行こうとして止められ、分室へ回ったのだった。私を見つけると先生は、と訊いた。
救急の人が、としか言えなかった。
沙帆が鞄を持つと、田辺さんが強く引いた。二人で同じ取っ手を持つ。沙帆が離し、少し寄った。
瀬川さんが名乗る。田辺さんは妹のことで、と始めた。
「先生、亡くなったんですか」
瀬川さんが、真壁さんは亡くなっています、と答えた。
いやだわ、と田辺さんが言った。もう一度、同じ声だった。
「幸枝にも連絡しなきゃ。先生へ言うこと、まだあるのに」
私は案内の名前の線を思い出した。直してまた見せればいいはずだった。次がなくなったことを、いま私も聞いた。
木曜に持っていた物を確認したいと、瀬川さんが言った。布袋、手帳、案内も。田辺さんはまだ家にあると答えた。
「手を切ったんですか。木曜に」
「私のじゃないの。紙、取った時に」
田辺さんが右の手を出した。指の間が少し白かった。
「包丁は」
別の警察の人が言うのが聞こえた。私は顔を上げた。田辺さんの返事までは聞こえなかった。部屋へ案内されていく。
私の携帯が鳴った。母から、今日帰るのか、と来ている。
いつもなら帰ると打つ。押した胸の硬さが手に戻り、どこへ帰るのか分からなくなった。
廊下で田辺さんの携帯も鳴った。彼女は足を止め、すぐには取らなかった。