分室の前に西崎さんがいた。
私を見て、手帳、と言いかけ、戸を開けた。
「航が倒れてる。救急は、今」
中から田辺さんの声がした。
「学生さん。大学の。二十いくつだったか、分からなくて」
保管室の入口へしゃがんでいた。携帯を耳へ当て、私を見ると空いた手を上げた。
「灯ちゃん、航君、いくつ」
「分からないです」
戸の向こうに航がいた。
棚の前の板も、茶色の箱もない。紺のシャツの前が開き、胸へ赤い所があった。
田辺さんの横を通った。
「航さん」
肩の下に袋があった。頭のそばへ紙が広がっている。顔を覗いたが、目が合わなかった。
久住くんが後ろから来てしゃがんだ。田辺さんの電話の声が小さく漏れていた。
「いま、二人来ました」
西崎さんが携帯を受け取り、スピーカーにした。左の手の平から手首へ白い布が巻かれていた。上着の袖は、その上で切れている。
声に訊かれ、分からないと私が答えた。久住くんと、教えられたことを一つずつ続けた。私は床へ膝をついた。
昨日、代わってもらった手だった。
西崎さんが携帯を床へ置いた。もう一度、呼吸を、と訊かれる。私は顔へ寄った。
「分からないです」
胸の真ん中へ手を重ねた。電話の声が押すように言った。昨日と同じ所だった。久住くんは血の出ている所へ布を当てていた。私は航の顔へ目を戻さず、手を動かした。
左を出しかけた西崎さんが、代われる、と言った。
「今、続けます」
彼は電話の声へ、学生が続けている、と答えた。
田辺さんは立ち、入口へ寄った。保冷袋が足に当たり、持ち上げた。
「田辺さん、鞄、そこへ置いて」
久住くんが言った。
田辺さんは自分の鞄を胸へ抱えた。保冷袋だけを、廊下へ置いた。
航の携帯は手の先にあった。暗い画面へ、私たちの影が動いた。
救急の人が来た。入口の台車が寄せられ、私たちも道を空けた。
田辺さんが携帯を受け取った。手から落ちかけ、両手で持った。
「私、ここで待ってていいの」
訊かれて、私は分からない、と答えた。救急の人は航の所にいた。
戸のガラスの下の角に裂け目があり、透明なテープが渡してあった。白い蓋の薄い箱だけが棚に残っている。
久住くんの長い釘抜きは、先を紙へ包んで鞄に戻されていた。柄が口の内側にある。壁の二枚の板も、そのまま床だった。
「自分の道具です。木曜に使いました。今日は大学の方だけ返しに」
久住くんは鞄へ触らず、警察官へ示した。
西崎さんが言った。
「茶色の箱を二人で出しました。航君が戻ってきたから」
「どこで、再び会いましたか」
「パン屋です。外で一緒に食べた。その後、戻った」
私は律から渡された写真を思い出した。航の袋の口から角が出ていた。
「箱を出してから?」
「集荷の人へ。俺は大学へ行きました。職員へ説明する方を持って。窓口で久住にも会ってます。戻ると、田辺さんがいた」
警察官が保管室を見た。
「この服は」
「俺の。白い方、俺が汚したので。手を巻く時に。洗って返すって」
「着替える前は、胸の傷は」
「その時、俺の手が切れたばかりで。自分の方しか。航は一人でも、服、着られるから」
私は紺の襟を見た。律の写真の胸は白かった。
「白い服は、どこですか」
「箱へ。服も入れて送る方。本の上」
警察官が巻いた布を見た。
「袖は、鋏で切った。航が。腕、入れられなくて」
「その鋏は」
西崎さんが机へ行きかけ、止まった。
「端に。置いてありました」
田辺さんの鞄が鳴った。誰からか、彼女は見なかった。
警察官が戸のガラスを見た。箱の角が当たり、西崎さんが手を切った。航が布を当て、救急相談の番号へかけた、と本人が話した。
「戻って、傷の所を見たんですか」
「田辺さんが電話してて。俺が携帯を借りて、来た二人に」
私は六時のメールを見せた。読み終える前に出た、と話す。あの文を送った人から、まだ続きがあると思っていた。
「私たち、その後に店を出て。田辺さんは、先に」
「袋を取りに来ただけなの」
田辺さんが言った。
「冷蔵庫へ、灯ちゃんが入れてくれたでしょう」
私が頷くと、鞄を抱え直した。
私は律へ電話した。写真はあった、と先に話した。彼女は何も言わなかった。倒れている、と続けると、どこ、と返ってきた。