雨を閉じこめる

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CHAPTER 02 / 24

第二章 片方ずつ

三輪さんは違う靴を片方ずつ履いて、玄関の段へ出てきた。
 茶色の平たい靴と、黒い踵のある靴だった。

「どっちだと思う?」

 私は持ってきた袋を見た。

「靴」
「あ、歩くんでしたら、茶色でしょうか」
「歩くのは歩くけど」
「私は黒い方が好きです」
 律が言った。
「そう? じゃ、黒」

 片足を戻し、奥からもう片方を出してくる。茶色を端へ揃えてから、私たちを入れてくれた。
 十時を少し過ぎていた。駅からここまで、律は袋を持とうかと一度訊いた。私が断ると、次は訊かなかった。服を見に行くからと、今日はカメラも持っていない。
 上着の袖から値札を留めていた白い糸が出ている。三輪さんは引いてみて、取れないと分かると、そのまま袖を折った。

「このあと集会所へ。昔、洋服売ってた友達が、着ないのを持ってくるんです」
「今のも、そうなんですか」
「これは買ったのよ。着なかっただけ」

 私はカセットを出した。三輪さんが背の字を読み、耳の横で傾ける。律が少し身を乗り出した。

「振っちゃ駄目?」
「あんまり強くは」
「中で音が混ざるわけじゃないんでしょうけど」
「混ざらないです」
 律が答えた。

 テレビの下の引き出しへカセットが入った。
 写真は七枚だった。最後の一枚が木曜に戻ることを伝え、机へ並べる。古い台所が三枚、庭が二枚、人の写った物が二枚。
 三輪さんは鍋のある所を指した。

「こんな所に置いてたんだ」
「水害の前のお宅ですよね」
「今は駐車場。見に行っても何もないの」

 庭の端に男の人の背中があった。私が訊こうとすると、玄関でチャイムが鳴った。

「開いてるわよ」

 田辺さんが買物袋を両手に提げて入ってきた。

「重かった。帰りのこと、買う時は考えないのね」
「また大根?」
「半分は私の」
「一本の方が安かった?」
「そう」
「じゃ、安い方をお姉ちゃんが持って帰って」

 田辺さんは笑いながら台所へ行った。袋の中から冷蔵庫へ入れる物だけ選び、大根は残す。律が立ちかけると、手で座らせた。

「その靴、去年痛くなったでしょう」
「帰りはバスにする」
「去年もそう言ってた」
「今年は、する」

 三輪さんが湯飲みを並べた。私は茶色を勧めた口を閉じたまま、お茶を受け取った。
 田辺さんは机を見ると、あと一枚は縁側だったかしら、と言った。

「和夫さんが座ってる。幸枝、写りが嫌だって」
「嫌がったの、お姉ちゃん」
「私も写ってた?」
「寝てたから忘れてる」
「ああ。じゃ、戻らなくてもいいわ」
「私は欲しい」

 声が重なった。律が下を向いて笑い、田辺さんも、眠い顔してたのね、と笑った。
 一覧へ、縁側、三人、と書く。田辺さんは写真を動かさず、先のカセットをどこへ入れたか訊いた。三輪さんが引き出しを指すと、あそこなら分かる、と頷いた。

「受取の欄へ、確認を――」
「その前に、これ。大学へ言ってもらっていいですか」

 茶色の封筒が机へ来た。地域の広報紙の見本と、返送用の小さい封筒が入っている。
 赤い付箋の下に三輪さんの顔があった。写真の脇に、夫を亡くし、ほっとしたと語る、と書かれている。
 私は湯飲みから手を離した。

「来月、出るそうです。字が間違ってたら電話してくださいって。字は、間違ってないでしょうけど」

 律が紙を少し寄せた。私は次を読まなかった。

「大学の展示をご覧になった、って」
 田辺さんが言った。
「私が電話する。どなたかしら」
「お姉ちゃん、この前も電話したでしょう」
「この人には、まだ」
「展示の方。次のには直るって言った」
「今週、先生に会うから。ちゃんと」
「これは金曜までなの」

 三輪さんの指が電話番号へ落ちた。
 私は、私の字幕からだと思います、と言った。

「〈病院から〉を削ってしまって。そのために、ご主人が亡くなったあとみたいに」
「その話は聞いてます」
「申し訳ありませんでした」

 三輪さんが私を見た。上着の糸をもう一度つまむ。

「で、これはどうしたらいいですか」

 見本へ指が戻った。
 私は携帯を出しかけ、代わりに手帳を開いた。

「分室へ持って帰ってもいいですか。金曜の締切も伝えます。今日、どうするかお電話します」
「三時過ぎに。出ちゃうので」

 電話番号の横へ書き足した。
 田辺さんは台所から、先生には私からも、と言った。鍋の蓋を一つ取って、置く所を探している。

「先生、用事が増えると忘れるから。原票も秋のも、その時に」
「秋のって、お姉ちゃんが声かけてた方?」
「聞き書きの会。月に一度。今度は私がやるの」
「私も、行くことになってる?」
「写真のこと、分かる人がいてくれたら助かるでしょう」
「そう。でも、私はまだ」

 三輪さんは袖を戻しかけた。糸がまた出たので、折り直す。

「先生に来てもらわなくても、できるんじゃない?」
「ええ。来てくださる人がいればね」

 田辺さんは大根を袋から出した。転がりそうになり、律が端を押さえた。

「包丁、そっち?」
「勝手に半分にしないで。明日持って帰って」
「今日持って帰るわよ」
「また忘れるから」

 大根は切られなかった。田辺さんは台所の引き出しを閉め、包丁の方はもう訊かなかった。
 私は見本を鞄の上へ入れた。受取の紙を出すと、三輪さんが名前を書いた。田辺さんが横から、もう少し上、とはみ出した字を指す。
 三輪さんは紙を回し、大きな幸のあとへ二文字を詰めた。

「書く所、もっと大きくしてください」
「直します」

 律が私を見た。今度は何を直す話か、間違えていなかった。

 十一時前、三輪さんがテレビの引き出しをまた開けた。

「音を移せるって、姉が言ってたんですが。うちの機械、動かないの」
「CDをかける物は、お持ちですか」
「それはある。昨日、確かめました」

 田辺さんが、ほら、と言いかけた。三輪さんはカセットを私の前へ置いた。

「来週、姪が来るので。前に一緒に聴いたの、覚えてるって」
「金曜までに作って、お持ちします」

 言ってから、久住くんへ訊いていないことを思い出した。

「できるかは、見てもらってから。できなければ、テープだけ金曜に」
「じゃ、お願いします。途中から違う音が入ってるって言ってたでしょう。それも、そのままでいいから」

 メモを二枚書き、一枚を渡す。家で聴くため、金曜返却。署名の欄よりずっと大きい字になった。
 立つと、三輪さんは黒い靴で段を降りた。律に、服を見に行くの、と訊く。

「選ぶのが遅くて」
「買わないで帰ってもいいのよ。誰も怒らないから」
「怒ってないわよ」

 奥から田辺さんの声がした。三輪さんはお茶の盆を持って戻っていった。

 元町の店で、律が白いシャツを三枚、同じ腕へ掛けた。

「違い、分からない」
「襟」
「襟があるのは分かるよ」

 一枚を戻し、もう一枚も戻しかけた所で、薄い緑を取った。

「これ、どう」
「いい」
「早い」
「白よりいい。もう白の違い、覚えられない」
「服の相談、向いてない」
「今言わないでよ」

 鏡の前で自分へ当てたあと、律が私にも当てた。値札は白より安かった。

「緑にしよう」
「値段見た?」
「いま見た」
「その前に言ってくれたら信じたのに」

 試着室から、いる、と声がした。
 私はカセットのある鞄を持ったまま、いる、と答えた。カーテンが開き、律が折った袖を見せる。少し大きかった。

「いいと思う」

 さっきより長く見て言った。律は鏡へ向き直し、それから買うことにした。
 店を出ても袋の口が開いている。

「まだ白、考えてる?」
「うん」
「戻る?」
「戻らない」

 昼をどこで食べるか訊かれた。答える前に、律の携帯が鳴る。

「航が、こっち来るって。颯太もいる」
「そうなんだ」
「行く?」

 画面を覗くと、まだ返事は打っていなかった。

「ゲームセンター。ご飯、そのあとになるけど」
「行く。お腹すいたら、先に食べる」

 律が笑って指を戻した。私へ見せた緑の服は袋に入り、次に誰へ見せるのか、まだ訊けなかった。

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目次

雨を閉じこめる

  1. 01返却済み
  2. 02片方ずつ読書中
  3. 03百円玉
  4. 04おかわり
  5. 05雨の間
  6. 06声の置き場所
  7. 07返す人
  8. 08帰らない夜
  9. 09名前を書くところ
  10. 10六時まで
  11. 11先に行って
  12. 12持ってくる方
  13. 13戻った部屋
  14. 14抜粋
  15. 15渡した写真
  16. 16誰と食べた
  17. 17家で聴く
  18. 18煮える間
  19. 19まだいる
  20. 20もう一杯
  21. 21行かない返事
  22. 22持って帰る
  23. 23白い画面
  24. 24雨漏り

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