雨を閉じこめる

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CHAPTER 11 / 24

第十一章 先に行って

戻ると西崎さんが上着を腕へ載せていた。

「今日は、もうやめる」
「要さん、俺が持った分も、ちゃんと書きます」
「書けばいいだろ」

 航が前へ来た。

「要さん、あの封筒、出したんですか」
「まだ。出した文は、今日のこと」
「研究の方も、先生が当日見たことになってるでしょう」
「それは別に出す。中、読んだ?」
「全部は」
「一頁目も?」

 航が自分の紙を見た。

「今、そっちじゃないでしょう」
「俺が出す方の話だろ。俺が聞きに行った所、何も知らないじゃないか」
「知ってますよ。複写した分の」
「複写じゃなくて。二年、行って聞いた方。お前の音、借りる前から」

 西崎さんは机へ戻りかけた。航がまた前へ来た。
「返却の混乱ってだけだと、違うでしょう。先生が倒れてた時、先に見てたの、複写の紙ですよね」
「お前が先に取っただろ」
「取った。だから俺も書くんです」

 西崎さんが脇へ行こうとすると、航が腕を掴んだ。

「放せ」

 手は離れた。航は道を空けなかった。

「灯には、助けてって言えたんですね」
「そうだよ」
「俺が呼んだ時には、先に紙の方を」
「呼べって言っただろ、電話で」
「来てからです」

 航の手が携帯へ出た。西崎さんはそれを引いた。
 律が航を呼ぶ。彼は振り向かなかった。

「去年の声は、木曜の返事じゃない。そういう文には、もう直しません」

 西崎さんが航の肩を押した。
 航が一歩戻ると、西崎さんの右の拳が頬へ当たった。航の肩が廊下の枠へぶつかる。律の椅子が倒れた。

「何してんの!」

 私が立つとお茶の缶が転がった。田辺さんが拾う。
 航は頬へ手を当てていた。

「顔、見せて」
「大丈夫」
「大丈夫って、殴られたじゃん」

 律が腕を取ろうとして、避けられた。
 西崎さんは鞄を下ろした。

「病院、行こう」
「今、要さんと行くわけないでしょう」
「航」
「袋、取るから」

 航は保管室へ上がった。戸は閉めなかった。
 西崎さんがその後ろへ出かけ、律が間へ入った。
「今、近づかないでください」
 棚の前で、航は顔をこちらへ向けなかった。口へ寄せた手を離すと、袋の肩紐を掴む。一度で上げられず、反対の手を添えた。
 下りてくる航の袋から、冊子の角が出ていた。西崎さんはそれを見た。何も言わなかった。

「帰ろう。私、いるから」
「先、行って」

 律は袋を持とうとした手を下ろした。

「六時って言ったじゃん」
「まだ終わってないんだよ」
「帰るって言った」
「今は、帰る」
「袋、私、持つよ」
 律が手を出すと、航は肩を引いた。持ち直した紐を彼女へ渡した。
「玄関まで。ごめん」
 律は袋を下げた。二人で並んだが、航は彼女の顔を見なかった。

 航が私の方を見た。

「灯、文、あとで送っていい」
「何の方」
「俺がしたこと。もう一回、見てほしい」

 私は澪さんの画面を彼へ見せた。

「先に澪さんへ送って」
「うん」

 靴を履くと、田辺さんが濡れた布を持って来た。

「頬、冷やして。袋へ入れるから」
「いいです」
「一枚だけよ」

 航が受け取り、頬へ当てた。布を取るときに白い方を少し見た。私は彼の手がどくのを待たなかった。

「姉ちゃんへ、今日、電話しました?」
「してない。妹と、印刷店の方へ寄るから」
「昨日、俺が渡した音、その日じゃないって、もう言ってますから」

 田辺さんの手が袋へ戻った。

「それは、聴けば分かるでしょう」
「分かるように渡したんじゃないでしょう。俺も、そうだったけど」

 航は布を渡した。
 田辺さんは畳まず、流しの脇に置いた保冷袋の持ち手へ掛けた。

「来る時に、連絡して。幸枝の所、今日は人がいるから」
「そっちへ行くとは言ってません」

 玄関で律が袋を渡した。冊子が滑り、航は下から押し戻した。
「それ、置いてっていいよ」
 西崎さんが言った。
 航は返事をせず、袋の口を折った。
 戸が開く。律は動かなかった。私も、じゃあねと言わなかった。傘を持っていないので訊こうとして、もう晴れていたことを思い出した。
 戸が閉まった。

 田辺さんは白い容器を出して数え直した。

「私も行くわ。妹の電話、また待たせてる」

 缶は大学の物と分けて置くと言われ、私はそこだけ訊き直した。

「置いていってもいいですか」
「訊いておいて。私の物は、あとで取れるように」

 西崎さんへは顔を向けなかった。玄関から三輪さんへ、今から出る、と電話する声がした。おにぎりの袋が片方だけ、机に残っていた。
 律は椅子を起こし、自分の写真を数えていた。西崎さんが上着へ腕を入れかけると、律が言った。

「航と、どこで会うつもりですか」
「知らない。病院へ行こうって、言ったけど」
「今、行くって言う人、いるんですか」

 彼は袖を下ろした。

「俺が殴った。それは、言う」

 携帯で大学の人へ連絡し始めた。私は靴を履き、缶を流しの横へ避けた。

「灯、どこ行くの」

 律が訊いた。

「沙帆の所。借りたCD、渡すから。あとで澪さんの店にも」
「土曜、もう閉めてるよ」
「沙帆と、中で音、見てるって」

 律は写真を一枚、透明な袋へ入れた。

「私、航、追ってくる」
「一緒に帰るの?」
「知らないよ、そんなの」

 私を見たので、私は袋へ目を下ろした。

「ごめん。違う、灯に」

 律は紙袋の口を両手で押さえた。透けた写真の裏に、私の知らない字があった。
 彼女が出たあと、西崎さんが大学の人へ、まず自分のしたことを話します、と言う。いつもより低い声だった。
 私は邪魔をしないように出た。机に田辺さんの保冷袋があった。まだ小さい容器が入っている。あとで持って帰る、と言われた方だった。
 冷蔵庫へ入れ、西崎さんへ、袋の方を、と話した。彼は戸の前から、うん、とだけ返した。

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目次

雨を閉じこめる

  1. 01返却済み
  2. 02片方ずつ
  3. 03百円玉
  4. 04おかわり
  5. 05雨の間
  6. 06声の置き場所
  7. 07返す人
  8. 08帰らない夜
  9. 09名前を書くところ
  10. 10六時まで
  11. 11先に行って読書中
  12. 12持ってくる方
  13. 13戻った部屋
  14. 14抜粋
  15. 15渡した写真
  16. 16誰と食べた
  17. 17家で聴く
  18. 18煮える間
  19. 19まだいる
  20. 20もう一杯
  21. 21行かない返事
  22. 22持って帰る
  23. 23白い画面
  24. 24雨漏り

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