雨を閉じこめる

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CHAPTER 03 / 24

第三章 百円玉

「自分のあります」

 久住くんが財布を閉じた。航は両替機の前で千円札を持っていた。

「その一枚と替えて。崩したら返すから」
「なら、その千円、入れればいいじゃないですか」
「じゃ、そこ空けて」

 半歩寄らせて札を入れ、硬貨を掴む。それからこちらを見つけ、手を上げた。
 蒼井航は律と同じ四年生だった。背が高く、分室で人が足りないとまず彼へ訊く。来られなくても、誰かを見つけてくれる。今も硬貨を数えるより先に、私たちを台へ呼んでいた。

「何買ったの」
「服」
「見せて」
「あとで」

 律が袋を後ろへ回す。

「灯が選んだ?」
「白を何枚も見せられました」
「白、持ってるの分かってるから」
「私、そこ言ってない」

 久住くんまで少し笑った。
 久住颯太くんは工学部の二年だった。機械の前だと先生も彼のいる方を見てから触る。何もない所で会う時は、背筋を伸ばしている。

「カセット、CDにできる?」
「何のですか」
「三輪さんの。金曜に返したくて」
「いま持ってます?」

 頷くと鞄を見た。航が、午後分室で見れば、と言い、台へ百円を置く。
 律がその一枚を取った。

「最初、私と灯」
「俺のお金」
「はい」

 自分の財布から百円を出して航へ返した。航はそれを台へ入れた。
 ファンが回り、赤いパックが浮く。律は持ち手を腕ごと引いた。

「そんな振らなくていいよ」
「やってみたいんだよ」

 縁へ当たり、自分の側へ戻った。私は一点取った。

「いま見てた」
「パック?」
「いい感じに浮いてるなと思って」
「見てていいよ」

 二点目は私の方へ入った。嬉しそうだったので、私も笑った。
 次は左を見て右へ打つつもりが、反対の縁へ当たってきれいに戻り、私のゴールへ落ちた。

「灯、もう一回」
 航が言った。
「見なかったことにして」
「三人いる。無理」

 律は笑い過ぎてパックを取れなかった。私は黙って一点取る。

「ひどい」
「試合中だから」

 五対四で勝った。律は航の袖を引き、もう一回と言った。
 先に俺と颯太、と航が向こうへ回る。初めは速い球が続いたが、三点差になると航の球が遅くなった。

「ちゃんとやってください」
「やってるよ」

 次も遅かった。久住くんは手で押さえ、あと一分と出た表示を指した。
 航が律を見た。律は台から離れ、腕を組んでいた。

「ごめん。じゃ、いく」

 そのまま航が勝った。
 久住くんが自分の百円を出す。

「もう一回、いいですか」

 航は手を引き、彼に入れさせた。今度は喋らなかった。パックが縁を打つ音が続き、久住くんが一点取ると、律が私の袖を掴んだ。

「見た?」
「見てた」
「あれ、私もやりたい」

 袖を掴んだまま、次の球を見る。私は腕を動かさなかった。
 律は携帯の画面を止め、久住くんが百円を出した所を私へ見せた。

「顔、いい。これ、写真にしてあげる」
「負けた所、入れないでください」
「そこは動いてるから」

 負けた久住くんは、最後違う方へ打ちました、と自分の手を見た。航が私の失敗をまた言ったので、それは終わった、と答えた。
 律が、あの一点教えて、と頼む。久住くんは航を見て、強く打たれるとできないんですけど、と言った。

「俺、脇で見てる」

 航は私の隣へ来た。硬貨を二枚重ねる。

「灯、まだやる?」
「お腹すいた」
「俺も」

 声を掛けると、律は今ちょっと、と言った。教わった側と違う方へ打っていた。

 小さい総菜屋で、魚のフライを四つ買った。コロッケが一つ、おまけでつく。
 航が貼り紙を見つけたので、分けるのは私に回った。

「分けた人、最後ね」
「そうなんですか」
 久住くんが訊いた。
「いま決めた」

 割り箸で四つにしようとして衣が崩れた。大きさを比べる形ではなくなり、四人で順番に拾った。
 久住くんがフライを口から離した。航が飲物を出す。まだ熱いです、と彼が言い、律も自分のを割った。
 航が携帯を台の端へ置いた。さっきの一点を律が撮っていたらしい。

「これ、灯も見て」

 近づくと、硬い音が大きく鳴った。律が音量を下げた。

「耳、近い」
「自分で持つより、置いた方が見えるじゃん」
「音は、みんな見なくていいから」

 もう一度、パックが戻る。久住くんが笑ったので、彼にも見せることになった。航が戻し、同じ音が小さく出た。

「この前、別の映像、仕事先に出した」

 航が携帯を伏せた。律はフライを持ったまま顔を上げた。

「有料の?」
「最初の分は、もう。卒業したら一本。田辺さんの秋の会。商店街の聞き書き。見本、先に」
「よかったじゃん」

 航は笑った。いつ決まったの、と訊くと、正式には木曜、先生に紙をもらってからだと言った。

「見本には姉の声も入れてる。昔の方、ちょっと」
「澪さんがやるの?」
「一つはね。印刷屋だけじゃ、もったいないし」

 私は音のことが分からないので、すごいねと言った。航は、字幕の所、灯にまた頼むかも、と言った。律はフライをひと口食べた。

「明日、午後いる?」

 携帯をしまった航が訊いた。

「姉の店の案内、受取りに行ってくれない。木曜に先生へ渡したいんだよ」

 お姉さんの澪さんは、前は同じ大学にいた。今は印刷の仕事をしている。私は二年前、映像をこれ以上使わないでほしいと書かれた紙を先に思い出した。

「沙帆も行く。二つあるから」
「行ける」

 律はフライを小さくしていた。見ていると、どうしたの、と顔を上げた。
 航が、助かると言った。

「訂正も今週、先生と話す。ちゃんと出たら、姉が戻る方も選べるし」
「大学へ戻るの?」
「選べるようには、したいじゃん」

 私は広報紙の見本を鞄から出した。三輪さんの所へ同じような文が来ていることを伝えると、西崎さんへ先に、と航が言った。
 先生は今日外にいる。それなら、西崎さんのいる分室へ戻る方が早い。

「三時の電話、あっちでする?」
 律が訊いた。
「うん。テープも見てもらう」
「じゃ、駅まで一緒」

 航が服の袋へ手を伸ばすと、律は明日着る、と言った。

「明日、俺いないかも」
「じゃ、見ないままかも」

 袋は私の側へ戻った。私は駅まで、もう少し見ていたいと思った。

 西崎さんは見本を読むと、電話番号を携帯へ写した。

「三時過ぎに返事するんだね。先にこっちへ訊く」

 私が電話しようとしていた手を戻す。久住くんはカセットの窓を見て、再生する機械を借りに出た。三十分ぐらいと言うので、金曜までにできるか訊くと、聴いてからです、と答えた。
 三時十分、西崎さんの電話が終わった。

「見本、いったん止めてもらった。担当から三輪さんへ連絡する。直した文を載せるか、記事ごとやめるかは本人に聞くって」
「ありがとうございます」
「三輪さんへ電話して」

 私は折り返した。大学の映像は木曜に先生へ、と言うと、分かりました、と返ってきた。テープはまだ全部聴けていないことも伝えた。
 今日中に何か答えなければと思っていたのに、明日の電話でいいと三輪さんが言った。切る前にメモの日付を直した。
 西崎さんは別の番号へかけ始めた。私の仕事は一つ終わり、彼の電話はまだ続いた。

 水曜の午後、印刷店のガラス越しに沙帆が見えた。
 段ボール箱へ座っている。手を振っても立たない。

「座っていいの?」
「いいって」

 奥から澪さんが顔を出し、空箱ならどうぞ、と言った。作業着の袖を上げ、赤いペンを持っている。

「宮原さんだよね。いま包んでるから」

 沙帆が膝の横の袋を開けた。飴を一つ取ると、すぐ閉じる。

「それ、お客さんの」
 奥から声がした。
「一個」
「昨日から数えて」

 レジの皿にも同じ飴があった。

「何で袋から取るの」
「近いから」

 澪さんが包みを二つ持って出た。袋を沙帆から取り、皿へ飴を足す。

「ほら、いまこっちの方が近い」
「もう食べた」
「もう一個、取ろうとしてた」

 沙帆は箱を降り、カウンターへ顎を載せた。
 案内二百、受取の控え百。私は注文書と数量を比べた。私が短くした文から、一行だけ戻っている。内容を再確認する場合がある、と先生に言われた所だった。
 澪さんは見本を載せ、角を揃えた。

「仕事の後で、ちょっと待つ?」
 沙帆が訊いた。
「今日は帰る。昨日帰れなかったから」
「じゃ、待つ」

 私は包みを抱えた。まだ昼を食べていないと話すと、沙帆が三人で、と言った。今その数へ入ったのが、少し面白くなかった。
 西崎さんへ四時までに戻ると送る。濡らすな、と返ってきた。

 食堂で、澪さんは私の包みを空いた椅子へ移した。

「床、濡れてることあるから」

 沙帆は焼きそばを頼んだ。私も麺のつもりで選んだが、沙帆が伝票の「丼」を指した。メニューの写真を見直すと、具の下に少しご飯が見えた。

「ご飯、食べなかった?」
「あと一口で電話」
「先に食べたら」
「誰か出てくれたらね。昼休み一人だから」
「もぐもぐって、出れば」

 沙帆が本当にやり、澪さんが笑った。私が受取時刻を確かめた電話も昼だった。

「宮原さんのことじゃないよ」
「すみません」
「今、違うって言ったのに」

 澪さんは沙帆の水をひと口飲んだ。
 明日の七時でいいかと訊き、沙帆が安い所を探すと答える。私は包みの紐を指で押さえた。

「劇場には返事した?」
「まだ。出す音、決まってない」
「金曜までだよね」

 応募のメールを沙帆が開いた。音響を手伝う人を探していて、短い音と経歴を送る。

「先生に見てもらったら」

 私が言うと、画面が消えた。

「見てもらった。いいと思うよって」
「じゃ、いいんじゃない」
「じゃ、って」

 言い直す言葉が間に合わなかった。沙帆はストローの袋を細く折る。

「夏の展示も頼まれてる。そっちの返事もしないと」
「給料は」
 澪さんが訊いた。
「交通費」
「行った分でなくなるじゃん」
「そうだよ」

 私の丼が来た。二人の皿より大きかった。
 別の話をしようとして、航が訂正の話をすると言っていたことを伝えた。大学へ戻る方も選べるように、と。
 澪さんが魚へ置いた箸を止めた。

「誰に言ってた?」
「私に。昨日、律と久住くんも」
「またか」

 沙帆はこちらを見なかった。

「戻らないよ。店も休まない。申し込むとか、何もないから」
「はい」
「あの訂正は出してほしい。私が勝手にやったみたいに残ってるから。それと、この紙。預けたままの分も」

 澪さんが鞄から控えを出した。私が以前見た物より、余白に小さい字が多かった。持ってきた日と、公開を止めたい範囲、説明を求めた相手が書かれている。先生の返事の欄は空いたままだった。

「航には原本を本人に戻してって言った。俺が持って帰るって言ったから、私が先に見るって、また言った」

 彼女は控えをしまった。
 二年前、分室の前で彼女が先生と話す間、私は字幕を切っていた。先生は後で、先に相談してほしかった、と言った。その時、何を先に相談すればよかったのか訊かなかった。

「私、戻りたそうに聞こえた?」
「航さんが、その」
「うん。ごめん。航に言うことだった」

 澪さんは骨を皿の端へ寄せた。
 沙帆が自分の皿を動かし、私の丼を覗く。

「多かった?」
「うん」
「言ったじゃん」
「言ったね」

 小さい器を頼み、少しもらうと言った。飴も食べたのに、と澪さんが言うと、あれは別、と答えた。
 私はまだ箸をつけていない方を二人へ向けた。

 出ると雨が落ちていた。澪さんが店から袋を持ってきて、包みへかけた。
 角で別れる時、沙帆が七時ね、ともう一度言った。

「高いの、分かってる。変な名前も、できたら避ける」

 澪さんは笑って見送った。
 帰る途中、傘をずらし、私の包みへ寄せてくれた。七時の食事は明日。私も空いている。

「それ、二人で行くの?」
「何が」
「明日」

 沙帆は私の持つ包みを見た。

「灯も来る?」
「行っていいなら」
「嫌だったら訊かないよ。澪さんにも、今」

 携帯を出しかけたので、こっち先に、と包みを少し上げた。
 彼女は自分の分を取った。傘が私の方へ傾き、肩が濡れる。片手で打って、それでも明日の七時、と私へ確かめた。

「うん」

 澪さんから、三人ね、と来た。沙帆が画面を向ける。私はその三の字を見てから頷いた。
 車が通るので二人で軒下へ寄る。沙帆の携帯がまた鳴った。

「劇場?」
「先生」

 一番上の、楽しみにしています、が見えた。
 傘を閉じ、沙帆は両手で打ち始めた。自分の包みは膝へ挟んでいる。

「先、行ってていいよ」
「先に置いてくる」
「私の机。空いてる方。あ、待って。何か置いたかも」

 私は歩きかけた所で止まった。自分の携帯も鳴った。
 包みを軒下の乾いた所へ一度置いた。宅配便の通知だった。その日の受付は、もう終わっていた。

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目次

雨を閉じこめる

  1. 01返却済み
  2. 02片方ずつ
  3. 03百円玉読書中
  4. 04おかわり
  5. 05雨の間
  6. 06声の置き場所
  7. 07返す人
  8. 08帰らない夜
  9. 09名前を書くところ
  10. 10六時まで
  11. 11先に行って
  12. 12持ってくる方
  13. 13戻った部屋
  14. 14抜粋
  15. 15渡した写真
  16. 16誰と食べた
  17. 17家で聴く
  18. 18煮える間
  19. 19まだいる
  20. 20もう一杯
  21. 21行かない返事
  22. 22持って帰る
  23. 23白い画面
  24. 24雨漏り

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