金曜の朝、沙帆から送った、とだけ来た。
メールを見てから、劇場のことかと訊いた。そう、と返る。昼から来る、と続いた。
お疲れ、と送って止めた。昨夜どこで食べたのかも、聞きたかった。
分室で鞄から封筒を出した。テープとCD、写真八枚、受取の控え。全部揃え、もう一度入れる。
西崎さんは北町から運んだ紙を分けていた。
「先生、今日は来られますか」
「大学の方の用事って言ってた」
「写真は、このまま返してきます」
「うん」
机には青い付箋が一枚残った。田辺さんはまだ来ていない。手帳を置いていた場所へ付箋を戻し、私は十一時前に出た。
三輪さんは戸を開けて待っていた。
家の中でラジオが鳴っている。来週来る姪に何を出すか考えていたと言う。
「前、椎茸、嫌いだって言われたの。母親に訊くと、家で全部食べるって。味が違うんでしょうね」
笑っていたので、私も笑った。
写真を先に取ると、ああ、寝てる、と田辺さんの所だけ寄せた。
「暑い日は、靴下から脱ぐの。お姉ちゃん」
片方だけ、足に靴下がなかった。
三輪さんがCDを出しかけた。真ん中を押すと、と私が言うと、そのぐらい分かります、と返った。
「すみません」
彼女は指で押して出した。私は控えを向ける。
「途中の違う音も、そのままです。順番も変えていません」
「分かりました」
名前を書いて紙を戻す。
「広くなったね」
「書き直しました」
「ありがとうございます」
広報の記事は取りやめることにしたと言う。直した文も見せると言われたが、載らない方がよいと自分で返事をした。
私は大学の映像も止める連絡を始めたことを伝えた。三輪さんは封筒を棚へ置き、写真だけ持った。
「灯さん、お昼は」
「戻ってからです」
「そう。じゃあ、ありがとうございました」
上がるようには言われなかった。私は門を出て、受取の控えを確かめた。三輪幸枝、大きな字の下に小さい日付があった。
戻ると、航が私の椅子へ座っていた。
上着を脱いだばかりで、立ったあとの椅子が温かかった。
「先に形、見てほしかった」
訂正のお知らせ。三輪さんの発言の前後が落ちたこと、澪さんの申し出が適切に扱われなかったこと。下には先生がこの訂正を了承した、とある。
「昨日、全部読んでもらえた?」
「文はまだ、直すけど」
私が読み直す間、航は鞄を閉じた。昨日の空欄は埋まっていた。先生の署名はなかった。
「私の名前、入れる?」
「入れたい?」
「字幕を、私が」
「一人のせいにする文じゃないから」
ほっとした自分が嫌になった。私は手をその行へ置いた。
西崎さんが机から見た。
「宮原、もとの申し出の紙、こっちに残ってる?」
「昨日、印刷したのを航さんへ」
「北町の原本は」
「先生がご覧になっていた方は、向こうだと」
航が、こっちにある、と鞄へ手を出した。
「原本?」
私が訊くと手が止まった。
西崎さんが青い札の鍵を取る。
「確認する。先生の控えも混ぜてないか」
上着を取らずに出た。航は鞄を開けなかった。
律が来て、颯太のやつ返した、と訊いた。航が今から、と答える。
「それ、大学のだよね」
「分かってる」
律はどかず、私の机の文を読んだ。航は姉の方だからと言って、紙を裏へ返しかけた。
私は三輪さんの返却欄へ印をつけた。これで全部だった。
西崎さんが戻らないので電話をした。
呼び出しが続き、宮原、と声が出た。
「原本、ありました?」
向こうで物が倒れた。机か椅子のような音だった。
「来て。北町」
「先生の所ですか」
「先生が倒れてる。いま救急、呼ぶ」
立った椅子が律へ当たりかけた。西崎さんに呼ばれたと言って外へ出る。横断歩道へ回る所で、携帯を持つ手を替えた。
北町の戸は開いていた。
西崎さんは棚の前にいた。私が入ると奥を見る。
「先生が」
電気のついていない机と流しの間に、靴の先が見えた。
回ると、先生が横向きに倒れていた。白いシャツの背中の方が暗く、床へ色が広がっている。顔は椅子の下へ半分入っていた。
机の脚のそばに包丁が落ちていた。黒い柄がこちらを向いている。
「そこ、踏まないで」
西崎さんは携帯へ、刃物が床にあり、触っていない、と答えた。私も避けてしゃがむ。
「先生」
返事はなかった。肩へ触ると冷たかった。
電話が床へ置かれた。人の声が大きく出る。
「来ました。手伝ってくれる人」
西崎さんが答えた。私は自分の携帯をしまった。
声に言われた通り呼吸を見る。服も背中も動かない。分からないです、と言うと、また指示が来た。
身体を仰向けにする。西崎さんが肩を戻し、私は背中へ手をかけた。引かれた椅子が脇へ当たり、彼がどけた。
机の端へ手をつきかけると、線が腕へ触れた。何にもつながっていない先が、垂れている。私は手を戻した。
先生の胸へ手を重ねる。押すと、思ったより硬かった。
「できてるか、分からないです」
電話の声は続けるように言った。先生の顔を見ずに押した。
西崎さんが外へ人を呼びに出た。航が入り、私の横へ来る。
「交代できる?」
「うん」
同じ場所へ手を重ねた。私は代わってもらったことを伝えた。
律の声が外でした。救急車へここを知らせるよう、西崎さんが頼んでいた。
机の角には、昨日渡した原票があった。名前のある所が上を向いている。床にも落ちた紙があり、どれが澪さんの分か、見分けなかった。
航の息の音が近くなり、私は胸へ目を戻した。数えようとして数字が飛んだ。
救急の人が来ると棚の前へ下がった。
西崎さんへ携帯を返す。自分の方には、彼へかけた履歴が残っていた。
警察の人も来た。名前を答え、こちらへ来たのは今、西崎さんに呼ばれて、と話した。
「昨日、先生と話したんです。電話で」
十六時十八分を見せると、あとで伺います、と言われた。
あとでになる前に何か言わなければと思って、昨日の机の角を見た。
録音機のあった所が空いている。スピーカーの細い線だけ残っていた。
「航さん。録音機」
航が鞄へ手を載せた。
「俺が持ってる」
警察の人がそちらへ向いた。航はすぐには開けなかった。