月曜、大学の職員から、分室の仕事を今週は止めると来た。
最後に荷物を運ぶ日は、まだ決められない。頼まれた原票を返す仕事も、職員へ移すという。
「三輪さんへ作る音は、続けていいですか」
私たちが家で作る物で、大学へ残す分とは別だと話した。先に本人へ確認してください、と答えられた。
今週の給料の欄が空く。勤怠の紙を持って署へ行く時、自分の手帳も出した。先生の声を聞いた日と、航の胸の前を見た日へ、違う印があった。
瀬川さんへ、今日から分室には行かないことを伝えた。土曜の店から分室へ戻る道を訊かれ、店の窓と、車が角へ出た所を描いた。箱のベルトの色は思い出せた。田辺さんが窓を見た所も。運転席へ乗る人の顔は、描かなかった。
署を出ると、昼のパン屋の前に久住くんがいた。
今日のアルバイトまで時間があると言う。新しい道具はまだ買っていなかった。
「お金、今月、ちょっと」
私は謝ろうとしてやめた。
久住くんが先に店へ入った。私は入り口にある時刻の貼り紙を見た。土曜も開いていた。
パンを選んでいると、店の人が私を見た。
「大学の方?」
「はい」
「さっき、話して来たんです。土曜の二人。あの若い人たち、あの後だったのね」
私は袋を取る手を止めた。
店の人は久住くんを見て、そちらとは違う人、と言った。背の高い方の後に来た人が、上着を腕へ掛けていたという。私は西崎さんだと思った。
「二人で、来たんですか」
「先に一人。背の高い人。後からね。袋、買う前に、もう持ってた。これも持って帰るんだった、って」
私は律の写真袋を思い浮かべた。
「先の人が選んでる間に、後の人が来たんです。甘いの、あと二つしかなくて。一つずつ袋に入れたら、一緒でいいって」
「食べたんですか」
「外で。あの端。雨、上がってたから」
奥の窓へ小さい紙袋が重なっていた。私のパンを包む人の手が動いた。
「会計は後から来た人が。先の人が、ここで食べるって、外を指したんですよ。戻るって言ってたから、差入れかと思ったら」
袋を渡された。私は代金を出すのが遅くなった。
店を出ると、西崎さんから文が来ていた。
〈昨日の、名前を入れる所。手を巻いてくれた方も、続けて書きたい〉
私は店の横へ寄り、電話した。久住くんは少し先でパンを食べていた。
「航さん、自分で書くって言ってましたよね」
「俺の手の所は、俺からじゃないと。灯が見て、電話に答えてくれた所から続ければ」
「私が見たのは、倒れた後です」
「うん。そこまで、繋がるように」
パン屋で渡された袋が、電話を持つ手へ擦れた。
「一緒に食べた所も、書くんですか」
「そこ、聞いた?」
「店の人が」
「俺も、謝ったよ。聞いてたか、分からないけど。頬、反対へ向けて、自分の袋、間へ置いた。パン、もう一個、あるって言ったら、自分で取った」
「本の返事は、したんですか」
「二つの日に跨ぐ所、何でここだけ線が戻るのかって。図、貸した本に載ってるだろって言った。俺の方も、まだ読んでないのに」
「それを訊きに戻ったんですよね」
「先に集荷、出さないと。本も返せないからって。手伝えるって」
久住くんが袋へ手を入れ、食べ終えた紙を押し込んだ。
「航さん、帰る服は」
「俺の手で、白い方、汚した。帰るなら着ていけって。自分の服は洗って返せるから」
「着て来た方は、箱に?」
「そう。服もある方。袋に分けて」
私は窓から見た茶色の箱を思い出した。
「手を巻いてくれた所は、瀬川さんへ話します」
「そこ、残して。殴った後だったから」
切ると、久住くんが私へ手を出した。
「それ、持ちます。電話、まだあるなら」
パンの袋だった。私は渡しかけ、首を振った。
「もう終わった。ごめん」
「僕、次の授業出てから、早番なので」
「棚、戻すのは、いつなら」
「板を持ってくれる人が決まってからにしてください。行って待つの、今週は困るので」
私は手帳を出しかけた。大学から、最後に荷物を運ぶ日も決まっていないと来たばかりだった。
「決まったら、先に訊くね」
「はい」
久住くんは肩の鞄を上げ直した。返ったのは鞄だけだという。長い釘抜きは調べるために残された。
「短い方を買おうと思って。授業へ持ってくるので」
「西崎さんに、頼めば」
「いいです。自分で買います。あれが返っても、使いたくないので」
大学の方へ歩き出した。私も途中まで同じ道だったので、追いついた。
袋の中で、パンがまだ少し温かかった。
前を通る人が来て、久住くんは壁へ寄った。私も袋を持ち替えた。
並んで歩き出すと、久住くんが先になった。駅の方へ曲がる角で、彼は振り返った。私は向こうのホームへ上がると話した。
「じゃ、また」
「うん」
久住くんの手が上がった。私も袋を持つ手を上げた。
ホームへ上がり、瀬川さんへ、パン屋の人から聞いたことを伝えた。店の人へはもう訊き、集荷の時に運転手が見たことも確かめたという。
その日の夕方、航の携帯の音を聴くことになった。手を切った時の救急相談は、航が電話していた。航を見つけて救急へかけたのは田辺さんだった。西崎さんは戻ってから、その携帯を受け取っていた。
私はもう一度署へ行った。久住くんは授業とアルバイトへ行く。
航の携帯から取り出した音を聴いた。本人の画面を触らず、瀬川さんの机の機器で再生した。保存されていた二つのファイルだった。私は、途中で電話すると、メモは先に止める、と航が言った所を思い出した。
先の方で、先生の声を流したのは自分だ、と言った。戸と台車の音がする。
『ベルト、これでいいですか』
西崎さんがもう少し下、と返す。次の部分では、二人とも近くにいた。
『そっち、押さえて』
『俺、こっち持つから、手、出さないでください』
何かが擦れ、西崎さんの声が短く上がった。
『痛い。ちょっと、待って』
戸の所、と言い、布が動く。
『電話、します』
『しなくていい。これ、押さえれば』
『手、出してください。自分で押さえて』
ここで先の録音は終わった。
次のファイルまでに、航から救急相談の番号へかけた履歴があると瀬川さんが言った。7119だった。西崎さんが手を切り、航が受診する所を訊いた話も、別に確かめているという。
通話の声はここにはなかった。左の袖を切り、布を巻いた所は、西崎さん自身が話していた。
次のファイルは、航の、自分で続ける、という声から始まった。
『茶色の箱は、棚から出しました。要さんの手は、布で押さえています』
航が、台車へ載せた、と言った。西崎さんが、もうそれはいいから、と返す。
『さっき殴られました。手、巻いたからって、それ、なくしたことにしないでください』
紙を動かす音がした。
『本、ここ置きます。折った所、まだ分からないので。後で返事ください』
『置いてくの』
『今日は帰ります。鍵は』
西崎さんが机、と答えた。
『道具、ここでいいですか』
『久住の鞄。釘、紙で包んで。自分で持つ方、上へ』
紙が擦れ、硬い音が小さく鳴った。
『来週、向こうへ行くの、俺は行けません』
西崎さんが、再来週、と返した。
『それもです』
『本、そこまで見たんなら、もう一回』
『読む方、まだやめるって言ってません。泊まる方は行けません。姉ちゃんに渡すの、俺、自分でやります』
『お前の方、灯に頼むって言っただろ』
『頼んだ。俺が先生の声を流した所は、自分で書きました。これから姉ちゃんに電話します。それを要さんから説明しないでください』
私は机の音を聴いていた。航の声がそれより近かった。
『先生が見たって所も、自分で話します。要さんが聞き取りに行く相手、電話、分かりますか』
『今かけるのはやめて。順番があるから』
『要さんの電話では、俺が行く方は断れないじゃないですか。自分でかけます』
『こっち、見て。二人って、向こうへも』
西崎さんの声はそこで遠くなった。航が、いったん止めます、と言った。
『今、そっち、見ないでください。俺の電話です』
そこで録音は終わった。
私は椅子へ座り直した。布を巻いた後に、来ない、と答えていた。二人で出した箱は、向こうへ行く返事とは別の物だった。
「その相手へ、電話は」
「繋がった通話はありませんでした。何のためにかけるという話だったか、先方にも確認しています」
集荷の人へ箱を渡したのは西崎さんだった。私は店の窓で、左を布へ包んだ彼の手を見た。
「その時、田辺さんは店でした」
「伺っています。六時のメールが来た後に出た所も」
私は航の携帯を見た。澪さんが六時にかけても、出なかった方だった。
私は手帳を閉じた。先生へ何をしたか話すため、航は自分の声を残していた。その後、自分で電話するところを、録ろうとはしていなかった。
署を出る前に、西崎さんから原稿の写真が届いた。先生の所見を除いた方だという。
それを大学へ回してほしい、と続いた。職員から灯の意見も欲しいと言われた、とある。
私は職員へ直接かけた。頼んだのは別の所の確認だったという。西崎さんの原稿は、自分が読むために受け取り、大学へ送ることはしなかった。
駅へ着くまで、パンは食べなかった。