雨を閉じこめる

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CHAPTER 04 / 24

第四章 おかわり

木曜の朝、西崎さんは机を空けていた。
 昨日、沙帆と運んだ包みは開けてある。戻るのが遅くなったことを謝る前に、端の束を棚へと言われた。

「今日、最後の箱が来る。そっち、空けといて」

 私の携帯が昨日鳴ったのは、宅配便の再配達だった。今夜受け取ることになり、沙帆と澪さんへ、三人で食べる方を土曜にできないか訊いた。澪さんは昼なら、沙帆は何でも、と返した。
 沙帆の机にはヘッドホンと蓋をしたカップがあった。

「土曜、十二時半でいい?」

 後ろから声がした。私は頷いた。

「今日も澪さんの所へ行くの?」
「音、聴いてもらう。応募の」
「そっか」

 沙帆はカップを取り、空いているか傾けた。少し残っていた。

「七時の前に終わるかな」
「ご飯、食べないの?」
「食べるかも。作ってると、忘れるから」

 私は再配達の時刻をもう一度見た。土曜なら行ける。今日は七時には部屋へ戻らなければならなかった。

 西崎さんが水色のヘアゴムを差し出した。昨日、袋を留めるために使った物だった。

「これ、宮原の」
「ありがとうございます」

 彼は椅子から上着を取った。右の袖口がほつれている。

「電車でやった」

 引き出しから缶を出して、裁ちばさみで糸を切る。先を閉じたまま袖のほつれへ近づけて、それから開いた。布まで切れそうなので、私は自分の手を引いた。針へ通す時だけ手を窓へ寄せた。それでも入らないようなので、机の糸通しを近づけた。

「ああ、ありがとう」
「直せるんですね」
「これぐらいなら」

 通ってからは速かった。裏から二、三度縫い、表へ返し、また戻す。

「そっち、見えなかったですけど」
「俺には見えた」

 缶へ針を戻す所で、チャイムが鳴った。

 最後の箱は思ったより小さかった。
 田辺さんが封筒を一つずつ開けた。同じ名前を二度読むと、そっちは家族の分、と言う。西崎さんが送り状へ印をつける。
 三輪さんの八枚目は、厚紙に挟まれていた。縁側に夫婦が座り、奥で田辺さんが横になっている。眉を寄せていて、寝ているのか起こされたのか分からない。

「ひどい顔」
「楽しみにしてました」
「幸枝が?」
「はい」
「そうでしょうね」

 写真を戻しかけ、田辺さんが手を止めた。

「金曜に返すんだったわね。原票、先生に見てもらってからで」
「写真は先に戻せる。紙は先生」

 西崎さんが二つに分けた。田辺さんは手帳を開き、青い付箋を一枚剥がして貼り直した。
 小さい案内に、お話を聞く人 田辺依子、とある。

「初めて、そっちへ名前を書いてもらったの。今まで、連絡先ばっかり」

 照れたように裏返す。私はもう少し見たかった。

「秋の会、妹さんも」
「写真のこと、知ってるでしょう。来てくれたらね。会場の人も、先生のお名前を借りられるなら声かけやすいって」
「田辺さんがやるんじゃ」
「私がやるの。来てくれる人がいないと、始まらないけど」

 手帳を閉じると、玄関から航が飯どうする、と呼んだ。

 出る前に、久住くんと機器を北町へ戻した。
 電源をつなぐ方のスピーカーと、もう片方が一つの箱に入っている。私が箱を持ち、久住くんがコードを持った。横断歩道へ下るので、北町の窓は近いのに、着くまでは長い。
 先生が戸を開けた。元は小さい印刷所だったという一室には棚があり、奥に机が二つある。手前は紙を広げる机。奥には電話と小さいプリンター。高い窓は先生の椅子の後ろだった。
 机には切りかけのりんごと湯飲みがあった。先生は皿を奥へ寄せ、黒い柄の包丁を小さい流しへ運んだ。

「戻った。あとで、二人で聴くから」

 久住くんが机の両側へスピーカーを置いた。コンセントへ差し、つないだ左右の線を後ろへ回す。音を入れる細い線の先だけ、先生へ向けた。

「これ、パソコンでも、貸す録音機でも同じです。端子、こっち」

 私の携帯の音をつなぎ、一度確かめた。先生は窓の金具を持ち上げた。少し開く。

「また閉めるんですか」
 久住くんが訊いた。
「紙の時だけ。蒸すでしょう。人が増えると」

 外の車の音が入った。先生が音量を少し上げる。私は窓の下に立ったが、道路の反対側の人の顔は見えなかった。
 線を抜いて返してもらう。スピーカーの方の小さいつまみは、先生が回した所に残った。

「宮原さん、原票も午後、持ってきて。二つに分けた方が分かるね」

 私は三輪さんの分の話だと思い、頷いた。

「去年、返却済みって書いたのは、田辺さんへ渡したからですか」
「受け取った名前は田辺さんだね。紙も、午後に見よう」
「三輪さんのカセットは、箱に残ってました」

 先生は音の線を机の端へ寄せた。

「音を移してから妹さんへ渡すと聞いてた。田辺さんが来たら、そっちも訊こう」

 私は午後に持ってくる物へ、去年の受領の紙も足した。返した名前と、待っている人の名前が違う。それを先生にも見てほしかった。

 食堂で、西崎さんが店の人へ椅子を足してもらっていた。分室で話す時より声が高く、すみませんを二度言った。
 沙帆は先に席についていた。隣へ座ると、昨日の袋の跡がまだある、と私の腕を指す。

「消えるよ」
「まだ消えてない」

 律は緑のシャツを着ていた。袖を二度折っている。

「着たんだ」
「どう」
「いい。試着した時も見たけど」
「この前、袋ばっかりだったじゃん」

 航が似合うと言った。律は、今度は袋じゃないから、と返した。二人の間でどんな話があったのか、私は知らなかった。
 田辺さんは遅れて入り、本日の定食を、と人数を数えた。

「私、焼肉がいいです」
 沙帆が言った。
「僕も別で」
 久住くんも言った。
「はいはい。好きなのにして。まとめたら早いかと思っただけ」

 注文の後、小鉢を一つずつ足せないか訊いた。西崎さんが身を引く。

「そこまで頼まなくても」
「訊くだけ。余ってなかったら、それでいいの」

 煮物ならあるよ、と返った。田辺さんが西崎さんへ笑う。

「強いですね」
「恥ずかしい顔、何度もしてるから」
「俺も結構してますけど」
「まだ覚えてるでしょう。忘れてからよ」

 航も私も笑った。
 先生はお茶がなくなる頃に来た。鞄から長い写真を出し、戻ってきたんだよ、と広げた。同じ部屋の左と右に、先生が一人ずついる。

「双子なんですか」
 久住くんが訊いた。
「言われると思った。二人いれば展示は楽なんだけどね」
「パノラマですよね」
 律が言った。
「早いな。ほかの人が考える時間なくなっちゃった」

 先生は撮る人の後ろを走ったのだと言った。間に合わなかった方もあり、片足しか写っていない。

「そっちが見たいです」
「そっちは出さない」
「先生、仕事してないじゃないですか」
 西崎さんが言った。
「二人分してるのに」
「ほかの人にもカメラ持たせてますよ」
「ああ、そうか」

 先生が本当に困った顔をしたあと笑った。私は左で持っている箱と、右の箱をもう一度見たかった。皿が来て、写真は丸められた。
 先生は私の前の案内見本を取り、短くした所を読んだ。

「最後の一行、戻したんだね。よくなった」

 西崎さんへも見せるので、少し嬉しかった。
 私は三輪さんの広報の見本のことを訊いた。先生の箸が止まる。

「西崎くんから聞いた。あっちは止めてもらえたんだよね」
「元の映像も、木曜に確かめるって私が」
「見よう。音、ある?」
「あります」
 沙帆が答えた。

 田辺さんのお茶を注ぐ手が止まった。

「幸枝に聴かせなくても、今のを止めればよろしいんじゃないですか」
「比べるのは、まず私たちで。何を直したか、出す時にも必要だから」

 自分の褒められた字幕が、間違った方に並ぶ。私は小鉢へ箸を入れた。食べるよ、と言った相手が分からなかった。
 先生が久住くんへ古い椅子の修理を訊く。もう座れます、と真面目に答えた。

「毎晩、眺めてるのかと思った」
「脚の歪み、低い所から見ると分かるんです」
「眺めてから座る?」
「そうです」

 田辺さんが、毎晩座ってる方から直してもらいたいわ、と言った。
 沙帆がおかわり、と手を上げた。ご飯だった。私はまだ半分あった。

 戻る途中、西崎さんに保管室の空箱を頼まれた。
 廊下で台車を止める。中の床は一段高く、二人で持たないと台車を上げられない。私は空箱だけを抱え、足を上へ置いた。
 戸の大きいガラスの下は木だった。枠の所に新しい色が残る。

「これも、直したんですか」
「先月、箱を落として。角が当たったんで」
 久住くんが言った。
「先生、中が見える方がいいって。同じ大きさで」

 奥の棚からは、まだ重い箱が出ていなかった。前の細い板に箱の底が引っかかる。重い物を台車へ移す時、板を外せば高く持ち上げずに出せるのだと久住くんが言う。
 西崎さんが箱を棚へ押し戻した。

「月曜、ここから全部出す。先に、これ取れる?」
「外します。今日、道具あります」

 久住くんは鞄から長い釘抜きを出した。平たい先は二つに分かれ、片方の角が小さく欠けていた。曲がった方を床へ向け、平たい先を板の裏へ差す。木が少し浮いた。
 西崎さんに箱を持ってもらい、板を引いた。端だけ外れず、久住くんは先を入れる所を変えた。

「ここ、押さえてください」

 空箱を足元へ置いた。私が両手を出すと、端を持たないで、と言われた。板の真ん中を押さえる。外れた板が床へ倒れる前に、彼が引き取った。
 抜いた釘を缶へ入れようとすると、久住くんが待って、と言った。
「これ、僕の缶じゃないので。混ざると、月曜にまた探します」
 いらないコピーの紙を一枚取り、釘を四本並べた。折って包む。長い釘抜きの平たい先にも別の紙を巻いた。
「尖ってる方だけでいいんだ」
 私が言うと、彼は持ち手を見せた。
「持つ方まで包むと、次にどっちか分かんなくなるので」
 紙を巻いた先を鞄の底へ向けて戻した。

「月曜まで、置いていいですか。もう一枚、向こうの棚にもあるので」
「小部屋の机の下。通る所へ置かないで」

 西崎さんが言った。
 箱を持って降りる時、後ろへ出す足にまだ床がなかった。久住くんが底へ手を添えた。

「重いの、奥にあります。持つ時、呼んでください」

 私は返事をして、空箱を台車へ載せた。
 西崎さんは奥に残る茶色の箱へ手を置いた。
「俺の本、これだけで二箱分ある。向こうの部屋、開かないなら、一度家へ送る」
「家、置けますか」
「置けない。でも大学に捨てられるよりは」
 久住くんが台車を戻しかけた。西崎さんは首を振る。
「まだ集荷、頼んでない。重いのは一人じゃ出せないから」
 白い蓋の薄い箱を茶色の箱の上から取ってくれと言われ、私は一人で横の棚へ移した。茶色の方には古い雑誌の背が詰まっている。私は台車の輪が一段の下へあるのを確かめて、手を離した。

 沙帆が二年前の音を開いた。
 三輪さんは姉が泊まってくれた日を話している。病院から戻り、靴下を脱いだ所まであった。完成した方では、ほっとした声の後に水が入る。

「これ、私がつないだ」
「字幕、私が」

 同じように言って、次が出なかった。
 先生が後ろへ椅子を持ってきた。元を最後まで聴く。先生自身の、少し短くお願いしてもいいですか、も入っていた。

「私、そう言ってるんだな」
「五分にって、言われたので」
「うん。私が」

 先生は完成した方をまた頼みかけ、先に公開を止める連絡をしよう、と西崎さんを呼んだ。
 立つ時に、右の人差し指を避けて机へ手をついた。昼にはなかった絆創膏だった。
「包丁、洗うの忘れてて。流しで、先に触っちゃった」
 先生は自分で笑った。
「田辺さん、今日の紙、端を汚したらすみません。さっき持った方」
「いいです。出す方じゃありませんから」
 田辺さんは二枚の端を揃えた。隅の小さい赤い点を見て、折らずに手帳へ挟んだ。

「私の名前で。どの映像か、そっちで分かる?」
「配信先と展示先で題が違うので。出した分、全部確かめます」
「お願いします」

 沙帆はヘッドホンを机へ置いた。私は字幕のファイルを閉じず、保存した。
 西崎さんはメールを開き、日付の所へ指を置いた。

「先生、先週送った分も、見ていただけますか」
「ああ、君の。まだだったね」
「来週までに所見が要るので」
 先生は日程の画面を開いた。西崎さんが横へ寄る。
「現地へ戻る申請なんです。継続できたら、今度は聞く人を増やせる」
 航が封筒の端を持った。
「次は俺も行くって、言ってます。乗り換え、見ておきますね」
「向こうの返事が来てから。駅まで行って、また帰るの、今度は嫌だから」
 航が封筒から図を抜きかけた。西崎さんは端を押さえる。
「これ、帰りの線ですか」
「行き。帰りは翌日、こっち」
「じゃ、一日じゃないんですね」
「一日だと会えない人がいるって、春にも言ったよ」
 航は紙を戻した。西崎さんの指が、しばらく角へ残った。
 先生は画面を戻し、日程を一つ先へ送った。
「事務の担当、誰に引き継ぐ?」
「そこは相談します。まず、読んでいただけたら」
「うん。両方だね」
 西崎さんはうなずいたが、画面へ手を出さなかった。

 先生が携帯を出した。西崎さんは封筒を持ち、顔が上がるのを待った。

「何曜に送った?」
「火曜です」
「火曜。あった。君が聞き取りに行った所だね」
「はい。ここの引継ぎじゃなくて、研究の方です」
「分かってる。大学へ戻ったら見るよ。見落としてたら、もう一度言って」

 先生は画面を閉じた。西崎さんは封筒を、宛名を下にして置いた。口から図の載った一枚が出ていた。

 その図に、知らない町の名があった。

「ここ、行かれたんですか」
「二年。バス、一日二本しかない所もある」
「帰れなくなったら」
「泊まる。聞けたらね。行っただけの日もある」

 西崎さんが図の外の小さい印へ指を置いた。
 航が玄関から、次の箱いいですか、と呼ぶ。

「ちょっと待って」

 西崎さんは印の所を一つ説明してから立った。私は町の名前をもう一度読んだ。返却する物の一覧には、その名がなかった。

「返却する音も、研究用の分は残します。名前を外して」

 西崎さんが言うと、先生はもう一度携帯を開いた。

「用途、取り直すものがあるね」
「原資料は返します。複写と分けてあります」
「分けたら済むわけじゃないでしょう」

 先生の携帯が鳴り、廊下へ出た。西崎さんは封筒を開けなかった。返す物の一覧と別に、複写済み、とある細い欄を見た。名前の所へ自分の手を置いた。
 先生が戻ると、田辺さんが手帳から小さい案内を出した。

「先生のお名前だけ、お借りしても」

 先生は日付を見た。

「最初三回?」
「聞くだけじゃなくて、聞く方もやっていただこうと」
「いいね。田辺さんが得意な所だ」

 田辺さんが笑った。指が角を何度も撫でる。先生が次の紙へ手を出すと、二枚を重ねてもう一度差し出した。胸の前で紙が起きる。

「展示の物も、紹介できたら」
「元の声は、確認を取り直すものがあるから。そのまま持っていかないでね」
「承知しています」
「返す分と説明する分、北町で分けよう。それが終わったら秋の相談も」

 田辺さんが見せてくれた申込書には、幸枝さんの名前も印刷されていた。

「もう決まってるんですか」
「会場には先に出さないと。お話、妹が一つしてくれれば、最初が楽なの」

 原票には田辺さんの名があった。案内には同じ名が別の大きさで刷られている。私は写真を封筒へ入れ、八枚目の番号を一覧へ書いた。
 先生は廊下で田辺さんへ振り向いた。

「雨から台所へ入る所、君が言ったんだっけ。あの並べ方は面白かった。残せる所もあると思う」
「ええ」

 田辺さんは紙を手帳へ入れた。先生が去ったあとも、表紙を撫でていた。
 航が携帯を出し、西崎さんへ去年の説明を聴かせると言った。

「今度は、最初から入れてある」
「何の」
「研究用に出す時、先生へ聞いた方。原本を返すっていう所も」

 私も画面の前へ寄った。先生の声だった。今より早く喋る。

『本人が、見本も使わない、と言ったら、そこまで戻そう。名前を消したらいいという話じゃない』
『原本は返す。訂正も出す。いいですよね』
『そこは、そうだよ』

 湯飲みを置く音がした。小さく二度触れ、三度目だけ大きかった。

『でも、私が聴いたってだけで、署名までしたことになるのかな』
『署名じゃないです。確認した人として』
『何を確認したか、君の文へ収まらないよ』

 西崎さんが、ここ、と言った。航が少し戻す。

『何を確認したか、君の文へ収まらないよ。ちょっと、手を離して』

 机が擦れ、先生が、録音機、まだ止まってない、と言った。航の笑いが入った。

「持って帰ろうとして、先生のコードまで引っ張った」
「そこまで残さなくても」
 西崎さんが言った。
「元のは、切らない方がいいんじゃないですか」
「使う分は別。原資料の方は残す」

 私は湯飲みの三つの音をもう一度聴きたかった。航は画面を閉じた。去年も同じ話をしていたのだと思った。

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目次

雨を閉じこめる

  1. 01返却済み
  2. 02片方ずつ
  3. 03百円玉
  4. 04おかわり読書中
  5. 05雨の間
  6. 06声の置き場所
  7. 07返す人
  8. 08帰らない夜
  9. 09名前を書くところ
  10. 10六時まで
  11. 11先に行って
  12. 12持ってくる方
  13. 13戻った部屋
  14. 14抜粋
  15. 15渡した写真
  16. 16誰と食べた
  17. 17家で聴く
  18. 18煮える間
  19. 19まだいる
  20. 20もう一杯
  21. 21行かない返事
  22. 22持って帰る
  23. 23白い画面
  24. 24雨漏り

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