三輪さんには火曜の午前に伺うことになった。
電話では車の音が長かったと言われ、私はどの分かを訊いた。金曜に返した、家で聴く方だった。
沙帆へ連絡すると、三輪さんが切る所を決めてからと言う。できる日は連絡してくれることになった。
月曜の夜、部屋へ戻り、冷凍庫のご飯を一つ出した。
牛乳を流しへ置くと澪さんから電話が来た。紙を届けたこと、両親が途中から電話したことを話した。
『大学にも、出す前に見せてって言った。灯さんが書く方も』
「まだ、頼まれていません」
『そっか。ごめん』
私は卵を取り出した。皿へ割ると黄身が崩れ、殻を捜すふりをした。
「何から書けばいいか、今、分からないです」
返事を待つ間、向こうでハンガーのような音がした。
『航の文は、あのまま出さないでね。私が映像のせいで学校やめたって、そこも』
「違うんですか」
『違わなくはないよ。作ったのも嫌だったし、先生に会うのも。でも、それだけになると私、何もしてないみたいじゃん』
声が速くなった。
『授業、休んでた。仕事も掛け持ちだったし。来年なら戻れるって訊かれると、そういう返事、私もしたんだよ』
水曜、戻らないと彼女は言った。その前には戻ると言った日があった。航はそちらを覚えていたのかもしれない。
『別に書かなくていい。私が下手に言った所まで、なかったみたいにしなければ』
「はい」
『あいつ、謝りに来るんだよ。私が先生に怒った話すると、じゃ俺から、って。私は、あんたに何かされたって言ってないんだけど』
笑いかけた声が止まった。
私は卵の黄身を箸で寄せかけ、やめた。
「澪さん、ご飯、食べました?」
少しして、食べたよ、と返る。
『魚じゃないけど』
顔が熱くなった。
『ごめん。灯さんにも訊こうと思ってた。おにぎりだけだったから』
「今、食べます」
『じゃ、切るね』
食べる間、携帯は机に置いたままだった。
火曜の三輪さんは、前より薄い上着で門に立っていた。
暑いから先に入ってと言われ、私は鞄を抱えて玄関へ行く。机にCDとカセットがあった。写真は棚の方だった。
「八枚、揃ってました?」
「ええ。お姉ちゃんのも」
笑っていた。私は封筒を出してもらわなかった。
ケースに数字が書き足されている。別の紙にも、車、帰ってきた、雨、と数字が並んでいた。
「止めてから書くと、どこだったか分からなくなるのよ」
機械の前へ座り、一番上へ合わせてもらう。
車が通った。誰かが鼻をすする。間を置いて、三輪さんが道を尋ねた。
「着くかと思うと、まだなの。ここ、家で聴く方だけ短くして」
私は範囲へ印をつけた。彼女は戻してと頼み、もう一度車の音が出る。
「私、何か言ってるね」
「残しますか」
「残して。車だけの所。こんな短い声まで取ったら、何でそこへ行ったか分からないわ」
先につけた印へ線を引いた。三輪さんは、あとで読める、と訊く。読めますと答えた。
次の数字は雨だった。音の中の男の人の言葉が重なり、最後まで聞き取れない。
「今の、何て」
「分からないです」
「私も。ずっと聴いたら分かるかと思ったけど」
三輪さんが機械を止めた。
「その後、私が怒るのよ。そこは取らないでね」
私は頷いた。まだ聴いていない所だった。
机の時計は、十一時を過ぎていた。
「今日は車の所まで、ですね」
「ええ。午後に姪が来るの。次は一緒に聴けるかしら」
CDを渡され、カセットはここへ置くと言われた。私は来週までに連絡すると答えた。
椅子の脇の袋から、小さい容器が二つ出てきた。
「お姉ちゃんが昨日置いていった。私が作るって言ったのに」
「大根ですか」
「そう。一本の方が安かったって。食べられないぐらい買って、こっちへ来るの」
私は笑った。三輪さんも笑い、容器を袋へ戻す。
「あと、音を持ってくるって。土曜に言ってた。先生に返してって頼んだ所、私も聴いておいてって」
私はCDの袋を持ったまま止まった。
「それ、大学でも預かりました。去年と、二年前の方を、航さんが探して」
「昔のを探したって言ってたのよ」
「木曜の後の録音に入っていた先生の声も、去年のものでした」
三輪さんはテレビの引き出しを見た。カセットを出す所とは別の、小さい引き出しだった。
「持ってきてない。昨日も、忘れたって」
携帯を出した。私が何を言えばいいか考える前に、姉の名を押した。
「お姉ちゃん。土曜に言ってた音、今日持ってこられる?」
私は数字の紙をしまった。
「今日は姪が来るけど、夜なら。……そう。大学に置いてるのね。じゃ、お姉ちゃんから話して」
少し間が空いた。
「私、聴きたいの。返してって頼んだところだけじゃなくて、その前も」
電話は終わらなかった。三輪さんは玄関の方へ歩き、私にも靴を履くよう目で知らせた。
「先生が言ったこと、お姉ちゃんが嫌だったこと、私の分もあるでしょう」
私は鞄を抱えた。彼女が焼き菓子の袋を渡し、頷いた。門へ出るまで姉への電話は続いていた。
大学から連絡が来た。自分の受領の紙を直すため、写しを送ってほしいと頼んだ。
私は田辺さんへ、返却済みの箱を去年引き取った時、先生から何を言われたのか訊いた。三輪さんの話をもう待っているだけではいられなかった。去年の先生の声を当日の返事として使ったのは航だった。田辺さんが箱の赤い字を消さずに戻したのは、それより前だった。
返事は少し寄れないか、だった。秋の案内を見てほしい。妹の所にいたなら、ついでに。
私は文を二度読んだ。三輪さんが何と言ったかは、向こうでも聞こえていた。