千佳さんは改札の外にいた。
「宏和君は?」
「図書館です。亮は授業の後、寝るって。夜、三人で食べます」
「そう。これ、あなたの分。もう渡してたと思って、探したの」
小さい袋に訂正の記事が入っていた。十二年前の記事の見出しと日付、最後に編集部の名前があった。
「ちょっと座っていい? さっき、ずっと背中が椅子に当たらなくて」
改札脇のベンチへ座った。
「今の仕事は削ってもらった。載る前に見たら、まだ書いてあるんだもの。要らないって返したら、向こうも要らないって。じゃあ何で入れたのって、書いちゃった」
「いいと思います」
「少しきつかったかな。電話だったら言わなかったかも」
彼女は来た文を読んだ。山口さんが先に買っているという。
「今から行くところ。何も買わなくていいって。私、今日は買って帰るつもりだったのに」
「御飯ですか」
「うん」
僕は記事を最後まで読んだ。
「山口さんにも、これを?」
「椎茸から訊かれて。あの頃どうだったのって、一から話してたら休憩終わるから、読んでもらった。今のところ山口さんだけ。コピーはまだ家にあるよ」
「水原さんの名前は」
「付けないって来た。私も原稿は読んだ。あの人の名前でいいですかって訊かれたけど、どっちでも直すって書いてあるから、まずそっち出してって返した」
「名前はどっちでも?」
「そこまで返事してない。休憩あと二分だったの。編集部で決めたら教えてくださいって」
千佳さんは鞄の水を飲んだ。
「拓海にも見せた。自分で書いた方も。今の私が戻りたいって言ったと思ったのって、訊いた。黙ってた」
「今の仕事は、続けるんですよね」
「うん。来週の休みも代わってもらってる。遊びには行けるといいねって言ったよ、あの頃。友達の所へ行きたかったんだもの。私も会いたい人がいたし。でも、前の所へ住むなんて、私が言ったことにして」
「私は飯も食べるし、仕事も行くよって。今の所で。拓海は分かったって言った。そこは早いの」
僕は千佳さんがその後を話すのを待ったが、彼女は水をしまった。
「合格した時も鍋だったでしょう。何が入ってたの」
「肉は、いいのを買ったんです。宏和が払って、亮が買って。拓海は合格の紙を立ててました」
「帰って来て、何も食べられないって言ったの。家の御飯もよけてあったのに」
「俺も食べられなくて。番号、三回読んで」
「三回も?」
「拓海が見たかって言うから。汁が紙へ飛ぶって、肉、取れなくて。後ろへ菓子の缶を置いたら、ようやく食べ始めました」
「鍋の前に菓子も?」
「はい」
「みんな?」
「はい」
千佳さんが笑った。僕も笑った。
「俺、来月、大会へ出てきます。クイズの」
「そうなんだ。忙しいね」
「今度は勝ちたいんです」
携帯へもう一度文が来た。火を止めて待っているという。
「行かなきゃ。御飯、食べてきて」
彼女は鞄を持ち、改札へ行った。
店に着くと、宏和は借りた本を読んでいた。白い箱はなかった。
「中に入れない模型、作ってるのって、先生に言われた。そりゃ小さいんだから入れねえよな」
「何が駄目だったの」
「図の上でも。俺の入口だと、奥へ行くのに遠回り。分かってたけど、その方が見える所があるって言ってたんだよ」
「直すの?」
「どっちにしろ作る。今のやつは写真撮った」
亮が来ると、宏和は本を閉じた。
「寝た?」
「寝た。でも腹減って起きた。昼、パン一つしか食ってなかった」
「もう揚げてるの?」
僕が訊くと、亮は、昨日初めて、と言った。
「最初の、店長が食った。俺にも食わせてよって言ったんだけど」
「何て?」
「悪くない。次は二つ揚げろって。自分も食っていいから」
彼はメニューを見て唐揚げを頼んだ。宏和は別の皿を頼み、僕も同じにした。
カレー代を宏和へ送った。忘れてた、と二人で言った。
「腹立つ」
亮が言った。注文した物はまだ来ていなかった。
「あいつ、ちゃんと飯食ってんのかとか、今でも考えるんだよ。出るに決まってるのに」
「俺も」
宏和が答えた。
「腕はもう治った。なのにあいつの手は平気かって、俺から訊きそうで。言いたいことがあって下へ行ったんだぞ、俺」
「今日、いればよかったって思う?」
僕が訊いた。
「思う。でも出す物出して、寝て、腹減って。今日、ずっと裁判所にいたら、何か言えたかな。まだ腹立ってる」
「俺、会いたい」
僕は言った。
「会って何て言うの」
「決めてない。でも声、聞きたい。今日は、こっち向かなかった」
「俺、声は聞いた。はいって、何回も」
亮が言った。宏和も、うん、と答えた。
僕は拓海が、四人で一部屋なのかと二度訊いたことを思い出した。
「また四人で行けたらって、考えちゃう」
「どこへ」
「決めてない。あそこじゃない」
「俺、あそこ、また見たいけど」
宏和が言った。
「建物?」
「うん。でも俺一人でいい。今、誰かの風呂、待たせなくていいし」
「風呂は俺も入りたいよ」
亮が言った。誰も笑わなかった。
料理が来た。亮が唐揚げを一つ割った。
「ほら、でかいだろ」
「これで普通?」
「多かったら俺が食う」
僕は熱い方へ箸を入れた。
宏和が椅子へ上着を掛けた。
「今日、持って出てきた。着てないけど」
「返ってきたんだ」
「洗って送ってくれた。届いた日は袋から出せなかった」
車を取りに行った時にはもう家にあった。父に送ってもらって、帰りは二台に分かれるつもりだったのに、笠原さんが飯を食っていくかと訊いた。父も車から降りていたので、食堂で食べたという。
「部屋も見せてもらった。忘れ物ないかって」
「何かあった?」
「ないと思う。湯飲みが、洗って四つ、盆に載ってた」
「四つ」
亮が言った。
「父親は戸の所で待ってた。何も訊かないから、俺も言えなかった。鍵だけ持って帰るつもりだったんだよ」
宏和は袖を椅子の内側へ入れた。
「返してくれたって言えば、ありがとうになると思って。まだ言えてない」
僕は拓海が上着を掛けてもらった時の膝を思い出した。掌の痛みを言うたびに、亮が布を押す所を見ていた。
「楽しかったじゃん。あいつも」
宏和が言った。
「来年、肉買うって」
「携帯も、持ってきてくれた。俺が忘れたの」
亮が言った。
「あいつ、何だったの」
宏和は上着へ目を落とした。
「俺は、来年も肉、買うつもりだった」
亮が言った。
「俺も金、出すつもりで。あいつのじゃ、足りないから」
宏和は僕を見た。僕も、それ以上は出てこなかった。
亮が茶碗を空け、おかわりを頼んだ。
「少なめで」
「少なめ、あるんだな」
宏和が言うと、亮は、俺にもある、と答えた。
戻って来た茶碗を受け取り、最後の唐揚げを取った。