亮が茶碗を置いたとき、女将さんが皿を下げに来た。
「ほかに、召し上がりますか」
「今は、もう」
箸を揃えようとして、亮の右手の指が開いた。一本だけ皿へ落ちた。拾って二本とも箸置きへ載せた。
宏和も皿を重ねた。空いた机に拓海が水のコップを置いた。
「夕方、庄司さんに会って、母ちゃんの話もしたんだよな」
「うん。警察にも言った。母ちゃんが頼んだんじゃなくて、警察の用事だったって。そこは認めた」
僕は拓海を見た。
「それで、何で」
「来月の講演の場所まで教えてくれた。訂正したら準備に戻れるって。俺、母ちゃんが困った話をしに行ったんだよ。会場の最寄り駅、知りたかったんじゃないんだけど」
拓海はウェットティッシュを小袋へ押し込んだ。水原さんが離れた席で顔を上げた。
「庄司さんが認めたの?」
「母に頼まれたんじゃない。それは答えてました」
彼女が鞄へ手を伸ばす前に、鷲尾さんが拓海を呼んだ。拓海は小袋をポケットへ入れて立った。
福地さんが食堂の戸口に来た。
「池上君。こちらで話した通りです。私からも、見たところを」
拓海は返事をしないで鷲尾さんについていった。福地さんは僕へ、私は帯を戻しただけです、と言った。
「庄司さんと話しました。戻った時は床でしたが、私の声に答えて、袖を掴んだ。起こしました。そこからは、水原さんの記録にも」
「俺が行ったとき、返事、なかったです」
亮が小部屋の戸を見て言った。
「俺、胸、押しました。あの後、どっかで返事してたんですか」
「私が話したのは、その前です。君たちが来る前」
亮は顔を向けた。
「拓海が持って下りた後で?」
「そうです」
福地さんは鷲尾さんへ同じことを繰り返した。鷲尾さんは、その時間についても別々に伺います、と告げた。福地さんは先に食堂を出た。
香坂さんと二〇一へ上がった。鞄の持ち手へ巻いてあった帯を、拓海がほどいて福地さんへ貸したことを話した。四時四十分には、女将さんが返してくれた。水原さんから預かったと聞いた。
四つの湯飲みが座卓にあった。僕のシャツは鞄の横へ落ちていた。屈もうとして、触らないでください、と止められた。
「床の帯も、同じ物だったと思います。金具に、赤い糸が」
「見比べたわけではない?」
「はい。写真と手で比べたわけじゃないです」
香坂さんはそこも書いた。
「鞄の場所は、宏和が動かしました。俺が課題を出しに戻った時には、拓海はいませんでした。出ていった所は、見てない」
「その後、封筒を持っていった時は、庄司さんと話したんですね」
「歩いてました。俺の問題にも、答えました」
香坂さんは顔を上げた。
「はい。その時のことは、伺っています」
僕は湯飲みへ目を戻した。
「拓海より後でも、話した人がいるって。福地さんが」
「いつ話したのかは、こちらで確かめます」
香坂さんは、病院から首にも痕があったと連絡が来た、と言った。懐中電灯を座卓の下へ入れた。僕は、五時の話をもう一度言わずに立った。
僕が出ると、亮が手すりに片手を置いて上がってきた。次は自分だと言った。
「荷物、動かしたとこ、聞かれる」
「何を言ったかじゃなくて?」
「今は」
亮は上がった。廊下の下で、福地さんが水原さんと話していた。二人とも拓海より後に読書室へ行った。起こして、話したという。声が残っていれば、拓海の席をまだ空けずに済む気がした。
自分がつけた封筒の疑問符を、携帯で開いた。福地さんが言い直してくれれば、拓海の方へ持って帰れる。僕はそういう答えを待っていた。
階段を下りると、なずなさんが帳場の脇にいた。自分の本を鞄へ戻していた。借りた写真帳は、警察に預けたままだった。
「庄司さん、初めから床にいたんじゃなくて」
僕が言うと、なずなさんは顔を上げた。
「椅子の所に。戸を開けた時は。私が本を返そうとして、それから」
「福地さんが、紙を持ってたんですよね」
「顔の下に、あった。紙が。水原さんは後ろで」
彼女は本の角を鞄へ入れた。そこが引っかかり、陶子さんが横から口を広げた。なずなさんは本を入れ直した。
水原さんは返事が欲しいと言っていた。食べているしのぶさんにも、拓海にも。僕は食堂へ戻りながら、福地さんの顔の下にあった紙を思い浮かべた。
宏和は車の店の番号を見ていた。亮が戻ると、椅子の下から彼の鞄を出した。
「起こされて、話してたって。拓海より後で」
僕が言うと、亮は鞄を受け取った。
「何を話したんだよ」
「まだ。水原さんの記録にあるって」
亮は自分の携帯を出した。四人の写真が開いた。
「俺、これ、風呂から出て見たんだよ。宏和に大きいの出してって。あの声、その時だった」
宏和は番号の紙を机へ置いた。
「俺が通報したのは、その後。お前が先に押しただろ」
「その前に返事してたなら、俺が行くまでの間、何してたんだよ」
亮は写真を閉じた。僕はなずなさんから聞いた紙のことを話した。
「福地さんが持ってたなら、帯の方は、水原さんじゃないか。まだ後ろにいたって」
亮は水を飲んだ。
「水原さんに、俺が来る前、何してたか訊ける?」
「香坂さんに訊いてくる。記録、見られるか」
「拓海も、何で俺に待っててって」
亮の声が止まった。ボトルの蓋を机へ置いたまま、肘を膝へ下ろした。
僕は急須を持たなかった。拓海が戻るところへ、先に、話していたと持って帰りたかった。