山を下りるにはまだ早い

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CHAPTER 10 / 21

第十章 返すもの

亮が茶碗を置いたとき、女将さんが皿を下げに来た。
「ほかに、召し上がりますか」
「今は、もう」
 箸を揃えようとして、亮の右手の指が開いた。一本だけ皿へ落ちた。拾って二本とも箸置きへ載せた。
 宏和も皿を重ねた。空いた机に拓海が水のコップを置いた。
「夕方、庄司さんに会って、母ちゃんの話もしたんだよな」
「うん。警察にも言った。母ちゃんが頼んだんじゃなくて、警察の用事だったって。そこは認めた」
 僕は拓海を見た。
「それで、何で」
「来月の講演の場所まで教えてくれた。訂正したら準備に戻れるって。俺、母ちゃんが困った話をしに行ったんだよ。会場の最寄り駅、知りたかったんじゃないんだけど」
 拓海はウェットティッシュを小袋へ押し込んだ。水原さんが離れた席で顔を上げた。
「庄司さんが認めたの?」
「母に頼まれたんじゃない。それは答えてました」
 彼女が鞄へ手を伸ばす前に、鷲尾さんが拓海を呼んだ。拓海は小袋をポケットへ入れて立った。
 福地さんが食堂の戸口に来た。
「池上君。こちらで話した通りです。私からも、見たところを」
 拓海は返事をしないで鷲尾さんについていった。福地さんは僕へ、私は帯を戻しただけです、と言った。
「庄司さんと話しました。戻った時は床でしたが、私の声に答えて、袖を掴んだ。起こしました。そこからは、水原さんの記録にも」
「俺が行ったとき、返事、なかったです」
 亮が小部屋の戸を見て言った。
「俺、胸、押しました。あの後、どっかで返事してたんですか」
「私が話したのは、その前です。君たちが来る前」
 亮は顔を向けた。
「拓海が持って下りた後で?」
「そうです」
 福地さんは鷲尾さんへ同じことを繰り返した。鷲尾さんは、その時間についても別々に伺います、と告げた。福地さんは先に食堂を出た。

 香坂さんと二〇一へ上がった。鞄の持ち手へ巻いてあった帯を、拓海がほどいて福地さんへ貸したことを話した。四時四十分には、女将さんが返してくれた。水原さんから預かったと聞いた。
 四つの湯飲みが座卓にあった。僕のシャツは鞄の横へ落ちていた。屈もうとして、触らないでください、と止められた。
「床の帯も、同じ物だったと思います。金具に、赤い糸が」
「見比べたわけではない?」
「はい。写真と手で比べたわけじゃないです」
 香坂さんはそこも書いた。
「鞄の場所は、宏和が動かしました。俺が課題を出しに戻った時には、拓海はいませんでした。出ていった所は、見てない」
「その後、封筒を持っていった時は、庄司さんと話したんですね」
「歩いてました。俺の問題にも、答えました」
 香坂さんは顔を上げた。
「はい。その時のことは、伺っています」
 僕は湯飲みへ目を戻した。
「拓海より後でも、話した人がいるって。福地さんが」
「いつ話したのかは、こちらで確かめます」
 香坂さんは、病院から首にも痕があったと連絡が来た、と言った。懐中電灯を座卓の下へ入れた。僕は、五時の話をもう一度言わずに立った。

 僕が出ると、亮が手すりに片手を置いて上がってきた。次は自分だと言った。

「荷物、動かしたとこ、聞かれる」
「何を言ったかじゃなくて?」
「今は」

 亮は上がった。廊下の下で、福地さんが水原さんと話していた。二人とも拓海より後に読書室へ行った。起こして、話したという。声が残っていれば、拓海の席をまだ空けずに済む気がした。
 自分がつけた封筒の疑問符を、携帯で開いた。福地さんが言い直してくれれば、拓海の方へ持って帰れる。僕はそういう答えを待っていた。
 階段を下りると、なずなさんが帳場の脇にいた。自分の本を鞄へ戻していた。借りた写真帳は、警察に預けたままだった。
「庄司さん、初めから床にいたんじゃなくて」
 僕が言うと、なずなさんは顔を上げた。
「椅子の所に。戸を開けた時は。私が本を返そうとして、それから」
「福地さんが、紙を持ってたんですよね」
「顔の下に、あった。紙が。水原さんは後ろで」
 彼女は本の角を鞄へ入れた。そこが引っかかり、陶子さんが横から口を広げた。なずなさんは本を入れ直した。
 水原さんは返事が欲しいと言っていた。食べているしのぶさんにも、拓海にも。僕は食堂へ戻りながら、福地さんの顔の下にあった紙を思い浮かべた。

 宏和は車の店の番号を見ていた。亮が戻ると、椅子の下から彼の鞄を出した。
「起こされて、話してたって。拓海より後で」
 僕が言うと、亮は鞄を受け取った。
「何を話したんだよ」
「まだ。水原さんの記録にあるって」
 亮は自分の携帯を出した。四人の写真が開いた。
「俺、これ、風呂から出て見たんだよ。宏和に大きいの出してって。あの声、その時だった」
 宏和は番号の紙を机へ置いた。
「俺が通報したのは、その後。お前が先に押しただろ」
「その前に返事してたなら、俺が行くまでの間、何してたんだよ」
 亮は写真を閉じた。僕はなずなさんから聞いた紙のことを話した。
「福地さんが持ってたなら、帯の方は、水原さんじゃないか。まだ後ろにいたって」
 亮は水を飲んだ。
「水原さんに、俺が来る前、何してたか訊ける?」
「香坂さんに訊いてくる。記録、見られるか」
「拓海も、何で俺に待っててって」
 亮の声が止まった。ボトルの蓋を机へ置いたまま、肘を膝へ下ろした。
 僕は急須を持たなかった。拓海が戻るところへ、先に、話していたと持って帰りたかった。

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目次

山を下りるにはまだ早い

  1. 01四人部屋
  2. 02並ぶ前
  3. 03二つの一階
  4. 04待っている答え
  5. 05先に買う
  6. 06湯の手前
  7. 07玄関
  8. 08雨の二人
  9. 09骨
  10. 10返すもの読書中
  11. 11まだ話している
  12. 12紙の向こう
  13. 13返してもらうもの
  14. 14隣へ座る
  15. 15下へ行く
  16. 16残した車
  17. 17九時の番号
  18. 18送られてきた紙
  19. 19後ろの席
  20. 20おかわり
  21. 21終章 四人分

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