山を下りるにはまだ早い

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CHAPTER 12 / 21

第十二章 紙の向こう

宏和の車の紙には、店の番号が二つあった。
「こっちは営業所。こっち、事故の時の。返す日の変更で、こっちへ掛けていいか」
 僕は紙へ顔を近づけた。二行の間に、宏和が引いた短い線があった。
「分からない。帳場で、外へ掛ける方、借りられるかだけは訊ける」
「俺が訊く。八時になったら」
 宏和は番号を携帯へ入れた。僕はペンを持つ手と、腕の下にあった手を思い出した。水原さんは拓海の傷を押さえた。その時も、右の袖口が折れて白い裏が出ていた。

 香坂さんは読書室の戸口にいた。帯が広げられ、机と木台の間に物差しが置かれていた。
「もう一度、手の所を見たいです」
「どの部分でしょう」
「紙を持ってる人。俺、福地さんの両手だと思って、亮にもそう言ったんです」
 香坂さんは僕の顔を見た。
「手を見たのか、紙の上の顔を見たのか、分けて教えてください」
 僕は顎だったと答えた。両側には指があった。名前を訊かれた時に、顔の方を持って帰った。

 小部屋で端末が出された。水原さんは別の部屋にいた。古いノートも原稿も、ここにはなかった。
 香坂さんが、必要な部分を確かめると言った。僕は最後まで、最初に見た画面を思い出した。

 線が走る少し前から動いた。
 水原さんが帯を下げ、庄司さんが眼鏡を掛け直す。立ちかけた肩をまた引く。そこまでは、彼女が端を持っていた。
 福地さんが紙の角を取る。
『どこを消すんですか』
『その下です。先に。そこ、持っててください』
 肩が二つ重なった。福地さんの袖が、水原さんの肩の内側へ来た。黒い端が袖の向こうへ滑った。
 右の白い袖口が紙の端へ出た。ペンが二行を消した。
 反対の角を持つ手は、そこへ近づかなかった。紙が揺れると、端を少し折って止めた。
 紙の下で、庄司さんの右手首を取る指があった。

「この手首、俺が入った時も、水原さんが持ってました」
 香坂さんはそこで止めた。
「陶子さんへ、下から持つよう言われて、放したところですか」
「はい。俺は、それを見た」
 紙の右端の手はペンを持っていた。手首の下の手は、もう片方を押さえていた。
 あの時の水原さんの右袖も、先が一つ折れて、白い裏が出ていた。
 僕は自分の右手でペンを持つ形を作った。左は机へ置いた。そこへ庄司さんの手首を足すことはできた。後ろの帯まで、もう一本は出せなかった。

「水原さんの右手がペンで、左が手首なら」
 声が止まった。福地さんの顎を見ていた。紙の両側に手があった。そこだけで、一人の両手にした。
「俺、二人の手を、一人のにしたんだ」
 香坂さんは画面を動かした。線を引く手は紙の右端へ残り、反対の角は左側から引かれた。福地さんの顎も、そちらへ動いた。
 同じ人の胸の前に、紙が収まっていたわけではなかった。
 紙の下の指は庄司さんの右手首を取っていた。庄司さんの左手は、首の布にあった。福地さんの空いていた方の腕は、二つの肩の後ろへ回っていた。

『梢さんに、私から』
『電話は俺が掛けた。俺が言うから』
 肩が後ろへ戻った。
 水原さんのペンは、紙の右端にあった。
 黒い端を持った手が、上へ動いた。

 香坂さんはそこで閉じた。新しく足された手ではなかった。僕が二行の線と一緒に見た手だった。

「福地さんが、最後も」
「確認している行為については、お二人へそれぞれ伺っています」
「じゃ、水原さんは」
 僕は言いかけた。彼女がいったん下げ、もう一度引いたところも、初めから入っていた。
「最後じゃなくても、引いたのは、あった」
 香坂さんは頷いた。
「見えた区間のことと、病院で確かめることは、分けて記録しています」

 僕は女将さんが帳場で受けた電話を話した。
「救急じゃなかったんですか。来るって、福地さんが」
 香坂さんが女将さんの記録を出した。
 読書室へ戻すのは、灰色の電話機だった。女将さんはそちらでは通じていると答えた。僕が風呂へ入る時には、まだ帳場に載っていた。
 夕食の膳の数を厨房へ伝える声も聞いた。救急を誰かに頼む声ではなかった。

「四時台の方は、手紙を戻してほしいという用件です。笠原さんに伝えたと。こちらは、電話機です」
 香坂さんが言った。僕は、笠原さんが帳面へ戻した折り目のある紙を思い出した。
「福地さんは、笠原さんに、何を」
「先に、笠原さんの話を伺います」

 笠原さんは前掛けを外し、折り目のある紙を出した。
「千佳さんから預かって、俺が届けた。尚人君が、もう警察の用事はやめたいって。同じ物を二枚書いて、一枚に受け取った人の名前をもらった」
 真島篤、とあった。
「目の前で書いてもらった。これ以上は無理だって。分かりましたって、返事を聞いて帰った」
 笠原さんは今日の紙も置いた。こちらには福地篤とあった。
「千佳さんへ返さなかった。新聞が出て、俺が届けたって外で話してなかった。辞めるって言われた時は、厨房が一人足りなくなるから困るよって、先に」
 厨房の中で皿の音がした。笠原さんは振り向かなかった。

 福地さんは鷲尾さんと一緒に来た。拓海は別の部屋にいた。
 鷲尾さんが、受け取った後のことを訊いた。
「上へ回しました」
「誰へ」
 福地さんは紙へ指を出しかけ、袖を下ろした。
「その前に、俺が聞くつもりで。弟が昼に来ると思ってたんです。弁当を持ってくれば」
「届けた日から、渡すまでを伺います」
「あいつ、俺とは飯を食えたんですよ」
 笠原さんが紙を袋へ戻そうとした。署名が折り目へ隠れた。
「だから、俺が聞いてから」
「渡してないのか」
 福地さんは黙った。
「渡してません。俺のところに置いた。まず俺から話すつもりで」
 鷲尾さんが書いた。

「今日、庄司さんからも、そのことを言われましたね」
 画面の音は出されなかった。福地さんは頷いた。
「女将さんを呼ぶと言った。俺が話すって、言ったのに」
「帯を受け取った時のことを」
「水原さんが紙を書くから。俺は紙を持って、帯も。先生が手を電話へ出した」
 福地さんは片手を机へ出しかけ、戻した。
「梢さんに俺がやったことを、見たまま言わせるって。尚人の手紙のことも。あの人は自分の指示だった方だけ言って、あとは俺へ」
「呼ぶのを止めたんですか」
「俺から言うからって。電話は、俺が掛けたので」
 鷲尾さんはその返事を記録した。
「首から放してと言われたところも伺います」
 福地さんは紙の方を見た。
「まず、俺が話せば」
 笠原さんが袋を閉じた。鷲尾さんは紙の話へ戻らなかった。

 亮へ最後の手のことを話した。
「水原さん、紙へ線を引いてた。もう片方で、庄司さんの手首を持ってて。紙の左だけが、福地さんの」
「じゃ、両手って」
「俺が。顎を見て、そう言った」
 亮は椅子を引いた。座らなかった。
「俺が行った時の手も、同じの?」
「水原さんが、腕を持ってた。その前に引き直したのも、本当だった。福地さんが受け取って、その後も」
 宏和が、帳場で電話を借りられると話した。
「八時に、俺が。外へ掛ける方」
 僕は携帯へ時刻を入れた。拓海の事務所の番号は、まだ入っていなかった。

 鷲尾さんが小部屋の戸を開け、僕らへ会うか訊いた。宏和は紙を折った。
 僕は拓海に、誰が最後だったかを言いに行くつもりだった。
 亮は席を動かさなかった。
「俺が待ってた時のこと、まだ、あいつから聞けてない」
 僕は拓海が帯を掛けた時の話を、首へ使ったという一言から続けていなかった。
 宏和が戸へ向かった。僕も行った。

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目次

山を下りるにはまだ早い

  1. 01四人部屋
  2. 02並ぶ前
  3. 03二つの一階
  4. 04待っている答え
  5. 05先に買う
  6. 06湯の手前
  7. 07玄関
  8. 08雨の二人
  9. 09骨
  10. 10返すもの
  11. 11まだ話している
  12. 12紙の向こう読書中
  13. 13返してもらうもの
  14. 14隣へ座る
  15. 15下へ行く
  16. 16残した車
  17. 17九時の番号
  18. 18送られてきた紙
  19. 19後ろの席
  20. 20おかわり
  21. 21終章 四人分

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