女将さんは湯飲みを重ねた盆を持っていた。廊下の奥から梢さん、と呼ばれ、僕らへ少し待つように頼んだ。
宏和は携帯を下げた。亮が玄関の白い壁の前へ行ったので、僕らも寄った。壁の下には宅配便の箱が二つあった。
「ここでいいんじゃねえの」
「下、切るか」
画面を横にしたところへ、胡桃のクッキーと胡麻の煎餅を持った女性が来た。
「どっち?」
亮も袋を見ていたので、僕が胡桃と答えた。女性は袋を開けかけ、携帯に気づいた。
「写真? 私、撮ろうか」
宏和がすぐに渡した。彼女は袋を窓際のテーブルへ置き、花村小鈴と名乗った。そこで本を読んでいる寒河江澄と来ているという。僕らも名乗ると、拓海だけが、俺は働いてます、と付け足した。
「真ん中、狭い。大きい人は端へ」
小鈴さんは僕と拓海へ少し寄るように手を動かし、携帯を下げたまま待った。亮は肩をすぼめて一歩後ろへ下がった。僕の右肩の上に顔が来た。
「遠近法で」
「箱に乗ってんじゃん」
拓海が腕を引いた。亮は片足だけ下ろし、僕は壁から離れた。
シャッターの音がした。小鈴さんの隣で、丸い眼鏡の女性が自分の携帯を下げた。
「今のでよかったかも」
「まだ並んでないです」
宏和へ見せた画面では、拓海が斜めになって亮の腕を掴み、僕は笑っていた。宏和だけが正面を向いていた。
「四人とも入ってるよ」
もう一人が後ろから覗いた。髪の内側だけ明るい茶色で、本を胸に抱えていた。
「陶子、私のもそれくらい自然に撮って」
「さっき、目が小さいって言ったじゃん」
「目は開けて、自然に」
三輪陶子、朝倉なずなと名乗った。なずなさんは、恋人です、と言って陶子さんの腕をつついた。
小鈴さんが携帯を上げた。
「もう一枚。亮君、そっちの端へ。顔だけこっち。息止めなくていいよ」
亮は端へ移り、笑って肩を下げた。僕も正面を向いた。宏和は届いた二枚を四人のグループへ送り、亮は最初の方を待受にした。
「揃ってる方じゃねえの」
「こっちの方が、お前、変」
「じゃあ俺のは揃ってる方にする」
「それ、俺が端じゃん」
「お前のは、それだろ。もう」
僕にも二枚とも来た。どちらかを消すつもりはなかった。
窓際へ戻ると、澄さんが足元の鞄を膝へ上げた。宏和はそこへ置きかけた丸椅子を自分の方へ引いた。
「花村さん、受付のお仕事ですか」
「司会と、受付も。どうして?」
「写真の並び方、すぐ決まったので」
「並ぶのに困ってたんだね。じゃあ、今日は役に立った。いつもは全員来る前から始めなきゃいけなくて、誰がまだか、喋りながらずっと数えてる」
小鈴さんは袋を開け、澄さんの膝から皿を取った。
「今日は来てる人だけでいいから楽。働いてる人、休み合わせるの大変だった?」
「俺は空いてる日、最初に全部出したんです」
拓海は亮を指した。
「三日」
「既読にした時点で返したと思ってた」
宏和は指される前に、家の用事が決まってなかった、と言った。
「私も一日ずれて、澄に合わせ直してもらった。明日の仕事、代わってもらったんだよ」
澄さんはクッキーを半分に割り、小鈴さんの皿へ片方を置いた。小鈴さんは見ずにつまんだ。
「二人のも撮りますか」
宏和が訊いた。小鈴さんは食べたまま頷きかけ、窓へ顔を向けた。
「庭で撮りたい。まだ明るいうちに。あそこ、二人で立てるかな」
澄さんがようやく鞄を床へ戻し、本を開いた。
「それまで私、ここで読んでる」
「私のお菓子まで取っといて」
小鈴さんは胡桃の袋を澄さんの前へ置き、胡麻の煎餅を亮へ差し出した。澄さんはクッキーをもう一枚取った。
拓海が携帯を読んだ。母ちゃんかと訊くと、水野さん、と答えた。事務所で月曜に来る人と、まず自分が話してよいという返事だった。
「俺がいる日、教えてたんだよ。先生にも会うけど、まず俺のとこに来るって」
彼は食べる前にもう一度文を読んだ。
「月曜、帰る前に飯食わねえ?」
亮が訊いた。
「土曜に月曜の飯決めるの」
「明日はみんなで食うだろ」
「六時半には出る。たぶん。遅くなったら先食ってろ」
僕は授業の終わる時間を思い出せず、あとで返すと言った。宏和は祖母の所へ寄ってから来るという。
「待つだろ。注文だけする」
「俺のまで?」
「お前、いつも同じじゃん」
宏和は、そうだけど、と言った。亮は六時半と入れ、店の名は空けておいた。
窓で紙が擦れた。灰色のジャンパーの男性が、日付の過ぎた紙を剥がしていた。近くの駐在所の福地篤だと女将さんが紹介した。新しい紙には夜間の車上荒らしへの注意と、道の狭い所に駐車しないようにとあった。
「この辺、夜も車が来るんですか」
「宿の人も通るからね。車に貴重品、置かないで。下りも急がないで」
宏和が駐車場を指した。
「借りた車なんです。下りの方へ向けといた方が、出やすいですか」
福地さんは窓へ寄り、車の前から砂利の低い方へ目を移した。
「ここで向きを変えると、坂へ頭を出すことになる。今のままで、一回切り返す方がいいよ」
「俺、切り返すの、あんまり」
「出る時に呼んで。横で見てるから。今は動かさなくていい」
宏和は携帯を出しかけて、しまった。
「じゃあ、明日」
「うん。出る時間が決まったら、梢さんに言っておいて」
女将さんが、朝、駐車場を片づける時に、と宏和へ言った。彼は車の方をもう一度見て、椅子を引いた。
福地さんは亮のイルカへ目を移した。
「それ、うちの娘が小学校の頃に買った」
「大人も買います」
「うん。いいと思う」
玄関脇の椅子から福地、と呼ばれた。白髪の男性が革の鞄を足元へ立てていた。福地さんは剥がした紙を折り、その人の所へ行った。
紫のストールの女性が僕の肩へ触れた。
「テレビに出てなかった? 名前の台の前で」
亮を見ないで、高校でクイズに出たと答えた。女性は辻待しのぶと名乗った。占いの名刺を後で持って来るという。拓海が掌を出しかけると、今日は何も持ってない、表を作る方なの、と笑った。
女将さんが戻ってきた。三時二十分だった。なずなさんは『山村の怪異』を開き、宏和の案内と重ねていた。
「この廊下、歩きたいんだよね」
「庭は、こっちから行けますか」
小鈴さんが訊いた。女将さんは、見学の最後に下の戸をお見せします、と答えた。
「澄、そこまで行こう。戻ったら私も座る」
澄さんは本へ栞を挟んだ。
「五分?」
「それくらいでしょ。庭、知らないで行くより」
宏和は案内の表紙を持ち直した。澄さんが本を鞄へ入れるので、僕は通れるように椅子を寄せた。
小鈴さんは僕へ、あとで一問だけ出してくれる、と訊いた。
「澄も、知ってるのに人前だと答えないんだよ。今日は仕事じゃないから」
澄さんは鞄を持ち直した。
「私は読みに来たんだけど」
「分かってる。一問だけ」
亮はイルカをポケットへしまった。
「俺の十分は、見学始まってからだからな」
宏和は、分かった、と言った。僕は携帯を持ち直した。拓海の返事がまだ来ていない。月曜の飯には行けると、風呂へ入る前に返そうと思った。
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