「俺、これ食ったら行く」
亮が言った時、小鈴さんから一問だけ、と頼まれた。
「問題を持ってきてないんです」
「何でもいいよ。さっきの建物とか。出たら私も座る。ずっと喋らせるつもりじゃないから」
「建物は宏和の方が」
「出すのはお前がいい」
亮の返事で、僕は問題を探した。彼はまだ椅子へ座っていなかった。
「日本でいちばん高い建築物は――」
「スカイツリー」
「――東京スカイツリーですが、日本でいちばん高い山は何でしょう」
なずなさんが富士山と答えた。陶子さんと手を合わせ、取れたと喜んだ。亮は建物って言ったじゃん、と言って座った。
「もう一問。私も答えたい。食べ物にして」
小鈴さんが手を上げた。僕は次のLDKのDをダイニングと宏和に答えられてから、胡桃の英語を出した。澄さんが先に答え、小鈴さんはゆっくり隣へ顔を向けた。
「澄まで来ると思ってなかった」
「知ってたから」
小鈴さんはその皿から羊羹の端を取った。
「英語の本ですか、それ」
僕が鞄の口へ目をやると、澄さんは羊羹を食べてから本を出した。表紙に図書館のシールがあった。
「小説です。仕事で問題集を見てるから、休みは問題、読みたくなくて。算数ばっかりなんですけどね。胡桃はお菓子で覚えました」
「小鈴、私、これを読むつもりで持ってきたの」
「庭でも読めば。私、あとで撮ってもらうから」
小鈴さんが宏和へ言った。彼は、いいですよ、と答えて携帯を机へ伏せた。
「次、一人ずつにしないか」
白髪の男性が福地さんと入ってきた。窓を閉めてほしいと頼み、僕の前へ座った。庄司さんと呼ばれた。
「端から順にすれば皆さんへ当たるでしょう。テレビの大会、見ていたよ。最近の子は考える前に押してるみたいだ」
五問は作れないと答えると、自分なら一つあると言った。鼠の次は、としのぶさんへ出し、丑と答えられてから猫がいない理由を尋ねた。
「鼠に、日にちを嘘で教えられた話?」
「そう。それを聞きたかった。知恵があるからといって、人を騙してはいけないんだよ」
しのぶさんは茶を取り直した。水原さんが戸口で紙を出した。
「お借りしたものを返します。四時から、お話の続きもお願いします」
庄司さんの携帯が震えた。孫だよ、と言って眼鏡を掛け、送られた挨拶を声に出した。町内会で来週話すらしい。文を直すと、電話から大人が増やしたら長くなると声がした。
「じゃあ、どこを聞くんだよ」
笑いながら最後まで聞き、明日の晩御飯はそちらで食べると話して切った。水原さんは二枚の紙を重ね、携帯の横へ置いた。上には大きな黒い字で、講演の前に説明を訂正してください、とあった。下に主催の会の名前があった。
「講演、なくなるんですか」
亮が訊いた。
「主催から届いた文のコピーです。説明を確認できるまで、告知を待つと」
水原さんが答えた。下に、十二年前、警察の用事を女性の私用と発表した説明を訂正してほしい、とあった。
庄司さんの携帯へ、別の着信が来た。庄司さんは襟を直し、今、その水原さんと一緒です、と答えた。
「今日中には。来月話す内容まで変える必要はないでしょう」
小鈴さんが膝の手をほどいた。時計は三時五十分を過ぎていた。庄司さんは電話を切り、大きな字の紙を裏返した。
「私にも同じ文が来ています。私からも返事するようにと」
福地さんが言った。なずなさんは本を閉じた。
水原さんが下の一枚を庄司さんの前へ出すと、彼は、編集者へ先に通すのはやめてほしい、と言った。
「引用元の記事を訂正すると分かっていて、黙っていられません」
「本は私一人で出すものじゃない。予定を止めたら困る人がいる」
「それなら、今日、お願いします」
水原さんは、回想録へ使う前に、元の記事の誤りを直したいと言った。庄司さんはその原稿の最初の段落を声に出した。
「『当時宿に勤めていた女性が、尚人さんへ接触を依頼した事実は確認されていない。尚人さんは警察の求めで相手と会った』。ずいぶん簡単に書くね。女性の名は?」
「ご本人が、また名前が出るのは困ると」
「この、私の指示だったという所は、私の発言になっているの?」
「伺った話を、私がまとめた案です」
「まだ了承していないよ。それと尚人君がやめたいと言っていた件は、福地君へ。私は最近聞くまで知らなかった」
福地さんが紙へ近づいた。
「先に、警察の用事だったと認めてください。あの女性が頼んだんじゃないと」
「それは私が話す。君の話まで私が答えるわけにはいかないでしょう」
「弟が行くと言ったから、俺が頼んだから、それで終わらせるつもりですか」
庄司さんの腕で紙へ届かない手を、福地さんは引かなかった。水原さんが書き始めてから下ろした。
拓海の皿に羊羹が半分残っていた。本人はこちらを見ていなかった。
庄司さんは眼鏡を外した。ここでやる話ではないと言い、四時から読書室で四十分、原稿は五時十五分過ぎに回収という予定を確かめた。澄さんへ通してほしいと頼み、二枚を挟んだファイルを持って向かいへ入った。
福地さんは窓へ戻り、切抜きをまとめた厚い束を膝へ載せた。鞄へ押し込むと口が閉まらず、女将さんへ、ここに置いておいていいですか、と訊いた。
「ゴム、切れてるんだ」
拓海が上着から黒い帯を出した。荷物へ回す長い帯で、二つに畳んであった。
「これで巻けます。金具、こっちへ通せば。俺の鞄には、巻かなくてもよかったんで」
福地さんは礼を言って受け取り、紙の束へ二重に回した。赤い糸の挟まった金具が一番上へ来た。
「夕飯までには返すよ」
「四時四十分に。俺、そのあと風呂なんで」
小鈴さんが弟は何歳だったかと訊くと、十七、真島尚人、と答えた。自分は結婚して姓が変わったという。
水原さんは今話せないかと頼んだが、福地さんは出る用事がある、夜に、と返した。水原さんにも電話が来た。
僕は爪楊枝を半分に折り、拓海へ皿を渡した。澄さんが小鈴の答える問題を一つだけと頼んだ。胡麻の英語には、セサミ、とすぐ返った。小鈴さんが片手を上げたので僕も合わせた。
音を聞いて亮が立った。
「今なら風呂行く?」
宏和が尋ねた。
「行く。俺、何回言った」
僕は月曜の授業を確かめ、グループへ行くと返した。拓海も目の前で返事を打った。携帯を指へ挟んだまま皿を持ったので、僕も半分受け取った。
廊下で、水原さんが電話へ言っていた。
「六月の方も、これが出るまで載せないんですか。あちらには、もう撮った写真も選んでもらってます。待ってもらった時間まで、私からお断りし直すんでしょうか」
水原さんは壁に背をつけた。僕らの皿が触れる音で、携帯を反対の耳へ移した。
「私の名前で出すんでしょう。だったら原稿は私に書かせてください。……あの方が否定したら、そこで止めるんですか。前の記事は、本人の話として私が書いたんです」
水原さんは返事を聞き、壁から背を離した。
「確認できなかったことも書きます。確かめていない二行は外す。それで、訂正を私から返すところまで。明日の昼までには、録音も一緒に」
僕らが盆へ皿を載せると、彼女は読書室へ入った。戻って携帯を取った時、向かいから池上君の文も、と声がした。
戸の傍へ残ると、水原さんがノートを開いた。
「十二年前、千佳さんが私用で接触を頼んだ、と書いてよいか聞いた。あなたにはいと言われた、とノートにあります」
「確認したなら君の記事だ。私は原稿まで書いていないよ」
「私が載せました。電話も、二回、昔のことだからと断って。それは書きます。だから、あの時、はいと言ったところを」
「君がまとめた文を、今、私に読ませているんでしょう」
庄司さんが役職の違う段落を指すと、水原さんは赤いペンでそこを直した。
「役職は直します。あの時の返事も」
庄司さんは紙を裏返した。下にある水原芙美の四字へペンの先を置いた。
「ここは残るんだね」
「私が書いたので」
「それなら、まず君が書いた案として読んで。私が答えたかどうかは、その後です」
水原さんは紙を戻そうとした。庄司さんの指は離れなかった。彼は携帯を気にしていた。孫の文を読むのかと思ったら、録るのはその後に、と先に手を出した。
水原さんは赤いペンを置いた。紙を戻すと、右の袖口が机へ擦れ、折った所の白い裏が出た。携帯の蓋を後ろへ折り、机の端へ立てた。紙の上下が画面へ入るまで、ペンを横へ動かした。灰色の電話の角も入った。
「顔は?」
「どの行を読んだか、指と一緒に。音は入ります」
「なら、読んだ所までにして。五時に池上君も来る」
水原さんはノートを閉じないまま、録画を始めた。庄司さんの指が原稿へ来ると、画面を確かめてから椅子へ座った。
「その下は、池上君から来た文だね。ご本人が以前の宿へ戻りたいと」
「そちらはもう一度確認します。訂正とは分けて」
「了承を頂いていると聞いたから、今日も会うんですよ。私が誘ったことにはしないでください」
水原さんは下の二行を折った。線は引かなかった。僕は亮へ先に入ってと送った。拓海へ訊けばいいのに、今は紙が返されるのを見たかった。
福地さんが来た。窓側へ行こうとして椅子の背に膝を当て、戸の横へ残った。
「笠原君は、まだ厨房かな。手紙のことを直接聞いておきたい」
庄司さんが立ちかけると、福地さんは椅子の背へ手を置いた。
「弟の話が、まだ」
「君の弟が頼んだと、この文へ入れていいのか」
「そうじゃない」
庄司さんが椅子を引いた。福地さんは通れる幅を空けた。水原さんが原稿を向けると、庄司さんは手前へ引いた。署名の上へ右の掌が来た。
「そこは残してください。私が書いたので」
「残すよ。その前に、私が答えた所を。先に確認します」
手が紙を離れると、水原さんはペンを持ち直した。
階段から亮が呼んだ。
「先にって、何。お前が後だと、また露天だけ別になるだろ」
福地さんがこちらを向き、僕は戸口から離れた。水原さんは木台の携帯を確かめてから、また紙を読んだ。
僕は亮を追った。
拓海は盆を帳場へ返した所だった。亮の後を通り、僕へ皿を落とさなかったかと訊いた。僕は落としていないと答えた。
「向こうで、お前の文の話、してた」
「何て」
「お母さんが、戻りたいって」
拓海は階段へ置いた足を下ろした。僕が庄司さんの言った文を続けると、亮が上から呼んだ。拓海は手すりを一度掴んで、こちらを向いた。
「風呂、行ってて。俺、土産だけ買う」
「さっき、後でって」
「忘れるから」
僕は財布を持っていた。待つと言えば、また亮に呼ばれる。でも、どこを直したいのかまで、今度は拓海から聞けると思った。
「俺も行く」
拓海は頷かなかった。先に帳場へ戻った。僕は亮へ、もうちょっと、と言った。彼は返事をしないで階段を上がった。
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