喫茶店へ戻ると、小鈴がいた。
ジャケットではなく、黒い上着を着ていた。源さんに貸した原稿の写しを、机へ二つに折っていた。
「今朝、作業台には無かったよ」
僕が言うと、彼女は紙を開いた。
「うん。聞いた」
「取って来られなくて」
「いい。写し、持ってるから」
原田さんが机の端へ手をついた。会社へ戻ると、僕にもう一度、明日出るつもりで寝なくてよいと言った。僕は礼を言った。小鈴も頭を下げたので、原田さんは、あんたも食べな、と皿の焼き菓子を見た。
小鈴は一つ取った。噛んだあと、なかなか飲み込まなかった。
都の姉がルカと来た。二人で、昨日の服に近い写真を探していた。僕に靴も見せてほしいと言われ、僕は思い出そうとした。自転車の石をどけたところを見たのに、靴の色が出てこなかった。
姉は、違う日も全部出しておこうと言った。ルカが横へ椅子を足し、座るより先に携帯で水の自動販売機を探した。
「タオルは洗ってる。家、泊まれます」
「ありがとう。着る物、こっちで買ったから」
「俺が洗ったんじゃないんですけど」
姉が、わかるよ、と答えた。ルカは椅子へ座り、小さい缶のあるポケットへ手を当てた。
榊さんは、源さんから預かっていた紙のことを警察へ話したという。
備品を貸した相手と、返す予定の日が揃っていなかった。椅子、照明、いくつかの衣裳。源さんはその場で作った物も売った物もあり、閉館までに引取先を決めたいと頼んでいた。
「全部、源さんの物ですか」
僕が聞くと、榊さんは、全部ではない、と答えた。
「修理して引き受けた物もあります。そこは元の持主へ聞いています」
「金具、四つ頼んでるって」
「その相手の番号、わかりますか」
僕は首を振った。源さんは、来月、同じの四つ、と言っていた。台をひばりへ運びたい理由だった。
サエさんが袋を寄せた。
「工藤さんでしょう。自転車のほうの。電話、家で探せるよ」
榊さんは名前を書いた。サエさんは、いま全部持ち出させないで、と続けた。
「私のも、まだある。人のも。誰が縫ったかわからなくなると、後からあの人の針って言われる」
榊さんは、どこまで片づけたかから聞きたいと答えた。サエさんは袋の中の靴を見た。いまは、靴からでいいよ、と言った。
凪が携帯を持って戻った。警察へ土曜の写真を送るために外へ出ていた。
「昨夜、源さんがここへ来たか、聞かれました」
小鈴の向かいへ座らず、机の横に立った。
「八時四十二分、劇場にいて。そのあとこっちへ戻ったんなら、俺より早い。靴、返したって言ってたから」
「私はここで会ったよ」と小鈴が言った。
「そのあと。俺が戻った、そのあとに来たのかって。俺は、見てないって」
彼は顔をそむけた。小鈴は自分の原稿を取った。
「後半、やるって返事したの?」
「二人の名前で。源さんにも出てもらうって」
「私、まだ出来るって言ってないよ」
「源さんが出来ないって言ったら、後半は俺だけで。待つ時間、映像で作ったら、俺の方、見せられると思って」
「じゃ、私の冷蔵庫は?」
「最初に付けて。小鈴さんが冷蔵庫で、源さんが持主の、三分はそのままで」
小鈴が紙を畳んだ。
「司会の一枠みたいに言わないで」
彼女は相手へ電話した。出た人に小鈴と名乗り、凪の提出した後半へ出るとは返事していないと話した。向こうの返事が長かった。
「前半は出したいです。でも、続けてでは。私がまだ出来ると言ってない分の印刷、止められますか」
彼女が日付と金額をチラシへ書いた。もう明日の印刷には入る。火曜まで待つのは会場の支払だけになった。凪は携帯へ文を打ちかけたが、小鈴の電話が終わるまで送らなかった。
僕は原稿の端を思い出した。源さんが離さなかった所へ、凪も手を掛けた。凪は夜の会場で源さんを待った。小鈴が車を返してから、鍵を返すまで、彼が一人で残った時間がある。
「源さんの顔は」
僕が訊くと凪は顔を上げた。
「ここで顔を撮ればよかったです。入ってくれたのに、手ばっかり。四十二分も、背の方だけで」
水の瓶はまだ開いていなかった。
畑野さんは、源さんの姪へ掛け直すと言って店の外へ出ていた。
ルカの携帯が鳴った。
都からだった。椅子が床へ音を立てた。姉が先に画面を見た。緑のコートと鞄が写っていた。
『しばらく帰らない。荷物は送らなくていい』
僕は机へ手をついた。
青い窓があった。左下に三日月形の傷が残っている。
「窓の壁。ひばりへ、積んだほう」
ルカは電話をかけた。電源が入っていないという案内になった。姉も自分の携帯を耳へ当てた。
畑野さんが戻り、画面を見た。
「あれ、東へ変えた。ひばりは引き払うから。都は鍵、持ってるんだよね」
「東、火が出たんです」と僕は言った。
「うん。その前に行ったなら。写真、いつ撮ったかは」
榊さんが、届いたままのものを残して、とルカへ言った。ルカは小宮さんへ電話した。写真の時刻と、畑野さんの話を短く伝えた。
僕は東の写真を開いた。灰色の床だった。
都の鞄の下には、白と茶色の四角があった。僕が壁を積む時に見せてもらった床。理容椅子を外した丸い跡も、コートの裾の下へ少し出ていた。
「ルカ、大家さんの写真。床の、出せる?」
ルカが電話を耳へ当てたまま僕を見る。僕は自分の携帯を机へ置いた。
「電話、そのままで。ひばりの床だって、言って」
彼は小宮さんへ、スピーカーにします、と言った。姉が椅子を寄せた。僕は写真の端へ指を置いた。