箱の外で待ち合わせ

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CHAPTER 02 / 19

第二章 三分の役

土曜の朝、母が卵焼きを残してくれた。

 母は、僕が寝た時には帰っていなかった。何時に作ったのかわからない。端だけ少し固くなっていた。父は新聞を二つに折り、今日も劇場かと聞いた。

「片づけ。月、渡す前に」

「月は、夜だろ」

「舞台の」

 父が笑ったので、僕も笑った。母が台所から、パンもあるよ、と言った。卵だけ食べて出ようとして、もう一口戻った。

 劇場では、都が紺のジャケットを裏返していた。左の袖だけ、端を内側へ折ってある。

「小鈴が、九時に来るって」

「いま、九時十五分」

「そう。それ、言って」

 僕が携帯を出すと、都は自分の携帯も出した。送る文を読んでいる間に、小鈴が扉を開けた。

「間に合った」

「何に?」

「着て帰るのに」

「腕、出して。両方」

 小鈴はジャケットを着た。左だけ手首が出ている。都が右の袖口をつまんで折ると、同じくらい出た。

「今日は、マイク持つから。手、隠れないほうがいい」

「それ、今言う?」

「昨日も、言った気がした」

 都は鋏を持ちかけ、置いた。

「いったん、見せて。マイク持つところ」

 小鈴は受付のペンを握り、肘を上げた。僕へ、そちらのお客様、と呼びかけた。

「抽選、三回ありますので。最後まで、残ってくださいね」

「僕、何も買ってない」

「今のうちに。まだ開店してません」

 都が笑い、袖の端へもう一度針を通した。

 小鈴は二十四歳で、僕より一つ上だった。月に何度か、住宅展示場や店の催しで喋る。渡された文はたいてい覚えているのに、人が笑うと自分も笑い、次の説明へ行くのが遅れる。

「全部で、何回やるの」

「三回。最後が七時半だから、帰るのはそのあと」

 都は袖口へ針を留めた。小鈴が財布を見た。

「出演料、もらってから払うのでいい?」

「千五百。今、なくてもいい。でも今夜、忘れないで」

 小鈴は財布から千円札を出し、鞄の底を探って五百円玉を見つけた。

「払う。気になって、司会で言いそうだから」

「言わないでしょう」

「本日は袖の長さもそろえまして――」

 僕が先に笑うと、小鈴は、ほら、とペンを向けた。

 作業室へ行くと、源さんは月の縁を撫でていた。

 僕も触るよう言われた。昨日より引っかかるところがない。そう答えると、そっちは昨日削ったとこだ、と裏へ回された。

「あ、こっちも」

「裏も撫でろ。そこ、手ぇ切るぞ」

 源さんは毛布を広げた。僕が月を持ち上げると、端へ布を当て、紐を回してくれた。

「舞台、また出るんですか」

「出ろって言うのか」

「僕が言っても、出ないでしょう」

「何だ。決めてから来たのか」

 紐を引くと、毛布の端が少し寄った。月を置いていいか聞くと、まだ、と源さんが答えた。僕は腕を替えた。

「僕、出ると、台詞が速くなります」

「走りたくなるか」

「はい」

「走る役、やれ」

「三回とも、座る役でした」

「誰だ、選んだの」

「畑野さん」

 源さんは顔を上げた。笑うかと思ったが、結び目を押し、今度は俺が読む、と言った。

 小鈴が来た。受付のタイマーを持っていた。

「ねえ、三分だけ、聞いて。片づける前に」

 源さんは月を立て、壁へ寄せた。僕が手を放す前に、下が滑らないか確かめた。

「三分、何だ」

「自分で書いたの。冷蔵庫が喋る」

「新品か」

「明日、捨てられるほう」

 小鈴は原稿を二枚出した。源さんが黙ったので、僕は聞くよ、と言った。凪が作業室の戸口へ来て、三分なら僕も、と座った。

 受付へ椅子を三脚並べた。小鈴がタイマーを三分に合わせ、僕の隣へ置いた。

「鳴ったら、止めて」

「読むのを?」

「音。途中だったら、少し読ませて」

「今、三分に負けましたね」と凪が言った。

 小鈴が冷蔵庫を読み、凪が持主を読むことになった。小鈴は笑ったままスタートを押した。古い冷蔵庫が、取り替えられる前の晩に喋りだす。主人が明日来る冷蔵庫も喋るのか聞くと、まだ会っていないので知りません、と返した。

 僕が笑うと、凪も笑った。小鈴が先を読んだあと、凪は一つ戻してほしいと頼んだ。聞こえなかったのだった。

 源さんが戸口に立っている。小鈴は同じ台詞を、二度目には少し遅く読んだ。

 最後に主人が、冷凍室から古い誕生日のケーキを見つけた。小鈴は最後の二行を読み、原稿を膝へ伏せた。

「どう?」

「ケーキ、食べないよね」

 僕が聞くと、小鈴は、書いてない、と答えた。

「そこ、言わなくてもわかるかな」

 凪が持主の紙を借り、最初から読んだ。小鈴が冷蔵庫を返すと、同じ話なのに早く終わりそうに聞こえた。
「いま、そこ、待って。まだケーキ、見つけてない」
 小鈴が言うと、凪は一行戻った。
「俺、もう食べました」
「捨てられる前に言わないで」
 凪は笑い、食べる前の所を探した。

「源さんは?」

 小鈴が顔を上げた。戸口にはいなかった。作業室から金属の音がした。

 凪は原稿を握ったまま、もう一度、主人の最初の台詞を言った。途中で首を振った。

「俺、さっきのほうがよかった」

 タイマーが鳴った。僕は音を止めた。小鈴は原稿を取らず、凪が読み直すのを待った。

 十一時半、ルカが戻ってきた。

 展示会で床を張る仕事を終え、靴へついた粉を裏口で払っていた。都は焼き菓子の袋を出した。ルカが半分もらうと、残りを僕へ渡そうとした。

「都のだよ」

「あ、そっか」

 彼は袋を戻した。都は自分の分を取り、残りを受付へ置いた。

「来月、三か月、名古屋なんだ」

 ルカが言った。都は包みを開けるところで止まった。

「二週間って言ってたよね」

「延びた。月曜から行けば、部屋も使えるって」

「月曜って、明後日?」

「違う、来月。今夜、条件をちゃんと」

 ルカが携帯で台の図を出した。工藤さんから回って来た組立だという。木の足へ服を掛けて、試着する相手に見せる。
「最初の組立、俺がやる。こっちの服を着せる方も、向こうで一緒に」
「まだ注文じゃないよ。こっちで着せる人も、決まってないんだから」
「台だけ先に取っておけば。都の服、出せる時に使う」
 都は画面へ手を出さず、自分の仕事机へ戻った。紙袋の底を片手で持ち上げ、僕へ見せた。

「これ、もう一枚、入れられる?」

 ルカが続ける前に、僕は赤い柄の鋏を取った。

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目次

箱の外で待ち合わせ

  1. 01運んだ箱
  2. 02三分の役読書中
  3. 03窓の裏
  4. 04帰ってから
  5. 05下ろした分
  6. 06受取人の署名
  7. 07靴の袋
  8. 08焦げた角
  9. 09聞いていた人
  10. 10店の前
  11. 11持ったまま
  12. 12二つの水
  13. 13切る方
  14. 14見られる客
  15. 15聞こえる方
  16. 16土曜の九時
  17. 17返す紙
  18. 18台を下ろす
  19. 19終章 二回目

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